第四話 刻まれた二つの紋章2
木の温もりと石の静謐さが混ざった独特な建物を見上げる。ルーシュは懐かしい建物に顔が綻んだ。
見つかった歯車は錆びついていたが、どこか異様なほど重厚で、明らかにただの農具部品などではなかった。
そして、後方から覗き込んだルーシュは、見知った徽章の横に彫られた紋章を見て目を見開いた。
翼を大きく広げた鷲が、胸元に星を抱えて飛翔する姿――それは、前王朝・レオント家の象徴だった。
(どうして、前王朝と正教の印が並んで……?)
ルーシュが教会や神学校で学んできた歴史では、前王朝はヴェルツ正教の普及を静観していた。そして、後年になって正教の影響力を恐れ、宗教弾圧に乗り出したとされていた。両者は、あくまでも『対立』していたはずだが、この歯車はまるで――その前に『何か協力関係があった』ことを示唆しているようだった。
「非常に精巧ですね……普通の時計仕掛けとは思えません」
調査団の一人が、手袋越しに歯車を慎重に回す。
「歯の配置に不規則性がある。段階的な動作切り替え――おそらく制御装置の一部だったのでは」
ルーシュは、調査員の手の中で動かされるその装置から目を離せずにいた。
(まさか……)
この村に来る前から、心の奥ではわずかに疑っていた。それでも、まさか本当にこんな形で出くわすとは思っていなかった。
見覚えがある――そう断言できるほどではない。
装置の構造を細かく記した資料は存在せず、旧校舎で見たときも、目にしたのはほんの一瞬だった。
けれど、あの時に感じた異様な気配。空気の重さ。歯車の組み方に漂う、理屈を超えた不自然さ――それが、いま目の前の装置からも、確かに滲み出ていた。
(似ている……いや、雰囲気が……)
確証はない。けれど背筋に冷たいものが走る。それがただの思い込みであればと、心のどこかで願っていた。
周囲も気にせず歯車に目を奪われていたその時、懐かしい声が降ってきた。
「おまえも来てたのか。調査団名簿になかったから驚いたよ」
隣にエミール助祭が立っていた。
「……ああ、ちょっと伝手があって。自分の村のことだったから混ぜてもらいました」
「そうか」
エミールは優しい目で付け加えた。
「その好奇心もほどほどにな……『知る』ことには責任も伴う」
そう言うと、ルーシュの頭に軽く掌を乗せ、調査団の中へ進んでいった。
その背中は『引き返せ』と言っているようだった。だが――
ルーシュは琥珀のペンダントを握りしめた。
「逃げてるだけじゃいられない」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。
***
ルーシュは燭台を一つ手にし、静かに外に出た。
慣れ親しんだ教会前の広場まで行き、地面に寝そべる。
「やっぱ、空が広いなー」
この村は国の北東端に位置し、王都からは最短距離を馬車で飛ばしても日帰りはできない。今日は調査団みんなで教会の集会所に泊まっている。
久々の懐かしい村の匂いに誘われ、抜け出してきたのであった。
ガス灯が並び、高い建物が空を塞ぐ王都とは違い、星空がどこまでも広がる。
ルーシュは空に手を伸ばす。
「星を掴めそう……」
そう呟いたとき、いきなり伸ばした手を握られた。
「何してるの?」
頭上に微笑むエルザの顔があった。
ルーシュは上半身を起こして座り直す。
「どうしたの?」
エルザもルーシュの横に腰を下ろす。
「エミール助祭にルーシュが来てるって聞いたから」
「はは、相変わらずのお節介」
二人で笑った後少しの間、静かに夜風に吹かれながら空を眺めた。
「今、学校で読み書き教えてるんだって?」
「うん。正直、家に帰ってくるのが怖かったの。だって村のために嫁ぐのが私の役目なわけだし……ここに帰ってきても私の居場所はないと思ってた」
エルザは膝を抱え込み、その上で組んだ腕に顎を乗せて、どこを見るでもなく呟いた。
「でも、子供たちが嬉しそうに習った文字を見せてくれたり、何度も質問してきてくれたり。ああ、私はここにいていいんだなって思えて。それが嬉しくて温かくて」
エルザがふと、横にいるルーシュに目を向け、少し照れたように笑った。
「今はそんな日常が幸せ」
その笑顔にルーシュの胸も温かくなるような気がした。
こうして笑える日常を取り戻せていて本当に良かった。
「ルーシュは?」
「うん?」
「今も学術技術院にいるんでしょ?」
「あー……うん。ありがたいことに、僕も人に教える立場を与えてもらってる」
「何よ、それ。その歯切れの悪い言い方?」
エルザが笑いながら聞いてくる。
「いや、今の話聞いて反省した。正直、研究の時間が取られるから、あまりやる気がなかったんだけど……大事なことだし、必要としてもらえるのは有り難いことだよね」
「そうだよ、次に繋がっていく」
「はい、これからは誇りを胸に業務に邁進します!」
「その意気です!」
顔を合わせて二人で笑った。
正直、こんな風にまた言葉を交わせるとは思っていなかった。
アウグストに頼んだからかどうかはわからないが、ラインベルク家は、その背信行為にしては大分温情のある処置で済んだと聞く。
ロイエンタールの監視下とはなったが、財政面などの介入はほとんどなく、今までと変わらない生活水準を保てていると。
ルーシュはエルザの離縁の理由を知らない。秘匿事項なのか、気を遣われたのか。ただ、あの時『ディートリヒ伯爵と一緒にラインベルク家を立て直す』と言った彼女が離縁するほど追い詰められたのは事実である。
そのきっかけを作ってしまった自分が恨まれていても仕方がない。
なのにまた、こうして、あの時と同じように微笑んでくれる。
「これだけで僕は幸せだよ」
口から漏れていた。
「なんか言った?」
「ううん、何も。それより、こんな時間に外出て大丈夫?」
「あ、そうだ!抜け出してきたからそろそろ戻らないと!」
そう言うと、エルザは立ち上がった。
「じゃあ……またね」
そう微笑むと領主邸宅へと続く道へ駆けて行った。
その背中を見送った後、ルーシュはまた地面に背中を預け、満点の星空を見上げる。
「『また』……か」
その時がくれば嬉しい。けど、こなくてもこの星空の下で笑えているならいい。
どこまでも続く星空を見上げ、胸に刻み込んだ。




