第三十話 君の夢を信じた日~ルネの記憶~2
政務の手伝いにも慣れはじめた頃、久しぶりにアデルハイトから呼び出しが届いた。
場所は、かつて何度も遊んだ王宮の中庭。
いつも通りの場所に立つ彼が、こちらを見て笑った。
それだけで、少し胸が熱くなった。
「ルネ、よく来てくれた」
「どうしたの?珍しいね。何かいいことでもあった?」
アデルハイトはいつになく嬉しそうな顔をしていた。
「……うん。いいことかどうかは、まだ分からないけど」
二人並んで腰掛けると、彼は少し遠くを見ながら話し始めた。
「なあ、ルネ。昔、塔の上で話したこと、覚えてるか?」
「もちろん。……国を良くしたいって」
「そう。それを、今……ようやく始めようとしてる」
ルネは目を見開いた。
あのときの夢が、まだ続いていたんだ――
「まだ詳しくは言えないけど、うまくいけば、国は変わる。学びも、争いも、病も災害も……今よりもっと、穏やかにできるかもしれない」
アデルハイトは真剣な顔で真っ直ぐ前を見て話した。彼のこの未来を見つめる目が好きだ。
「ルネ……いつか、もう少ししたら、ちゃんと全部話すよ。そのときは、また隣で夢を見てくれるか?」
ためらわずにうなずいた。
「当たり前だよ。僕は君の右腕なんだから」
彼がふっと笑った。
(そう、僕はアデルハイトの右腕であり続けたい……)
***
次の日、昔教会の技師にもらった作りかけの懐中時計を動けるようにしようと思い立った。未来を見つめる彼の目を見て自分も何かしたくなった。
政務の間を縫って教会に通う日々が続いた。
そして、やっと針が動いたときの感動は忘れられないものだった。
あの日止まったままだった自分の時間が、ようやくまた動き出したような気がした。
だがその希望は、あっという間に崩れた。
ある日、国王から『ヴェルツ正教の教育普及を停止せよ』という命が出された。
(なぜ?教会は平民層にも教育を行い、僕のように、誰にでも惜しみなく技術を教えてくれた。そもそも、アデルハイトがヴェルツ正教の普及については管理していたのではなかったか?)
なんだか嫌な予感がする。
その不安は、的中した。
クロイツ領北部の村が襲撃された。教会は燃やされ、司祭は殺され、正教の経典は灰となった。
犯人は捕まらなかったが、現場に落ちていたのは――
王国軍の紋章が入った、旗の切れ端。
民の怒りは、烈火のごとく広がった。
「正教のおかげで、字が読めるようになった」
「神父は役人より、よほど親切だった」
「王は、民を見ていない」
父の執務室には嘆願書が山積みになり、焼かれた教会の写真、子どもたちの絵、そして震える筆跡で綴られた言葉――『命を、見てください』
「……こんなの本当に国王軍のやったことかなんて分からない!」
父に詰め寄った。信じられなかった。これを陛下が、アデルハイトの父がやったこととは思えなかった。
しかし、口にした後、父の苦しそうな顔を見て言葉を失った。
そうだ。父だってずっと陛下と共に未来を見て生きてきたんだ。
黙っていると父が口を開いた。
「真実を見つけることが正義ではない。このままでは国中が荒れる。我々は陛下に仕えているが、民のために生きていることを忘れてはならない」
顎に違和感を感じた。唇を強く噛んだせいで血が流れていた
***
そして、追い打ちをかけるように王からの勅令草案が届いた。
クロイツ家の軍事権の剥奪、領地の一部王領への編入――
家臣たちが暴発した。
ヴェルツ正教、王軍内の同調者とともに、一斉に挙兵の動きを見せた。
「父上!本当に挙兵するおつもりですか?!」
たまらず机を叩いていた。
「……もはや、静めることはできぬ。あやつも、自らが選んだ道の意味は分かっているだろう」
「でも……!」
王宮を攻めるということは、レオント家が落ちるか、クロイツ家が落ちるか、どちらかしなければ決着がつかない。もう、あのときのように未来を夢見ることはできないのか。アデルハイトの右腕として、この国の繁栄を導くことはできないのか。どうして……。
「ルネ」
父の声が低く、重く響いた。
「覚悟を決めろ」
(覚悟…………なんの?)
意味は理解できた。でも、納得できるほど大人ではなかった。
きっと情けない顔をしていたと思う。
***
戦は、あっけなく終わった。
ヴェルツ正教の私兵と、クロイツ家の軍勢が王都に入り、国王と王太子は自ら命を差し出した。
真実は闇の中だった。
ヴェルツ正教の語る『暴走』も、民の語る『救国の試み』も、何が真で、何が偽なのか、分からなかった。
だが、ただ一つ、確かなことがあった。
――彼が、もう戻らないということ。
***
処刑の日。
広場には、怒声と祈りと、沈黙が混ざり合っていた。
ルネは群衆の後ろに立っていた。
軍服の上から外套を羽織り、顔を隠しながら。誰にも気づかれず、ただその時を見届けるために。
やがて、引かれてきた男の姿が見えた。
首を垂れ、ゆっくりと歩くその姿――
「……アデル」
ルネは声を出しそうになって、唇を噛んだ。
処刑台に登るその背中が、あまりに細くて、あの日、塔の上で風に吹かれていた少年と重なって見えた。
(なんでこんなことに……なんで僕はただ見てることしか……なんでなんでなんで………!)
拳を強く叩きつける。
(なんでこの答えを誰も知らないのに時だけが進むのか……僕は無力だ……)
処刑台の上で、彼は一言も発さなかった。
ただ、風を受け、空を見上げていた。
(……君となら、どんな国も――)
あの言葉が、胸を裂いた。
刃が振り下ろされる瞬間、ルネは懐中時計を握りしめ、目を閉じた。
(僕は……君の歯車には、なれなかった……)
涙は出なかった。
ただ、心が静かに、崩れていった。
処刑が終わり、人々が去ったあとも、ルネは広場の片隅に立ち尽くしていた。
空の下に、王宮の塔がそびえていた。かつて、彼と一緒に登ったあの塔。夢を語り合った、あの高い場所――
「……君の夢は、何だった?」
誰にも届かぬ問いが、風に溶けて消えていった。




