第二十九話 君の夢を信じた日~ルネの記憶~1
初めて会ったのは、たしか五歳の頃だった。
遠くからしか見たことのなかった王宮に、父が連れていってくれた日のことだ。
高い天井、煌びやかな装飾、大勢の臣下。
すべてが、自分の家とは比較にならなくて――あの日は、ずっと緊張していたのを覚えている。
「はじめまして……ルネ・クロイツです…」
背中を押されて挨拶をしたものの、声はどんどん小さくなっていった。
恐る恐る差し出した手を、彼は思いきり握ってくれた。
ゆっくり顔を上げると、そこには――煌めく琥珀色の髪と太陽のように輝く笑顔があった。
彼の名は、アデルハイト・レオント。王太子だった。
その瞬間、『彼についていこう』と思った。眩しいほどのその笑顔から、目が離せなかった。
***
父は国王からの信頼も厚く、国都西部の広大な土地を治めるだけでなく、軍の管理なども任されていた。
王宮を訪れるたび、私はせがむようにして父に同行を願った。
また、彼に会いたくて。
毎回ではなかったが、月に数度はアデルハイトと会える機会があった。
剣術の練習をしたり、本を読んだり、時には二人でいたずらをしたり。なんでも器用にこなす彼は憧れの存在だった。
ある日、アデルハイトは『秘密の場所』と言って、王宮の塔に連れて行ってくれた。
そこからは、王都が一望できた。
「すごい……国中が見える」
「だろう?」
嬉しかった。王太子だけの特別な場所に、自分を連れてきてくれたことが。
「この国を、君が継ぐんだね」
しみじみと呟くと、アデルハイトは頷いた。
「ルネ、僕はこの国をもっと良くしたいんだ」
「……うん」
「君と一緒にね」
そう言ってアデルハイトはこちらを見て照れくさそうに笑った。
(僕と一緒に……)
その言葉が嬉しすぎて、何度も心の中で反芻した。
「任せてよ。僕は君の右腕になる」
そう答えた。嘘じゃない。彼のためならばなんでもできると本当にそう思った。これが人生で初めての決意だった。
***
十を過ぎた頃から、政務の手伝いが始まり、彼と会える時間は減っていった。
そんなある日、父に連れられて訪れた新設の教会で、塔の整備をしている一人の技師と出会った。
天井から垂れる鎖の先で、振り子が等間隔に揺れ、大小の歯車が音もなく噛み合って回っている。
その光景はまるで、時を支える魔法のようだった。
気づけば、声をかけていた。
「時計塔の技師の方ですか?」
「そうだよ。興味があるかい?」
歯車の仕組み、動力の伝わり方、振り子の安定――
彼は嬉しそうに、子どもだったルネにもわかるように教えてくれた。
その日から何度も教会に足を運ぶようになった。
複雑に絡み合う歯車と、そこに込められた技術に惹かれて。
ある日、作業台の上にあった琥珀を埋め込んだ作りかけの懐中時計に見惚れていると、彼が尋ねてきた。
「名前は?」
「……ルネ、といいます」
彼は黙って懐中時計を裏返し、そこに『René』と刻みつけて、私に手渡した。
「作りかけだけどね。私は今度、他の街へ行くことになってる。だから……もう会えないかもしれないから」
そう言って、ルネの頭にそっと手を置いた。
「君がいつか、自分の歯車を回したいと思ったときのために」
その懐中時計を胸に抱えて帰った。
――僕の歯車。
彼の言葉を噛みしめながら思った。
この歯車が動くとき、アデルハイトの歯車も支えられるだろうか、と。




