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第二十四話 歯車と王冠

 あの場で確かに宣言はしたが、やはり誰もを完全に押さえ込むことはできない。

 王宮の窓辺に立つ国王フリードリヒ・クロイツの視線の先では、広場に集まった民衆が不安と怒りの入り混じった声を上げていた。

 信じてきたはずのヴェルツ正教が、実は国を欺いていた――その衝撃は広場を満たす熱気に変わり、じわじわと国の根幹を揺さぶりつつあった。


「……もう少しで火がつくところだったな」


 国王は独りごちりながら、視線を手元に落とした。

 そこには、ただ情報提供だけを目的とした、手紙とも言えない紙片があった。


『三十周年式典でことを起こします。

 陛下がかねてより懸念されていた波紋の一つを、これで鎮められるならば。

 以後の帰趨は、すべて陛下のご裁断に委ねます』


 彼は、事前にこの混乱の火種も、そしてそれがどのように露呈されるかも知っていた。だからこそ、最低限の被害に留め、民を納得させるための『解』を用意していたのである。

 その日の午後、フリードリヒ・クロイツは、普段は立たぬ広場の壇上に姿を見せた。


「我々が信じてきたヴェルツ正教は、知を持って理を解き、自然の摂理を学び、この世界にあるあらゆるものと共存して生きていくことを説いてきた。万物に平等に与えられる『時』を尊み、その中で自分の役割を果たす。それが我々がこの地に生きる意味であると」


 集まった民衆は、国王の一言一句に息を呑み、耳を傾けていた。


「しかし、残念なことに――その中には、知への探究心を抑えられず、神をも操ろうと考えた者たちがいた。それは人の域を超えた驕りであり、許されざる行いだ。我らは『神の下の歯車』である。一つでも綻びがあれば、やがては全体が崩れる。だからこそ、自らを律し続けねばならぬ」


 言葉を選ぶように一呼吸置き、国王は続けた。


「これは、人の弱さがもたらしたことである。だが、だからこそ、我々は人間なのだ。その弱さを支える仕組みが必要だ。信仰だけに任せるのではなく、人の手で制御し、支え合う体制が必要なのだ」


 王の声音は静かだったが、その響きは群衆の胸に確かに届いた。


「ゆえに我がクロノフェルデ王国では、今後もヴェルツ正教と共に歩む。だが同時に、より確かな制御の仕組みを取り入れていく」


 そして、二つの新たな方針が告げられた。

 まず一つ。

 今回のような非人道的研究が繰り返されぬよう、国王直属の『倫理委員会』を新設し、学術技術院と同等の権限を与えること。

 これにより、技術研究の全てが国家の監視下に置かれることになる。

 次に、ヴェルツ正教の信仰自体は今後も民の拠り所として認められること。

 たとえその中に過ちがあったとしても、神そのものが民を見捨てたわけではない。

 それを信じる心――『時』に向き合う姿勢――は、変わらず大切にされるべきなのだ。

 もはやヴェルツ正教という組織を廃すことすらできたはずである。だが国王は、それを選ばなかった。

 正教はすでにこの国の根幹に深く根付いていた。排除することは、新たな分断を生むだけである。

 王の言葉は巧みだった。責任を一宗の組織ではなく、『人間の弱さ』に求め、そこに『制度』での制御を添えることで、国としての『理性』を提示したのである。

 この本質をどれだけの者が理解したかは分からない。

 だが確かに、この日を境に、ヴェルツ正教の研究と行動は国家の目の下に置かれることとなった。

 それが本当に『安心』なのかは――未来の歯車が証明するだろう。


***


 ルーシュは、広場の隅でそっと片膝をつき、中央神殿に祈りを捧げた。


「何が正解かなんて、今は分からない。でも、あの時の選択が正しかったと思えるように……これから生きていけばいいだけ」


 隣に立っていたアウグストが、静かに口を開いた。


「そうだろ?」

「……そうだな。結局、僕たちは『時』という大きな歯車の中の、小さな部品にすぎない。けど……」


 ルーシュは空を見上げた。

 王都の空には、どこまでも青く、新しい朝が広がっていた。

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