第二十三話 王冠の背後 — 信頼と裏切りの夜
ヴェルツ正教は元々、西国で迫害され亡命してきた、ただの研究者集団だった。当時王都西方を治めていた我がクロイツ家の先祖が、その研究技術の有用性を鑑み、自身の領地に迎えたのである。
当初はひっそりと、あてがわれた教会で研究に励み、武器として転用可能な技術については惜しみなく献上してくれた。当時の国王は、理解の及ばないそれらの技術を訝しみ、両手を挙げて歓迎することはなかったが、クロイツ家で責任を持つということで黙認していた。
やがて、研究者らはその土地の民と交流するようになった。
当初こそ不思議な器具を操る彼らに警戒の目が向けられていたが、やがて好奇心旺盛な子供たちが覗きに来るようになり、研究者たちも子供が喜ぶような実験を披露しはじめた。さらに、文字を知らぬ農民に読み書きを教え、農具を改良し、薬草の知識を広め、民の生活を支えていった。
不変の時を神聖視する彼らの思想は、そうした技術の信頼とともに、信仰として民の間に浸透していった。
教育、農業、建築、軍備――そのすべてにおいて、彼らのもたらした知はクロイツ家の力を強めていった。
クロイツ家は正教との結びつきを深め、統制し、王家と正教を結ぶ緩衝として、その役割を担うようになったのである。
***
まだ若き日。
王宮での日々は今でも胸に刻まれている。
「アルベルト、君は僕の右腕になるんだ。僕が王になったら、一緒に新しい国を作ろう」
そう言って笑ったフェルディナント王太子――後の国王は、兄のようであり、無二の友だった。
クロイツ家とレオント家は長年にわたって信頼関係を築き、軍事貴族である我が家は、王家にとって最も近しい盟友とされていた。
……そのはずだった。
***
ヴェルツ正教の教育普及が国内で一定の広がりを見せた頃、王宮より突如、布告が下された。
『ヴェルツ正教による教育活動を即刻停止せよ』
クロイツ家には事後報告として「一つの信仰に民の教育を任せることはできぬ」との達しがあった。
納得できなかった。
教育内容については事前に王家と協議し、正式に許可を得ていた。しかも、正教が王政に反するような教えを広めたことは一度としてない。
なぜ今更、こんな一方的な通達が来るのか。
疑問を抱く間もなく、事態は進行していった。
クロイツ領の北部の村で、放火と略奪が発生。焼け跡には国王軍の紋章が付いた破れた旗。そして、教会では司祭が殺され、経典が焼かれていた。
民の怒りは爆発した。
彼らは口々に言った。
『王家は、我々を捨てた』
アルベルトは急ぎ王宮に使者を送った。しかし、返答はなかった。
代わりに現れたのは、ヴェルツ正教の高位司祭、ヨアヒム・ヴェルツェンだった。
「貴公の怒りはごもっともです。だが……今や陛下を囲む者たちは、我ら正教をも、貴公らクロイツ家も、信じてはおられぬ」
その声は静かだったが、確信に満ちていた。
「時は流れます。流れを変えられるのは、決断した者だけです、アルベルト公爵殿」
あの声を、今でも思い出す。穏やかで、しかしあまりにも冷静だった。
***
やがて届いた一通の文書。
それは、領地再編に関する勅令草案――クロイツ家の軍事権を剥奪し、領地の半分を王領に編入する。
そこには、あのフェルディナント陛下の署名が、確かに記されていた。
(本当に……陛下がこんなことを望んでいるのか)
手が震えた。筆跡に見覚えはある。だが、そこにあったのは、あの庭園で微笑んでいた友の面影ではなかった。
(まさか……何者かが……)
わからない。だが、はっきりしていることが一つある。
――もはや、我が領民の憤りを抑えることはできない。
***
そして運命の夜。
クロイツ家の軍勢、正教の私兵、そして同調した元国王軍が王都に集結した。
アルベルトは王宮の塔を見上げた。かつてフェルディナントと登った、あの高い塔を。
「フェル……私は、おまえを信じたかった」
届かぬ想いを胸に、アルベルトは剣を握り締めた。その影が夜の火に照らされ、地に伸びた。
もう後戻りはできない。
それだけは、分かっていた。




