第二十二話 運命の時
王宮前広場には、三十周年記念式典を祝う華やかな賑わいとともに、張り詰めた緊張が漂っていた。
民衆の歓声と軍楽隊の演奏、聖職者たちの祈りの声が重なり合う中、クロイツ家の治世を讃える祝祭が進んでいく。
ルーシュはその群衆に混じりながら空を見上げる。
(ああ、完全な曇り空だな……)
先日聞いたアウグストの作戦を思い出しながら苦笑いする。
(太陽出てないなら……まあ、無理だよな)
だからと言って中断する気はない。ルーシュは書類を握りしめる手に力を込めた。
国王フリードリヒ・クロイツが自ら玉座の間を離れ、民の前に立つのはこの日をおいて他にない。
誇らしげに軍礼を受けた王は、飄々としつつも確かな威厳をまとい、壇上へと歩を進める。
「民よ、共に歩んできた三十年を祝おう!」
その声が広場に朗々と響いた瞬間――
ヒューーーーーードン!
神学校の屋上から花火が一つあがった。
それは、クロイツ家を象徴する紫色。曇り空にも確かにその色が映えた。
国王も、騎士も、参列する民も、皆その花に魅せられた。空を見上げ、国王の言葉を祝うように咲くその花に目を奪われたのである。
ルーシュはこの花火の存在を知っていた。これは式典の終わりに上げる予定となっている花火の一つ。準備に駆り出されたため忘れるわけがない。これが今上がるということは――
「そういうことだろ?」
ルーシュは一人呟いて一歩踏み出した。
空を見上げた騎士の遅れは、ルーシュが広場に出るには十分だった。
広場を埋め尽くした視線が、一斉に彼に注がれる。
ルーシュは一度大きく息を吐いてから国王をまっすぐ見つめた。
「国王陛下、そして臣民の皆様!」
澄みわたる声が広場の空気を震わせた。
王はゆったりと椅子に身を預けながらも、鋭いまなざしでルーシュを見据える。まるで、待っていたかのように。
「私は、王国教会の神学生として、皆様にお伝えしなければならない真実があります!」
ざわめきが広がり、騎士らが一斉に銃口を向ける。だが王は手を軽く上げ、制した。
「続きを聞こう」
深く息を吸い込んだルーシュは、一歩壇上に近づき、手にした書類の束を高く掲げた。
「ヴェルツ正教は、かつて私利私欲のために我が国王を欺き、前王朝に謀反をそそのかしました!その陰で偽造された書類、秘密裏に交わされた密約――ここに、そのすべての証拠が記されています!」
観衆がざわめき、驚きの声が広がる。
「そして、それだけではありません」
ルーシュの声はさらに強く響く。
「神学校旧校舎の地下では、今もなお秘密裏に『時を操る装置』の開発が続けられています」
ルーシュは証拠を差し出しながら続けた。
「王国を欺いたのは過去だけではありません。今もなお教会は、この国の時をも支配しようとしているのです!」
一層ざわめきが広がる。観衆は互いに顔を見合わせながら、不安と驚きに声を潜めた。
王の横に控えていた大司教が、ゆっくりと前に出た。
「陛下、このような若輩者の言など、取るに足りませぬ。どれほど誇り高き教えも、理解の及ばぬ者には届かぬもの。そのような者こそ、世を惑わす言葉を弄するものでございます」
言葉は重く響き、民衆も一瞬静まりかえる。
王はその言葉を受けても、微笑を崩さなかった。大司教を一瞥してから静かに立ち上がると、ルーシュから書類を受け取る。
「私は自らの目で確かめたい性分でね」
証拠の束を繰り、視線を落とす。
一枚、また一枚。
そして、ふと手を止めた。
「……大司教殿。ここに、そなたの署名があるが?」
広場に凍りつくような沈黙が落ちた。
大司教の顔がわずかに引きつり、額には薄い汗が滲む。民衆は再びざわめき始めた。その目は疑念と怒りに満ち、大司教を射抜くように注がれる。
王は顔を上げ、群衆を見渡した。その声は、どこまでも静かで、どこまでも力強かった。
「この勇気ある青年の訴えを無視できぬほどの証拠がある。この件は私が責任を持って追及しよう。クロイツ家は、民とともに歩む。誰のためでもない、『皆』のための時を刻むのだ」
重臣、そして民がその声を聞き、頭を垂れた。まるで、止まっていた歯車が動き出したかのように。
国王はルーシュに目を向けた。
「君、名は何と?」
「ルーシュ……ルーシュ・フェルナーと申します」
ここで初めてルーシュは国王の前に立っていることに気づき片膝を地面につけ、頭を下げた。
「ルーシュよ。君の訴えは民に示された。後は、王たる私が責任を持とう」
その声に応じて、王は力強く手を掲げる。
「ここに名のあるものを拘束せよ!」
兵たちが一斉に動き出し、緊張が広がる広場に新たな波が走る。民衆のどよめきはやがて歓声へと変わり、希望の音となって空へと昇っていく。
「これより、ヴェルツ正教を粛清する!彼らの企みによる王国の混乱は、今ここで終わる!」
広場に響き渡る王の宣言。
歓声と安堵の声が交差した頃、正午の鐘が響き渡った。




