第十七話 滅びの日の誓い
その日は綺麗な青空がどこまでも広がっていた。
エリーゼ王女は、小さな足音を響かせて、お気に入りの場所に向かう。
そこには、華美な装飾が施された大きな振り子時計があった。陽の光を受け、埋め込まれた宝石が鮮やかな光を放ち、ガラス細工が煌めく。
そして、振り子の周りには王家の紋章が彫られた琥珀が埋め込まれていた。王家がその象徴として大事にしてきたものだった。
エリーゼはこの時計が大好きだった。
今日もいつものように時計の前に来て琥珀に触れた。代々レオント王家が大事にしてきた琥珀。陽の光のような暖かさを感じる。
一つ一つ撫でていると――
カチリ
琥珀が外れてしまった。
(大変!お父さまに怒られちゃう!)
エリーゼは急いで取れた琥珀を服に隠しその場を後にした。
そのまま庭に出ると、エリーゼの側近護衛であるレオン・シュタルクが駆けてきた。
「王女様、外に出るときはお声がけください」
「レオン、大変なの!」
泣きそうな顔をするエリーゼにレオンは近づき膝をつく。
「どうしましたか?」
「見て、これ……」
エリーゼが結んだ手を開くと、そこには王家の紋章が刻まれた琥珀があった。
「これは……振り子時計の?」
「わざとじゃないの!触ったら取れちゃって……」
今にも溢れそうな涙を溜めて下を向く。
「お父さまに怒られちゃう」
レオンは優しく微笑み、優しくエリーゼの頭に手を乗せた。
「大丈夫ですよ。こんなことで陛下は怒りませんよ。あとで一緒に戻しに行きましょう」
エリーゼが安心して顔を上げたその時だった。
王宮から近衛兵が足早に二人へと近づいてきた。
「王女様、レオン殿……すぐに王宮を離れていただきます」
「なぜですか?」
レオンが問うた瞬間、遠くから聞こえる怒声と剣戟の音が、すべてを語っていた。
「反乱……ですか……」
「はい。王女様を安全な場所へ」
護衛の顔は固く、それでいてどこか決意がにじんでいた。レオンと同じく、王家に忠誠を誓う一人だった。
馬車がすぐに用意され、エリーゼはレオンとともに乗り込む。
王宮を離れる瞬間、エリーゼは振り返り、愛しい宮殿を見つめた。
「お父さまは?」
「陛下は最後まで国とともにあります。必ずお守りします」
そう告げられても、幼い王女の瞳は潤んだままだった。
馬車は激しく揺れながら北東を目指した。
「これ以上は道を通るのは危険です」
しばらくすると、馭者が言った。
「ここから先は、徒歩で山を抜けた方がよろしいかと」
選択肢などなかった。レオンはエリーゼの手を引き山に入って行った。
代々、王家の護衛を務めてきた家である。国内の地形や山の越え方などは頭に入ってる。しかし、王女を連れてとなると……。
「レオン、これ以上歩けないわ」
「王女様、ここで止まるわけにはいけません」
時にエリーゼをおぶってでも歩を進めた。
ある程度進んだところでレオンは休憩することにした。
大きな木に寄りかかりながら二人並んで座り、王宮を出る時に持たされた黒パンを齧った。
「お父さま、大丈夫かしら……」
エリーゼが震えながら何かを握りしめる。その隙間から見えたのは、あの琥珀だった。
「王女様、それは危険です!貸してください」
レオンはエリーゼの手から琥珀を取り上げた。そして、胸元から短剣を抜き、琥珀の表面に刻まれた王家の紋章を慎重に削り取る。
琥珀の中の象徴が薄れていくたびに、エリーゼは悲しそうに目を伏せた。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はございません。ただ、王女様の安全のためにご容赦ください」
レオンにとっても忠誠を誓った王家の紋章を削ることは自らの精神を削っているようなものだった。
(どうか王女様だけでも……)
少し休憩を取るとすぐに目的地を目指した。
「もうすこしです。もうすこしで、安全な場所に……!」
険しい山道を越え、ようやくたどり着いた村。そこは国の北東にある小さな農村だった。
村の教会で二人を出迎えたのは、年老いた神父だった。
レオンは懐から王家の封蝋が押された文を取り出し、神父に手渡す。
「王よりの密命にございます。王女様の身柄、どうかお預かり願います」
神父は静かに頷き、そして二人を温かく迎え入れた。
***
しばらくして、エリーゼは村の暮らしにも少しずつ慣れ始める。とはいえ、王女であったころの習慣は簡単には抜けない。
「お風呂が毎日じゃないなんて……」
「畑の泥は、こんなにも手強いのね……」
初めは不満を漏らし続けるエリーゼを、レオンはそっと励ますように寄り添った。
夜になれば、エリーゼは焚き火の前で寂しげに空を見上げる。
「お父さま……」
レオンは隣に座り、肩をそっと貸した。
「王女様、必ずまた、陽は昇ります」
やがて村の生活にも溶け込み、二人は慎ましく懸命に暮らした。
落ち着いたある日、レオンは削った琥珀を革紐で包み、ペンダントにしてエリーゼの首にかけた。
「これは、どんなに離れていても王女様を守る印です」
エリーゼは嬉しそうにその琥珀を握りしめた。
月日は流れ、二人の間に子が生まれる。
陽の光に透けるその髪は、淡く澄んだ琥珀色。
小さな命は、かつての王家の輝きを思わせる光を宿していた。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
ある日、村に役人が定期訪問に来た。レオンはその顔に見覚えがあった。
当時から王宮に出入りしており、革命時は寝返った貴族だった。何気に上げた目線がそいつと交わったのである。
(見つかった――)
二人はすぐに決断し、行動を起こした。
誰にも告げず、愛する子を残し、二人は村を去った。
「ルーシュ……どうかこの子を守って」
幼い我が子にペンダントを添え、エリーゼはそっと祈る。
「どうか、強く生きて……」
こうして、レオント家の血筋は、ひそやかに運命の歯車を回し続けることになる。




