第十四話 ラインベルク家の鍵
ここに来てすぐ、あるメイドに聞いたことがあった。
「なんでいつも寝室に鍵をかけているのですか?」
「ああ。先先代の時から重要書類を寝室に保管してまして。だから、不在時も執事が常に管理してるんですよ」
寝室に重要書類を隠す。これはままあることである。外からの来客が来るような場所でもなく、メイドも決まった者しか入ることがない。当主がいつでも確認でき、寝ている間でも盗まれる心配は少ない。
この話を耳にした当時は、「まあ、よくあることだけど、邸宅の奥にある私室であるのに常に鍵をかけておくなんて心配性だな」くらいにしか思わなかった。
一度本人にも聞いたことがあったが、先代から受け継いだもので、内容もよく知らないと無関心であった。ただ、慎重に管理することだけは執事に引き継ぎされていたらしく、現在も厳重に管理しているだけ、ということらしい。
正直エルザは何の興味もなかった。貴族に嫁いだ妻の役割は家計の管理や使用人の監督であり、政務に関わることはない。それよりも、代々傍若無人に振る舞ってきた当主たちにより統制の取れてない使用人をまとめたり、好き勝手無駄遣いしてきた家計を管理することで手一杯だった。
ルーシュからあんな言葉を聞くまでは――。
『……教会で……何か、正しくないことが行われている』
ラインベルク家は先先代にヴェルツ正教との繋がりを強め、その後の革命時に勢力を拡大した。
もしかしたら正教のことがわかるものでもないか、と書斎を覗いてみたが、特に収穫はなかった。
そして残ったのが、例の重要書類であった。
***
その晩、エルザはディートリヒ伯爵の寝室を訪れた。
トントン。
「どうぞ」
ディートリヒはすでに寝巻き姿でベッドに入っていた。
「こんな時間にごめんなさい。今日も遅かったのね」
「ああ。面倒だが、雪解けの季節は領地の視察に行かないといけないからな」
「……そう」
エルザが入口で俯いていると、「君から来るなんて珍しいな」とディートリヒが近づいてきた。
そして、エルザの腕を強く引っ張り抱き寄せ、耳元で囁いた。
「そろそろ跡継ぎを作らないとな」
そう言うと、エルザの顔を上げ、キスをした。
*
エルザは隣で寝息を立てるディートリヒをしばし確認した後、静かにベッドを抜け出した。
寝室にある家具類はシンプルなテーブルと椅子、そして天蓋のついたディートリヒお気に入りのベッドのみ。隠し場所として一番に考えられるのはベッドの下だった。
月明かりを頼りに覗き込んで見るが、暗くてよく見えない。そもそも見えたとしても、奥まで腕が届くわけでもない。
その時、エルザはふと嫁いできたときのことを思い出した。歳が近く仲良くなったメイド・ミーナが言っていたのである。
「ディートリヒ様はだいぶあなたにお熱みたいよ。このタイミングでベッドも高級なものを取り寄せたみたい」
エルザとしては苦笑いするしかなかったが、先先代から引き継がれたものを、関心のないディートリヒがわざわざ新調したベッドに隠すだろうか?
エルザが思案しながら顔を上げると、ちょうど雲間から月明かりが差し込み、室内を照らし出した。
そして、壁にかけられた一つの絵画が目に留まった。
それは先先代当主の肖像画であり、領地を拡大した革命の後に作らせたものだと聞く。自身の権力を誇示したいのか、過剰なほどに装飾がなされ、なかなか趣味が悪いな、という印象しか持っていなかった。だが、こうして改めて見てみると、むしろこれこそがこの家を象徴しているかのように思えた。狡猾で専横で傲慢不遜な振る舞いをするこの家を。
エルザは絵画にゆっくりと近づいた。
そして、手を伸ばし、裏を覗いてみる。
そこには、くすんだ羊皮紙の包みが貼り付けてあった。
(これが重要書類……?)
エルザはその包みを外そうとしたが、厳重に糊付けされた上に、絵画に釘打ちされていたためびくともしない。
力づくで取り外すのは諦め、エルザは絵画と壁の間に身体を滑り込ませる。近くで見ると、その包み自体も、糊で封をした後に細い麻糸で念入りに縫い閉じられていた。
エルザは懐から裁縫バサミを取り出し、震える手を抑え、慎重に縫い目を切断した。静かな室内に鋼のすれる音だけが響く。高まる鼓動でディートリヒが起きてしまうのではないかと不安になり、何度か深呼吸を繰り返し、ようやく中の羊皮紙が取り出せる程度の隙間ができた。
エルザは包みの中から羊皮紙を一枚取り出し、その内容を目にして言葉を失った。しかし、そんな悠長なことをしている暇はない。
(とりあえず、これをルーシュに渡さないと)
エルザは寝巻きの隙間に羊皮紙を隠す。そして、一度ベッドに戻り、寝ているディートリヒの顔を覗き込んだ。
(大丈夫……よく寝てる)
その本当にあどけない寝顔に胸の奥が苦しくなる。
(きっとこの人は何も知らない……)
悪い噂とは対照的にディートリヒはエルザのことを大切にしてくれた。
確かに甘やかされて育った道楽息子で、権力を振りかざして自分勝手にしてきたのだろう。しかし、それが当たり前と言われ育ってきたただの純粋な青年にも見える。
エルザはディートリヒの頬に触れた。
(でも……このままでいいわけがない)
エルザが振り返りもう一度ベッドを抜け出そうとしたとき――
腕を掴まれた。
エルザは驚いて大声が出そうになるのを、自分の手で何とか止めた。
「……どこに行く?」
半分寝た状態のディートリヒが尋ねてくる。
「お手洗いに行きたくて……」
エルザは極めて落ち着いた声を心掛けた。ディートリヒは特に気にした様子もなく、「そうか」とだけ言ってまた寝息を立て出した。
エルザはその様子を確認した後、部屋を出た。
廊下は窓から月明かりが差し込んでいたが、何やら不吉で、このまま進んでいいのか迷わせる光景だった。
エルザは深呼吸して、一歩踏み出した。




