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第十三話 原初の聖句2

 クロノフェルデ王国の西端――

 険しい山々と深い森に囲まれたこの地は動きの激しいヴァルデンツ帝国を危険視して、常時監視が置かれている。

 エメリヒ・クロイツはこの西部を領地とするクロイツ家の嫡男である。

 国王から軍管理や外交も任せられている力のある貴族であるが、本人は机仕事より、外を散歩する方が好きで、領地視察という名のお出かけばかりしている。最近はもっぱら山に入っては珍しい石を集めている。

 エメリヒが山の方に向かっていると、声をかけられた。


「エメリヒ様、どちらへ?このあたりの国境は危険です」


 山道に足を踏み入れたところで、国境警備の兵士に声をかけられる。


「問題ない。ここの山は庭みたいなものだ」

「しかし……」

「領地の地形を熟知しておくことも大切な仕事だろ?」


 そう言うと、兵士は何か言いたそうな顔をしながらも渋々頭を下げた。

 山の中は美しい。王都の騒がしさは好まない。常に周りに付きまとう臣下も。こうして葉の擦れる音、肌を撫でるような風、草の匂い……身体中の感覚を刺激してくれる。

 しばらく歩いていると山道に転がっていた紫色の小石が目を引いた。


(綺麗だな……)


 布に包もうと腰を屈めた、その時――

 視界の端に、人影が揺れた。

 瞬時に腰の剣に手をかけ、木陰に身を隠す。

 そっと覗き込むと、ひとりの男が、倒れて動かずにいた。


(……死んでる?)


 恐る恐る近づいてみると、意識を失った薄汚れた男が倒れていた。


(誰だ一体……?)


 エメリヒは意識のない男を縛り上げてから、顔に水をかけた。


「……っ」


 男は咳き込みながら目を開いた。そして、自らの身体が縛られていることに気づくと、がたがたと震え始めた。


「……申し訳ありません…どうか、命だけは」


 そう言い、全身縛られた状態で跪く。


「……別に殺すつもりはない」


 エメリヒはまっすぐ男を見る。

 男の衣服はかつて上等だったとわかるが、今は擦り切れ、泥に塗れている。


「……おまえ……帝国の者か?」


 その問いに、男は目を伏せ、微かに震えた。


(やはり、亡命者か)

「なぜこんなところに倒れていた」


 男は答えようとしない。


(――ならば)


 エメリヒは剣に手をかける。

 しかし、先ほど命乞いをしてきた男は静かに頭を垂れた。


(……何か隠したいことが…)

「他にも誰かいるのか?」


 この質問にも微動だにしない。

 エメリヒは大きくため息をつき、その場に腰を下ろした。


「殺すつもりはないと言ったであろう。ここは我がクロイツ家の領地だ。把握できないことがあるのは、困る」


 そう言うと木に寄りかかり、先ほど拾った石をまた眺め出した。

 そんなエメリヒに意表を突かれたのか、男も顔を上げその石を一緒に覗き込んだ。


「……アメジストの原石、ですね」

「知っているのか?」

「はい。自然界では紫ですが、熱を加えると、黄色に変わるんです」

「黄色に?嘘だろう。せいぜい焦げるくらい」

「……試してみますか?」

「試せるのか?」

「少し設備が必要ですが……よろしければ、案内いたします」


 エメリヒはしばし考えたが、好奇心が勝った。


「よかろう」


 そう言うと、男の縄を解いた。



 男に導かれて、一時間ほど山を歩いた。

 やがて木々の影に、岩に隠れるように口を開いた洞窟が現れる。


「こんなところに洞窟があったとは」

「段差で隠れているのでなかなか見つからないのです」


 男は慣れた足取りで、半地下のような傾斜を降りていく。

 エメリヒも後に続いた。

 中は思ったよりも広く、天井に小さな穴もあり空気も流れていた。

 奥に進むと、十数人の人影が見えた。


「カスパル!無事だったのか!」

「帰ってこなかったから心配してたぞ!」


 次々に声が飛ぶ。その後ろに現れたエメリヒに気づいた瞬間、空気が一変した。

 綺麗な衣服に身を包み、腰に剣を差した男――誰もが黙り込み、警戒の色を強める。

 その中で、初老の落ち着いた男が一歩前に出た。


「彼は?」

「こちらの領地を治めるクロイツ家の方です。気を失っているところを助けていただきました」


 その初老の男は一度頷くと、エメリヒに視線を移す。


「ありがとうございます」


 そう言って深く頭を下げた。

 そして続けた。


「ここの領地を治めておられるとのことですが、どうか、ここのことはお見逃しいただけないでしょうか?」


 エメリヒは少し眉を顰める。


「そんなことより、これを早く黄色にしてくれ」


 そう言って、紫の石を差し出す。

 洞窟の中の男たちは戸惑いながら顔を上げ、その石を眺めた。


「……アメジストですか?」

「やはり皆、知っているのか。本当に黄色に変わるのか?」

「ええ、条件が整えば」

「ぜひやってくれ」


 目を輝かせて話すエメリヒに初老の男が確認する。


「しかし、黄色に変色させると価値が下がりますけど、よろしいのですか?」

「価値……?」


 まったく興味のない顔で首を捻る。


「そんなことどうでもいい。早くやってくれ」


 洞窟の男たちは早速、石で手作りした簡素な炉を準備し始めた。炉の準備が整うとアメジストを炉の中に置く。


「少し待っていてください」

「ふむ、問題ない」


 エメリヒは初めて見る炉、そして変わった研究道具に目を奪われた。


「これは何に使うのだ?」

「これは石を均等に砕く物です」

「これは?」

「これは静電気を誘発する道具です」

「ではこれは?」

「液体を加熱し、蒸気として集める装置です。蒸留ですね」


 目を輝かせて質問を繰り返すエメリヒに、男たちも徐々に口が滑らかになっていく。

 しばらくすると、炉の方から声がかかった。


「どうぞ、ご覧ください」


 そこには、先ほどまで紫色だった石が確かに鮮やかな黄色に変わっていた。


「魔法みたいだな……」


 エメリヒは呟いた。


「魔法じゃありませんよ。熱によって石の内部構造が変化したのではないか、と言われています」

「構造?見た目は変わってなさそうだが?」

「目で見える世界ではないのです」


 男は優しく微笑んだ。

 エメリヒはしばらく石を眺めてから顔を上げた。


「ところで一体どうしてこんなところにいるんだ?」


 男たちは視線を交わした。語るべきか、否か。だがその沈黙を破ったのは、エメリヒの言葉だった。


「私は君たちにとても興味がある。もっと色々なことを教えてほしい」


 初老の男が徐に口を開いた。



 ことの経緯を聞いたエメリヒは少し思案してから、「場所を用意しよう」と言った。

 その言葉に男たちは息を呑む。


「……というのは…」

「このまま森の中に隠れていても、いずれ限界が来る。我がクロイツ家で保護しよう。ちゃんとした建物も用意する」

「本当ですか?!」


 男たちは安堵から顔を綻ばせた。


「しかし、父上を説得する必要がある……そのためには、君たちが『協力者たりうる』ことを示してもらわねばならない」

「それでしたら!」


 後方にいた男が手を挙げて声を発した。


「この辺りの国境はいつ攻め込まれてもおかしくない状況だと聞いております。だから、私たちも隠れ家にちょうどいいと思ったのですが……」

「それで?」

「私たちの知識で、国境防衛に貢献できるかもしれません」

(なるほど、そういう使い道もあるのか)


 エメリヒは顎に手を当てて口を緩めた。


 『国境防衛に貢献』とは新たな武器の提案であり、黒色火薬より威力のある爆薬の配合比、弾道計算により命中率が上がる砲弾、高性能望遠鏡を用いる監視などであった。

 差し出された紙をめくりながらエメリヒは唸る。簡単に、その話を鵜呑みにすることはできなかった。


「……こんな数式やら図を見せられてもな……正直その目的も有用性もさっぱりわからん」


 男たちは気まずそうに苦笑した。

 その時、エメリヒは、ふと視線を上げ、洞窟の壁に目を止めた。

 そこには、幾重にも文字や記号が刻まれていた。


「……これは……?」

「実験の記録です。ここで夜通し、交代しながらデータを取り、忘れぬように刻んできました。紙がなくなったとき、何に書くか議論になりましたが……誰かが言ったんです。『この壁ごと、私たちの脳にしてしまえばいい』って」


 エメリヒはゆっくりと歩み寄り、岩肌に刻まれた記号を手でなぞった。

 削られた文字、擦れて薄れた線、何層にも上書きされた数式の痕跡。

 そのどれもが、追求することへの執念であり、科学という『信仰』の祈りにも似ていた。


「何百、何千と繰り返して……ようやく見つけたんです。法則という『秩序』を。それは目には見えないけれど、確かに存在するんです」


 その声には誇りも奢りもなく、ただ、静かな熱が込められていた。

 エメリヒはもう一度、壁に触れた。


「……こうやって、『摂理』を紐解いてきたんだな」


 その手はやがて、すり減った岩の感触に、そっと力を込めた。


***


 エメリヒが彼らにあてがったのは、領地西部の古びた教会だった。

 資材や金銭の動きがあっても目立ちにくく、集団で住むには最適だった。

 最初こそ、男たちは『教会』という言葉に怯えていたが、やがてその建物を『祈りではなく、秩序を刻む場所』として受け入れていった。

 広い聖堂に実験道具を持ち込み、祭壇には、精密な振り子時計を置いた。

 そして、皆、『祈り』というほどでもないが、自分の胸に手を当て、不変である振り子時計の『時』を眺めることが習慣となった。

 神の時間も民の時間も関係ない。時は万物に平等であることに感謝して。

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