第十二話 原初の聖句1
一部、地震の描写があります。苦手な方はご注意ください。
――時は百年ほど遡る。
クロノフェルデ王国の西に位置するヴァルデンツ帝国は、領土拡大を続ける軍事国家だった。その影響で、王国西部では国境線に日夜監視が置かれていた。
ドカン!
部屋に大きな音が響いた。
耳がキーンとする。咳をしながら時計を見上げた。
「お、いい感じだ!予想通り!」
そう嬉々と叫んだのはカスパル・リューエン。
周りの男たちも耳を押さえながらその音の源を見る。
「おい!大きい音出すと気づかれるだろ!」
「あ、すいません……今、時間差動作の実験をしてまして……」
カルパスは頭に手を置き、軽く頭を下げる。
「火薬の量、調整しろよな」
一人の男がそう言って大きめの布を投げた。
「顔、洗ってこい」
ここはヴァルデンツ帝国中心部より数十キロ東の山間部。リーダーであるイェルク・アーレンスの邸宅である。
ここに集っている者たちは、もともと帝国の大学や研究機関で学問を極めていた。
しかし、数年前に皇帝が代替わりし、ある一神教を国教に制定した。それを境に、『教義に反する』科学や思想は異端とされ、学者たちは次々と職と研究の場を追われた。
研究を続ける手段も、資金も、保証もない。
そんな追放された者たちを集めたのが、この屋敷の主――イェルク・アーレンスだった。
「ここは目立たない場所だが、中心部からそう遠くない。細心の注意を払ってくれ」
「申し訳ございません」
研究に熱中していたカスパルはバツの悪そうに頭を下げた。
そう、ついうっかりでは済まないのである。
当初は宗教に帰依すれば命までは奪われなかった。しかし、最近では異端者への粛清が激しさを増しているという。
つい先日も隠れて天文学を研究していた者が火刑に処された。
命懸けなのである。
カスパルは壁の振り子時計をまっすぐ見て、その振り子の動きに呼吸を合わせていく。ゆっくりゆっくり。
「なあ、カスパル。おまえいつも時計を眺めて何をしてるんだ?」
カスパルは振り子時計を見つめたまま答える。
「……呼吸…です。常に一定に刻まれるこの振り子に呼吸を合わせると落ち着くんです。時は不変だと」
質問した男も振り子時計を眺める。
「何を当たり前なことを。不変じゃないと困るだろ。実験結果に影響する」
「確かに」
二人は顔を見合わせて笑った。
***
太陽が昇る頃、カスパルは重たい身体を起こした。昨夜の実験は夜明け近くまで及んでいた。
昼間は、誰もが『普通の村人』として振る舞っていた。
隠れ家の存在を悟られぬよう、農地を耕し、教師をし、信仰深き人々を演じながら暮らしている。
……いつまで、こんな二重生活が続けられるかわからないが。
「おはよう、坊主」
桑を担いで隣家を訪れると、幼い男の子・テオが駆け寄ってきた
「おはよう!」
「母ちゃんの具合どうだ?」
「元気だけど、もう畑仕事は無理だって」
「まあ、そうだろ。任せとけ」
そう言って、カスパルはテオを連れ出した。
この村に移住してきてから仲良くなった親子である。
テオの母・イルゼは、数ヶ月前に夫を事故で亡くし、今は身重の身体で家に残っていた。その父親に畑仕事を教わった恩もあり、カスパルは自然と二人の面倒を見るようになっていた。
午前の作業を終え、二人で庭先で黒パンをかじっていた時だった。
――ズズン……!
突然、大地が鳴った。
建物が軋み、地面が揺れた。体感では何分にも思える長さだったが、実際には一分にも満たなかった。
「坊主、大丈夫か?!」
「……うん」
「外にいろよ!また揺れるかもしれない」
テオに言い残し、カスパルは隣家へ駆け込んだ。
「イルゼさん、大丈夫ですか?」
入り口からの声掛けには応答がなかった。
すぐさま中に入る。そこで見たのは――跪き、天に向かって祈るイルゼの姿だった。
「……神様どうか怒りを鎮めてください。どうか……この地に再びご加護を……」
「何してんだ!早く逃げるぞ!」
腕を引いたカスパルに、彼女は頑なに答える。。
「逃げても無駄です。神が怒っておられのですから。罰を受けるのは、私たちが信仰を忘れたせいです」
「馬鹿言うな!地面の揺れは地中のガスが影響していると聞いたことがある。ちゃんと原因がある」
その言葉にイルゼは目を見開く。
「……なんてことを言うのですか……神を冒涜するのですか…?」
カスパルは一瞬眉を顰めたが、緊急事態であるため仕方がない。
「またすぐ揺れるかもしれない。このままここにいると潰れて死んじまうぞ!」
「それも神の御導きです。神は私に永遠の命を与えようとしているのです」
カスパルは怖くなった。彼女の目がどこかわからない世界を見ているようで。
「とにかく!」
カスパルがイルゼの腕を再び引いた――その瞬間、二度目の揺れが襲った。
床が割れ、天井が崩れる音が響いた。
振り返った彼の目に、瓦礫の下敷きになった彼女の姿が焼きついた
外に出ると、テオが一人不安そうな顔で立っていた。家畜が暴れ、空には土埃が舞っていた。
ふと、周りの家を見渡して背筋がゾクリとした。
(なぜ村人が全然いない……)
「おい、他の村人は?」
すると徐に答える。
「みんな祈っているんじゃない?だって神が怒っているから。僕らには祈るしかできない」
その低い声と虚ろな目に冷や汗が出る。
「なに馬鹿なことを!俺は家を回ってくる!おまえは外で待っとけ」
「おじさん!!」
踏み出そうとした足を戻して振り返る。
「……『馬鹿』ってどう言うこと?おじさんは神を冒涜するの?」
その言葉に、血の気が引いた。
――もう、この村では生きられない。
結局、生き残ったのは倒壊を免れた家の者だけだった。
元通りにするには時間がかかるな、そう思いながら空を見上げていると、村人たちから明らかに冷たい視線を感じた。
そして、動きはすぐだった。
次の日の夜、馬の音がすると思ったらカスパルの家の前で止まった。
ノックする音。そして、無理やり中に入ってくる。
しかし――
そこには誰もいなかった。
さすがにあの視線に気づかないほど愚かではない。
カスパルは研究仲間が集まる隠れ家へと身を寄せていた。そこには、自分と同じように『村での立場を失った』仲間たちの姿があった。
そして、リーダーであるイェルクが言った。
「……亡命するしかない。ここも、長くはもたない」
誰もが黙り込んだ。
だが、皆、心のどこかで覚悟していた。
その夜、彼らは東へ――クロノフェルデ王国の山岳地帯を目指して歩き出した。




