第六話 再会と再燃する想い
夜の王都は、昼間の喧騒とは違う華やかさを纏っていた。ガス灯が灯る大通りを馬車が行き交い、石畳の広場には絹のドレスと燕尾服に身を包んだ人々が笑いさざめく。
蒸気機関の汽笛が遠くで響き、屋敷の窓からは音楽と香水の甘い匂いが漏れている。
この夜、ルーシュは王宮近くの大サロンにいた。
王宮と教会が共催する社交パーティー。王都でも名のある貴族や聖職者、学者が集い、最新の蒸気技術や工芸品の展示が行われる一夜。
神学校からは優秀な生徒代表として数名が招かれ、ルーシュもその中に選ばれていた。
「こんな場に来るのは初めてか?」
アウグストが隣で苦笑する。
「田舎者みたいな顔になってるぞ、ルーシュ」
「……否定できないな」
ルーシュはぎこちなく笑いながら、シャンデリアが煌めくホールの中を見渡した。
「君は流石に子慣れてるな」
「まぁ子供の頃からこういうのには参加させられていたからね」
そう言うアウグストはやはり華やかな雰囲気が似合い、育ちの良さが滲みだす出立だった。
光と音と色。まるで別世界のようなきらびやかさ。どうもこのような雰囲気は落ち着かない。
自分がこうした場所にいていいのか――そんな違和感が、胸の奥で静かにざわめいていた。
やがて、主催者による挨拶と展示の案内が始まる。
人々は歓声を上げ、蒸気機関の模型や時計仕掛けの装置に目を輝かせている。
ルーシュも、自ら設計に携わった新型時計仕掛けの展示の説明役として、人々に囲まれていた。
「これは重力と振り子の動きを同時に利用し、誤差を極限まで抑えたものです」
いつもの講義では動じないはずの口元が、少しだけ強ばる。
だが、彼が説明を終え、ふと顔を上げたその時――
目が釘付けになった。
そこだけ異様に浮かび上がり、光を纏っているかのように見えた。
目を逸らしたいのに逸せない。
(……幻?)
そう思って目をこする。
幻ではなく、本当にエルザがいた。
煌めくシャンデリアの光の下で、気品に満ちたドレスを纏い、微笑みを浮かべて立っていた。村にいた頃のあどけない笑顔ではなく、貴族夫人としての洗礼された笑顔。ルーシュの知らない顔だった。
隣には、ディートリヒ・ラインベルク伯爵の姿がある。
ルーシュの胸が、一瞬、呼吸を忘れたかのように詰まった。
エルザも、ルーシュに気づいた。その瞬間、張りつけた微笑がわずかに揺らいだ。懐かしさ、驚き、そして戸惑い――そんな感情が、ほんの一瞬だけその瞳に宿る。
伯爵がエルザの耳元で何か囁き、彼女と共にゆっくりとルーシュの方へ歩み寄る。
ルーシュは姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「ディートリヒ伯爵様。初めてお目にかかります。ルーシュ・フェルナーと申します」
「どうも。優秀な神学生だと伺っています。……妻の幼馴染と聞いていますよ、奇遇ですね」
伯爵は微笑を浮かべながらも、どこか探るような視線を向けてくる。エルザは伯爵の一歩後ろで口を閉ざし、目を伏せたままだった。
形式ばった挨拶の後、ディートリヒは別の貴族に呼ばれてその場を離れていった。エルザも何か言いたそうな視線を一度ルーシュに向けたが、何も言わず、夫のあとを追った。
ルーシュは懐かしいような、今まで見てきたエルザとは違うその後ろ姿を見つめ、静かに息を吐いた。
(……当たり前だけど、時間は流れてたんだ)
笑ったときの目元の角度や、仕草の一つ一つ。知っているようで、知らないものになっていた。
変わったのは彼女だけじゃない。きっと自分も――。
「よし、今は……自分の仕事をしよう」
気持ちを切り替えるように、展示に戻って質問に答えた。
*
夜会の終わり。
ルーシュは展示物の片付けのため、会場に残っていた。
参加者たちが順に退場していく中、人の波を縫うように、一人の女性がこちらへと向かってくる。
エルザだった。
エルザはルーシュの前に来ると、小さく折り畳まれた紙片を胸元にそっと押し当てた。ルーシュが驚いてそれを両手で受け止めると、一言も発さないまま、踵を返して人波に消えていった。
その後ろ姿を呆然と見つめていたが、ハッとして受け取った紙片をポケットへとしまう。そして、何事もなかったかのように、姿勢を正し微笑んだ。
再び交わった『時』。
けれど、それは、すぐに離れてしまう針のようだった。
ルーシュはしばらく、エルザが去っていった扉のほうをじっと見つめていた。胸の奥に、言葉にならないざわめきが、絡みつくように残っていた。
その時、背後から軽快な声が響いた。
「そんなところで、何突っ立ってるんだよ?」
アウグストだった。
振り返ったルーシュは気まずそうに目を逸らし、そっけなく答える。
「……べつに」
すぐにその場を立ち去ろうとしたが、アウグストが素早く腕を掴んだ。
「待て待て。先ほどの奥様は誰かな?」
にやりと笑みを浮かべ、わざとらしく覗き込んでくる。
「……誰のことだよ」
気まずさを隠そうとするが、声にわずかな焦りが滲んでしまう。
「しらばっくれるなよ」
アウグストはさらに追い打ちをかけるように、さっきルーシュが見送っていた扉のほうをちらりと顎で示した。
「さっきおまえが見つめてた彼女のことだよ」
一拍の間があった。ルーシュは観念したように、小さくため息をつく。
「……ただの、幼馴染だよ」
「ふうん、『ただの』ねぇ」
アウグストは唇の端を上げ、からかうような声音で返した。どこか含みを持たせたその言い回しに、ルーシュは応えず踵を返す。
その背中に、アウグストがくすっと笑いながらひとこと。
「顔が赤くなってるぞ」
足を止めかけたが、ルーシュは無言で歩き続けた。けれど、その耳だけはうっすらと紅潮していた。




