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第四話 青い炎1

 夏の終わりが近づき、村を吹き抜ける風にわずかな涼しさが混じり始めた頃ーー

 グリュンヴァルト村では、ある噂が囁かれるようになっていた。


「夜になると、村外れの沼地で青い火が浮かぶ」


 最初は誰かの見間違いだと笑われていたが、日に日に目撃談は増え、やがて子どもたちの間では「鬼火」と呼ばれ、夜な夜な沼から現れる不気味な火として恐れられるようになっていた。


 ある日の午前。

 ルーシュはいつも通り教室で読み書きの授業を終え、昼食を済ませると、助祭から一つの頼まれごとを受けた。


「ルーシュ、午後に村のパン屋と薬草屋に届け物がある。ついでに広場で、村の様子を見てきてくれ」

「分かりました」


 手提げ袋を受け取り、教会の門を出たルーシュは、昼下がりの陽射しの下、村の小道を歩き出す。

 空は澄み渡り、遠くの山並みには早くも秋の気配が漂い始めていた。


「ああ、くすぐったいな……」


 くすぐるような陽射しに、ルーシュは袖で鼻先を拭い、風が頬を撫でるのを感じながら足を進める。

 途中、湖のほとりに差し掛かったとき、ふと足を止めた。


 水面に映る秋空はどこまでも澄み渡り、さざ波がきらきらと光を散らしている。

 ルーシュは何気なくポケットに手を差し入れた。指先がなじみのある小袋に触れる。

 周囲をぐるりと見渡す。誰の姿もなく、耳を澄ませば、かすかな水音と風のざわめきだけが聞こえる。


 (……少しくらいなら)


 心の中で呟きながら、袋の口を緩めた。

 布の奥から取り出したのは、飴色に輝く琥珀のペンダント。

 太陽の光を浴びて、琥珀は温かな色彩を放ち、表面の小さな傷が光を屈折させる。


 「あっつ!」


 思わず声が漏れ、ルーシュは指先でペンダントを持ち直した。陽の光で熱せられたそれは、まるで命を持つようにじんわりと温かい。

 これは赤子の頃から教会で育てられたルーシュにとって、両親の存在を感じられる唯一のものであった。


(......一体どんな人だったんだろう)


 胸の奥でふと思う。

 けれど同時に、琥珀を人前で出してはいけないと言い聞かされてきた記憶がよぎる。


「大切なものだから、むやみに人前で出すものじゃないよ」


 司祭の言葉だ。理由は語られなかったが、幼いころから繰り返しそう諭された。

 しかし、それはそれで両親と秘密を共有してるようでルーシュは嬉しかった。


 ほんのりと熱の残るペンダントをポケットに戻すと、軽く背伸びをして、肩をまわす。

 湖の水面が陽にきらめき、波紋が広がる。

 その景色を目に焼き付けるように見つめたあと、ルーシュは足を踏み出した。

 秋風がひとひら、彼の背を押すように吹いた。


***


 届け物を済ませ、広場に立ち寄ると、いつもよりざわめきが大きいことに気づいた。

 日差しの下で干し藁を整える農夫たちの声がひそひそと交わされている。


「昨夜もだそうだ。沼のあたりに、青白い火がふわりと浮かんでいたってな」

「魂が彷徨ってるみたいだったって聞いたぜ。見た者は、二度と忘れられぬ光景だったとか」


 ルーシュは足を止め、しばし耳を傾けた。


(また、鬼火の話か。これだけ噂されるということはただの幻影ではなさそうだな…)


 ルーシュはふと思い立ち、声をかけた。


「失礼します。昨夜のその話、もう少し詳しく伺えますか?」


 二人は顔を見合わせたあと、快く頷いた。


「おお、ルーシュか。ほら、薬草小屋の近くだ。月が雲間に差したとき、青白い光がふわっとな……あれはまさしく鬼火に違いないと、みんなが」


 ルーシュは深く頷き、胸の中で考えを巡らせる。


(気になるな...。何かの光か、それとも――)


 そのときだった。

 背後から朗らかな声が降ってくる。


「また何か、面白い話を嗅ぎつけたのかしら?」


 振り返ると、陽光を受けてさらさらと揺れる栗色の髪。淡い藍色のスカートの裾を指先で軽やかにつまみ上げながら、エルザがいた。つややかな瞳がいたずらっぽく細められている。


「エルザ。もしかして……授業を抜け出してきたのか?」


 ルーシュが眉を上げると、彼女はいたずらを見つけられた猫のように、くすりと笑った。


「ええ。今日の裁縫の授業ときたら、糸が絡まるばかりで少し退屈だったもの」

「それはきっと、針と糸にも『時の流れ』が必要なんだよ。焦らずとも縫い目は整うはずさ」


 冗談めかして返すと、エルザは唇に指をあて、わざとらしく考え込むふりをする。


「なるほど。では、退屈しのぎに面白い時の流れでも案内してくださらない?」


 ルーシュは肩をすくめ、軽く首を振った。


「まったく……お嬢様の道楽に付き合わされるのは、神学生にとっては重労働だよ」

「まあ、それは困るわね。労働の報酬として、特別に紅茶をごちそうして差し上げるわ」


 そんないつも通りの軽いやり取りをしてお互いに笑い合った。


「で? どんな面白い話なの?」


 促されるまま、ルーシュは鬼火の噂について語る。エルザの瞳がきらきらと輝いた。


「それは確かめに行かなくちゃ!」


 彼女が勢いよく言うと、ルーシュはわずかに口元を引き締めた。


「エルザ、冗談じゃなく、本当に危ないかもしれないよ。僕一人で見に行くよ。」

「まあ。まるで私が、お荷物みたいな言い草ね?」

「そうは言ってないよ。ただ、もし何かあったら……」


 エルザは涼しげな瞳を細め、からかうように首を傾げた。


「大丈夫。ルーシュが危ない目に遭いそうになったら、私が盾になってあげるわ。幼なじみの務めとしてね」

「それじゃまるで、僕が君に守られるみたいだ。」

「ええ。そうでしょ?」


 エルザはふふっと楽しげに笑いながら、「じゃあ今晩ね」と言って広場を後にした。

 ルーシュはわずかにため息をつきつつも「……まあ、彼女を止めるには、僕もまだ力不足ということか」と一人呟いた。


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