第二十五話 少年の掌に時を託して~ルドルフの記憶~
昼の祈りを終え、時計技師のルドルフは教会の工房を訪れた。
椅子に腰掛け、背もたれに体を預ける。目の前にあるのは、完成したばかりの水路の切替装置の模型だった。村人たちが使いやすいようルーシュが工夫し、ルドルフと共に改良を重ねたものだ。
小さな水門が、歯車と重りの動きに連動して滑らかに開閉する。
「……たいしたもんだ」
つぶやいたルドルフの目元には、自然と笑みが浮かんでいた。
かつてのルーシュは、歯車の噛み合わせ一つにも悩んでいた。それが今では、村の暮らしを変える装置を自ら考え、形にしている。喜ばしく、そしてどこか寂しさを伴う成長だった。
ふと、手を止めて窓の外を見る。傾いた陽が、教会裏の湖面を琥珀色に染めていた。
その光景に、ひとつの記憶がよみがえる。
***
あれは、まだ若かった頃――。
ルドルフは教団の命を受け、国中を巡りながら時計技術の普及に努めていた。
鐘の音が響く王都は活気に満ち、教会塔の建設が進み、人々は新たな『時』の概念に胸を高鳴らせていた。技師として、現場に立ち、子どもたちに歯車の仕組みを教えながら日々を過ごしていたある日。
一人の少年が声をかけてきた。
「時計塔の技師の方ですか?」
声の主は十二ほどの少年。焦茶の髪に、好奇心の宿る瞳。その大人びた問いに、思わずルドルフは微笑んだ。
「そうだよ。興味があるのかい?」
「はい。歯車の仕組みが知りたいんです。どうしてあんなに複雑に動くんですか?」
少年の問いに、ルドルフは案内する手を止められなかった。
それからというもの、少年はたびたび姿を現すようになった。塔の整備、懐中時計の製作、そのすべてを吸い込むように見つめていた。
「なぜ琥珀を使うんですか?」
「光を集めやすくてな。こうして見ると、時間が閉じ込められているようだろう?」
「……本当だ。まるで、時のかけらみたいですね」
少年は、掌に載せた琥珀の輝きに目を細めた。
ある日、次の配属先が決まり、少年に別れを告げる日が来た。
「君の名前を、聞いてもいいかな?」
少年は一瞬驚いたように瞬きし、少し照れたように名乗る。
「……ルネ、といいます」
どこにでもありそうで、どこか気品を感じさせる名だった。
ルドルフは笑みを深めながら、作りかけの懐中時計の裏面に「René」の文字を彫り込み手渡した。
「本当に……僕にくださるんですか?」
「作りかけだけどね。私は今度、他の街に行くことになってる。だから……もう会えないかもしれないから」
そして、そっと少年の頭に手を置いた。
「君がいつか、自分の歯車を回したいと思ったときのために」
少年は胸に時計を抱え、何度も頭を下げて礼を言った。その満面の笑顔は、今もルドルフの胸に焼き付いている。
***
ふと我に返る。窓の外には、あの頃と同じ琥珀色の夕陽が広がっていた。
あんなに幼かったルーシュは今、村の暮らしに役立つ仕組みを生み出す技師として歩み始めている。その姿に、ふと懐かしい記憶が重なる。
(あの子は、今もどこかで時を刻んでいるだろうか)
ルドルフは小さくつぶやき、立ち上がった。光を受けた歯車が柔らかくきらめく。
(そうだ。時は流れ、歯車は回り続ける。誰しもが、自分の時を刻んでいる)
「さて、大時計の点検でもするか」
そう言って歩き出す。今日もまた、村の時を守るためにーー。




