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第二十一話 雪の山小屋で

 朝から村は静かに雪に包まれていた。

 ルーシュは教会の使いで、村外れの山道を歩いていた。山の麓にある独居老人に、エミール助祭から託された手紙と薬を届けるためだった。雪は降り続き、道は白く埋もれている。吐く息は白く、足元から冷えがじわじわと這い上がってくる。

 

 山道の途中、背後から突然衝撃を受けた。冷たい感触が背中に散る。どうやら雪玉を投げられたらしい。振り返ると、予想通りエルザがいた。


「どこぞの雪の精かと思ったら」


 軽口を叩くと、エルザは口元を綻ばせた。


「あら嬉しい。弟たちと遊んでいたら、森の中に入っていくあなたを見かけたから」


 そう言って、両手に持った雪玉を見せてきた。一体いくつ投げるつもりなのか。


「せっかくだからご一緒しようかしら」


 否定も肯定もせず、とりあえず、雪玉をひとつ投げ返しておいた。


 他愛もない会話をしながら歩いていると雪足が少し強まってきた。空を見上げると、分厚い雲が影を落としている。


(嫌な雲だな)

「エルザ、今日はもう引き上げて明日出直そうーー」


と言って振り返った瞬間、エルザの足がふいに取られた。


「危ない!」


 ルーシュは反射的に手を伸ばし、エルザの手を掴む。そのまま二人は雪と共に、小さな斜面を滑り落ちた。



「エルザ、大丈夫?」


 雪が舞う中、ルーシュは雪の上で身を起こしながら声をかけた。

 エルザは頬に張り付いた濡れた髪を指で払いながら小さく頷いた。


「うん……平気。ルーシュは?」

「よかった……僕も、大丈夫」


 そう言って、腕と足をざっと動かして異常がないことを確認する。ひとまず無事だとわかったのも束の間、風が一層強くなり、舞い上がった雪が視界を覆い隠していく。


「まずいな…吹雪が強まってる」


 落ちてきた斜面を見上げて唇を噛む。雪が積もったばかりで、道具もなしに登るのは危険すぎた。


「これじゃあ元の道にも戻れないし、一旦避難しよう。歩ける?」


 ルーシュは立ち上がり、エルザに手を差し伸べた。一瞬、躊躇したように見えたが、素直に差し出した手を握ってくれた。ルーシュは手を引いて立ち上がらせ、そのまま歩き始めた。


(確か、この辺に古くからある山小屋があったはず…)


 教会では村の建物も管理しており、空き家は定期的に訪問し、崩れたり、野生動物が住みついていたりしていないか確認している。記憶を頼りに、慎重に視界の悪い吹雪の中を進んでいく。


(ここで道に迷ったらお終いだ)


 周囲に意識を向けながら集中して歩いていると背後からか細い声がした。


「……私のせいで、ごめん……」


 その声は、ふだんの彼女からは想像できないほど弱々しかった。いつも弟扱いしてくる幼馴染がなんだか突然愛おしく感じた。


「謝ることないよ」


 そう答えながらルーシュはつないだ手を一段と強く握った。少しでも安心させられるように。

 ふと、後ろに視線を向けると、エルザは不安そうな顔でルーシュの横顔を見上げていた。

普段見ることのない、どこか頼るような揺れる眼差し。


「大丈夫。僕がついてるから」


 気づけば、自然とその言葉がこぼれていた。彼女を安心させてあげたい、いつもの笑顔を取り戻したい、そんな気持ちが強く込み上げてきた。


 ようやく木立の向こうに小さな山小屋の影が見えた。ルーシュは扉を押し開け、中へと身を滑り込ませる。

 煤けた壁、埃の積もった机と椅子、静まり返った空間ーーだが、風の音を遮るだけでも救いだった。


「…よかった。これで吹雪は防げるね。ありがとう」


 とエルザは明るく笑いかけた。無理しているのは一目瞭然だった。

 ルーシュはそのわざとらしく明るい笑顔を見て、抱きしめたい衝動に駆られたが思いとどまる。その代わりに、小さく震える肩に自分の外套をそっとかけた。


「これ、使って。少しは温まると思う」


 少し熱を持ってしまった頬を隠すように手で前髪を払いながら言った。


「……ありがとう」


 エルザは素直に受け取り外套の中に小さくくるまった。


 ルーシュはすぐに山小屋の中を見回し、薪も火種もないことを確認すると、懐の中を探った。ポケットに手を入れると、そこに数枚の小さな歯車が触れた。


(……使えるかもしれない)


 出発前に削っていた試作用の歯車だった。それとともに、ルーシュは薬と一緒に持たされた粗塩を取り出す。


「うまくいくかな……」


 呟きながら、ルーシュは作業に取り掛かる。

 エルザが不思議そうに首を傾げた。


「……何するの?」

「これで暖をとろうと思って。前に教会で習ったんだ」


  ルーシュは手際よく小さな布袋の中に粗塩を詰め、歯車を仕込む。さらに、持っていた油紙で簡単な包みを作ると、熱が逃げないように整える。


「鉄が酸化すると熱が出るんだ。塩が湿気を集めてくれるから、うまく反応してくれると思う」


 ルーシュは笑みを浮かべながら説明した。

 エルザは目を丸くしながら、その手元を見つめていた。


「すごい……こんなこともできるのね」


 その目線がいつもより熱く感じ、鼓動が少し早くなる。


「ほら。これで少しは温かくなるよ」


 ルーシュは出来上がった即席のカイロをそっとエルザの手に握らせる。そして、エルザの手を包み込むように上から自分の手を重ねた。


「……だいぶ冷えてるね」


 手のひらで何度もさすり温める。そのうちに、手の中でカイロがじんわりと熱を発し始め、わずかながら温もりが戻っていくのを感じた。

 少し安堵しつつも、エルザの身体が寒さに震え、顔からも血の気が引いていることが気にかかった。


(もっと、温めないと……)

「もう少し、頑張ろう。吹雪も、そう長くは続かないと思うから」


 言葉をかけながら、そっとエルザの肩を引き寄せ、自分の胸元に抱き寄せた。エルザは一瞬だけ驚いたように固まったが、すぐにその体温に身を預けた。

 かすかに胸元にあたる吐息に心臓が跳ね上がる。ルーシュは早くなる鼓動に気づかれないよう大きく息を吐いた。

 窓の外では、吹雪が小屋を叩く音だけが響いていた。


 しばらくの間、二人は肩を寄せ合い、吹雪が収まるのを静かに待っていた。

 ルーシュは、無意識に髪の隙間から覗くエルザの首筋を眺めていたことに気付き慌てて目を逸らす。


「わたし、時々思うの」


 エルザがぽつりと言った。


「ずっと……このままだったら、いいのにって」


 その言葉に、ルーシュはわずかに抱きしめる腕を緩めた。


「それは……どうだろうね」


 声に出したその瞬間、自分の返事が少し冷たく感じた。だが、曖昧にしか答えられなかった。


(この温かさを手放せるのだろうか。でも、僕はまだ知らなければならないことがたくさんある)


 複雑な思いを飲み込んで、ルーシュはそっとエルザの肩を再び抱き寄せた。暖かなカイロのぬくもりが、二人の手のひらにじんわりと広がる。


 やがて、激しかった吹雪は少しずつ静まっていった。外の音が和らぎ、風の唸りが消えていく。

 ルーシュがそっと顔を上げると、空はまだ曇っていたが、わずかに青みが差し始めていた。


「……止んだね」


 そっとつぶやくと、エルザも同じように窓の方に視線を向け、ホッとしたように息を吐いた。

 安心してエルザの方に顔を向けると、その前髪の触れる距離に何だか落ち着かなくなる。


「えっと……そろそろ、大丈夫そうだね」


 わずかに声が上ずるのを、自分でも気づきながら言う。ゆっくりと腕をほどくと、エルザも小さく頷く。二人とも、ほんの少しだけ赤くなった頬を隠すように目を逸らした。

 ルーシュは咳払いをひとつして、わざとらしく立ち上がる。


「日が落ちる前に帰らないと」


 無理に平静を装いながら、道具袋を手に取った。けれど手のひらには、さっきまで感じていた温もりがまだ残っていた。


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