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第二話 ヴェルツ正教

 朝食を終えると、ルーシュは教会裏手の小さな教室へと向かった。

 教会の付属校舎。窓の外から春の陽がやわらかく射し込み、石壁に温かな光が反射している。村の空気は清らかで、遠くの山から小鳥のさえずりが風に乗って届く。

 教室には、子どもたちの元気な声と、チョークが黒板を走る乾いた音が響いていた。


「皆さん、おはようございます」

『ルーシュ先生、おはようございます!』


 教室に入ったルーシュが声をかけると、年少の子供たちが一斉に返事をする。自然と顔が綻ぶ。



 クロノフェルデ王国では、教会が学校も兼ねていた。ヴェルツ正教が国教となってからというもの、国を挙げての教育が進められている。

 農村でも子供たちは読み書きや算術を学び、季節を読み、農作物を育てる知恵、さらには時計の仕組みや科学技術の基礎まで教えられる。その結果、他国では識字率が三割にも届かない中、この国では八割を超える。「時を読む者は、自らの道を見出す」。教会の教えが、この国を動かす礎となっているのだ。

 ルーシュはそれを誇りに思っていた。



「さて、今日は経典の第二章を書き取りましょう」


 黒板に大きく文字を書きながら、ルーシュが声をかける。


「ゆっくりでいいから、心を込めてね」


 子どもたちは嬉々としてノートを広げ、写し書きを始める。小さな手で鉛筆を握りしめ、文字を一画一画たどる姿は、微笑ましいほどだった。



 ヴェルツ正教は、ただ祈るだけの教えではない。

 時計を御神体とし、『時』を最も神聖な存在として崇める。星々が夜空を巡るのも、人々が生きる日々も、すべては歯車のように時の流れに従っているという考えだ。

 自然の摂理に従い、時を正しく読むことで人は道を見失わずに生きられる。だからこそ、学びは何より重要とされてきた。

 教会では「聖典系」と「技術系」に分かれた学びが存在する。

 祈りと教えを司る「聖典系」、そして御神体の時計を整備し、新たな技術を生み出す「技術系」。どちらも等しく尊ばれ、互いに支え合って国を支えている。

 時計の仕組みを知り、歯車がどのように噛み合うかを理解すれば、世界の理もまた見えてくる。

 わからないことを呪いだの祟りだのと恐れるのではなく、原因を探り、理屈で解き明かす――その姿勢こそが、ヴェルツ正教の誇る精神だった。



(僕も、あの年頃には「O」と「Q」の違いで悩んでたっけ)


 ルーシュは小さく笑いながら、生徒たちの間を巡る。

 書き取りに苦戦している子を見つけ、腰を屈める。


「焦らなくて大丈夫。文字の形を心で描いてから、そっとなぞるんだよ」


 少年はこくりと頷き、緊張した面持ちで一画一画、丁寧に文字を書き進める。


「いいね、その調子だよ」


 ルーシュはやさしく声をかける。子どもたちの成長が、村の未来をつくる。そう思うと、自然と心が温かくなった。


 やがて授業の終わりを告げる小さな時計の音が鳴る。


「じゃあ、ルーシュ兄ちゃん、また明日!」


 元気な声でそう言って駆け寄ってくる子に、ルーシュは「気をつけて帰るんだぞ」と笑顔で返す。ひとりひとりの頭を撫で、机や本を片付けながら教室を見渡す。


(僕たち一人ひとりが時の歯車なんだ)


 ふと胸の奥でそうつぶやいた。

 子どもたちが去ったあと、ルーシュは教室の窓から外を眺めた。

 村の広場では、鍛冶屋が火を焚き、農夫たちが畑の手入れをしている。どの営みも、時に導かれるように流れている。


(時は止まらない。僕たちも、止まってはいられない)


 午後の上級講義が待っている。知らないことを知るたび、世界が広がるのがわかる。それは、たまらなく楽しい瞬間だ。

 ルーシュは胸を高鳴らせながら、教室を後にした。


 教室を出ると、既に空には正午を告げる鐘が鳴り始めようとしていた。


 「七振の鐘」――ヴェルツ正教において、朝・昼・夕の祈り時に鳴らされる、七回の聖なる鐘。特に正午の鐘は、「第二の重なり」と呼ばれ、始まりと終わりの調和を意味する最も重要な刻だ。

 村のあちこちから、人々が足を止め、鐘楼を見上げる。鍛冶屋も、羊飼いも、畑仕事の手を止めて、その音に耳を傾けた。


 カラン、カラン……。


 鐘の音が谷に響き渡り、教会の広場に静寂が訪れる。ルーシュは目を閉じ、自分の胸に手を当てる。


(今日も、時は正しく巡っている)


 その事実が、どこか心の奥に安堵をもたらす。彼にとって、時を知り、時を重ねてゆくことは、祈りであると同時に、自分の存在を確かめる営みでもあった。


***


 祈りの後、昼食を挟み、午後の講義の準備が始まった。

 礼拝堂の裏手にある石造りの小さな講義室。厚みのある扉を開くと、そこには木の机が並び、わずか六人ほどの少年少女が静かに席に着いている。

 年齢は十三から十五ほど。教会の基礎課程を修め、さらに学びを志した者たちだけが、ここに集っていた。

 とはいえ、誰もがこの講義に進めるわけではない。

 農村の現実は厳しい。多くの家では、子どもたちも労働力として早くから畑に出る。ここにいるのは、ある程度裕福な家の子供か、あるいは教会がその素養を認め、特別に声をかけられた者たちだった。


(かつての自分もそうだったっけ)


 ルーシュはふと、数年前のことを思い出す。



 ヴェルツ正教の上級講義――それは単なる教育の枠を超えた、王国の技術力を支える柱だった。

 年少者への読み書きの授業で高い識字率を保ちながら、上級講義ではさらに専門的な技術と理論を教え、国の未来を担う技術者や聖職者を育てていく。

 国を動かす大きな歯車のひとつとして、農村の講義室にもその一端が息づいている。

 「時の理を学び、歯車を理解せよ」。正教の教えは、ただ神への祈りを捧げるだけではない。この講義こそが、王国が技術国家として躍進を遂げた大きな要因だった。



「よし、それでは今日の講義を始めよう」


 教室に入ってきたのは、教会付きの時計技師であるルドルフだ。

 がっしりとした体格に煤けた作業着。けれどその指先は繊細で、真鍮の歯車を扱う者らしい慎重さがあった。


「今日の課題は、振り子と歯車比だ」


 机の上に並べられた小さな歯車と振り子の部品が、朝の光を受けて鈍く光る。生徒たちが息を呑むなか、ルーシュはひときわ強い輝きを瞳に宿した。


(昨日、工房で考えていた仕組み……あれを、もう少し改良できるかもしれない)


 講義内容は頭に入っている。だが彼の好奇心は既に次の応用へと向かっていた。

 講義が始まると、時計技師が歯車の模型を指しながら説明する。


「振り子は『等時性』――振り幅が多少変わっても揺れる時間は変わらない。この性質を利用して、正確に時を刻むんだ」



 教会での技術講義は、単なる時計の理論だけではない。

 時間の管理を司る装置としての時計はもちろん、季節の移り変わりを読み取り、農業に役立てる技術、水車の仕組みや風向きを利用した風車の理論まで応用が広がる。「すべては時の流れの中にある」と説く正教の理念は、教えの端々に息づいていた。


(教会で学んだことを生かして、誰かの暮らしが少しでも良くなるなら、それが一番だよな)


 ルーシュは模型の歯車が噛み合う様子を見つめながら、静かに心の中でつぶやいた。

 講義室の中には、真剣な空気が流れている。農村であっても、ここでの学びが国の発展に繋がることを、生徒たちは肌で感じていた。

 小さな村の教室であっても、その意義は決して小さくない。


 講義が終わり、机の片付けが始まる。木机の間を抜けながらルーシュは、次の「ひらめき」に胸を高鳴らせる。

 今日学んだことを、どう生かすか――彼にとって授業は、知識を蓄えるだけでなく、自らの手で「時を読む力」を試す舞台だった。

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