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第十六話 歯車仕掛けの午後

 夏の名残と秋の気配が溶け合うように流れる午後。

 礼拝を終えた村には、大きな出来事もなく、穏やかな風が広場をなでるように吹き抜けていた。


 ルーシュは教会裏の小さな工房にこもり、机の上の細かな部品に没頭していた。木の板に真鍮の端材、針金、歯車、そしてゼンマイ。陽の光が窓から差し込み、それらがほのかにきらめく。


(うまく動いてくれるかな)


 数日前の帰り道、エルザの様子がいつもと違っていたのが気にかかっていた。話し方も歩き方も変わらないのに、どこか遠く感じた。あの時の胸のざわつきが、今も消えないままだ。


(僕にできることはこれくらいだけど……)


 エルザを元気づけたくて、授業と祈りの合間を縫って作っていたのが、この小さなカラクリ仕掛けの木箱だ。

 蓋を開けると、小さな鳥が羽ばたくように飛び出し、『おどろいた?』と描かれた旗をくわえてくるりと首をかしげる仕組み。表面には繊細な花の彫刻を施した。エルザが笑ってくれる姿を思い浮かべながら、何度も手を加えてきた。


 午後の授業が終わるころを見計らい、ルーシュは教会前の広場にエルザを呼び出した。

 やがて、秋風に髪を揺らしながらエルザが姿を現す。

 涼やかなブルーグレイのドレスの裾を片手で抑えながら、優雅な中にもどこか翳りを帯びた歩みだった。


「あら、どこぞの紳士かと思ったわ」


 エルザはいつものようにいたずらっぽい笑みを浮かべたが、その奥にわずかな影が見えた。

 その笑顔に、ルーシュはほっと胸を撫で下ろす。


「たまには君を待つのも悪くないと思ってね」


 声がすこし上ずったのは、自分でもわかった。

 ルーシュは木箱を差し出す。


「これを、君に」


 エルザは細い眉を上げて箱を見つめる。


「……これは?」


 蓋を開けようとするエルザをルーシュが手で制す。


「待って。まずはここを」


 ゼンマイ巻きを指差す。カチリ、と小気味いい音が響き、蓋がぱかりと開く。

 中からふわりと飛び出す小鳥がくわえていたのは、エルザのためだけの問いかけ。

『おどろいた?』

 エルザは一瞬、息を呑む。それから、ふっと目尻を緩め、自然に笑みがこぼれた。


「うわぁ……すごい!」


 幼い頃のような純粋な驚きと喜びが、声ににじむ。


「からくり遊びにしては、ずいぶん凝った細工ね」


 旗をつまみ上げながらも、その視線には変わらぬ温もりが滲んでいる。


「驚いてもらえたならよかったよ」


 ルーシュも笑い返し、少しだけ胸が軽くなる。


「最近、元気ないような気がしたから」


 エルザは驚いたようにルーシュを見つめ、それから箱に視線を落とす。微笑みながらも、どこか遠くを見つめるようなまなざしだった。



 ふたりは並んで腰を下ろし、カラクリ箱を膝に置いた。広場には子どもたちの笑い声が遠く響き、パン屋からは甘い焼き菓子の香りが漂ってくる。柔らかな午後の光が二人を包み込んでいた。


「どうして私が、元気がないと思ったの?」


 エルザが静かに問いかける。その声は、胸の奥をそっと探るようだった。

 ルーシュはしばらく沈黙したあと、自分の手をじっと見つめてぽつりと言った。


「君の笑顔が……どこか遠く感じたから」


 エルザが静かに目を見開く。


「それを見たら、僕がなんとかしなくちゃって思っちゃったんだよね」


 エルザは小さく息を呑み、箱を抱きしめるようにして微笑んだ。その横顔がどこか切なく見えたのは、気のせいだろうか。

 ルーシュが顔を上げて笑いかける。


「だって、それが僕の役目だろ?」


 その言葉に、エルザは一瞬目を奪われる。けれどすぐに、肩をすくめるようにして小さく笑った。


「なにそれ?」


 鐘楼の鐘が静かに時を告げる。ふたりの影が午後の光の中で寄り添い、長く伸びて揺れていた。

 エルザは最後にもう一度、木箱の鳥を覗き込み、ふっと微笑む。


「また次の作品、楽しみにしてるわ」


 そう言い残し、立ち上がる。秋風がそっと吹き、栗色の髪が陽光の中できらめいた。

 ルーシュはその背中を思わず引き止めようとして、途中で拳を握りしめる。そのまま握った拳を開き、じっと見つめた。


(……引き止めてどうするつもりだったんだろ)


 胸の奥に、ふとぽっかりと穴が空いたような感覚が広がる。

 目を落とすと、カラクリの鳥が、すでに止まった旗をくわえたまま、静かに佇んでいた。


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