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第五十三話 守るべき静謐な村(第1部完結)

 教会を出た二人の影が、夕陽の中で長く伸びていた。グランツ司祭は、その背中を黙って見送る。

 ──時は巡り、歯車は再び噛み合う。

 司祭の心に、遠い昔に託された密命の記憶が蘇っていった。


***


 新たな革命の朝焼けは、まだ薄暗かった。クロイツ家当主・アルベルト・クロイツは、重たい封書を手にしていた。王宮の執務室で、彼はグランツ司祭に静かに語りかける。


「革命が成功し、これからはヴェルツ正教を国教とすることとなった」


 低く落ち着いた声が、静まり返った室内に響く。


「それに伴い、国内の他の宗教が治めている村々も、順次、ヴェルツ正教に改められる。……そなたに、この村を頼みたいのだ」


 封書を差し出すその指先には、ためらいの影はなかった。だが、その瞳の奥にはわずかに重い憂いが宿っている。


「国の端で申し訳ないが、そなたにしか頼めない」


 グランツ司祭は、厳粛な面持ちでそれを受け取る。

 彼は遡ること二世代前、アルベルトの祖父の姉の孫にあたり、つまるところ、王家の遠戚である。その立場も生かし、ヴェルツ正教では、確固たる地位を築いていた。

 封書の封を切ると、中には派遣される村の概要、そして秘められた命──前王朝レオント家の王女、エリーゼの存在が記されていた。


「王女殿下を?」


 低く呟いた声は、冷たい朝の空気に溶ける。


「誰よりも信頼できる者に託したかった。……正教が国教となる今だからこそ、彼らには穏やかな余生を与えてやりたい」


 アルベルトは、珍しく深く頭を下げた。


「くれぐれも、慎重にな。彼らの存在は、正教上層部にさえ知られぬようになっている」

「かしこまりました」


 グランツ司祭は頭を垂れ、静かに誓う。

 この時、まだ若き司祭だった彼の胸には、国のために、そして託された命を守る使命感が燃えていた。



 そして数ヶ月後、グランツ司祭は、村の古い教会の扉を叩いた。迎えたのは、かつて土着の神を奉じていた年老いた神父だった。

 グランツ司祭は、神父に陛下からの密命を告げる。


「今日からこの教会は、ヴェルツ正教の教会となる。しかし……」


 視線を静かに落とす。


「陛下からのご命令により、王女とその護衛のことは、変わらず見守る所存です」


 神父は、しばらく沈黙したあと、静かに頷いた。


「……あの方が、そこまでお考えとは」


 微かにほっとしたような、その顔が印象的だった。


「この村のことも、教会のことも、存分に頼みます」

「はい。必ず」


 新しい鐘が取り付けられた教会に、初めての朝陽が差し込んだ。



 グランツ司祭は、村での二人の暮らしを遠巻きに見守った。人目を避けつつ畑仕事をし、質素だが穏やかな日々を重ねる彼ら。


(できることなら、このまま静かな日々が続けば良いが……)


 心のどこかで、薄氷を踏むような不安が消えなかった。

 正教上層部は、レオント家の血筋を危険視し、レオント家血族を処分する旨の令──王胤抹殺令──まで出している。命の保証などどこにもない。だからこそ、司祭としてではなく、一人の人間として祈る。


(せめて、この村だけでも)



 時は流れ、グランツ司祭が彼らの暮らしを見守る中で、小さな喜びも重ねられた。

 護衛だった男は、小さな工夫で畑の道具を使いやすくし、王女は村人たちの作る粗末な料理にも次第に慣れていった。最初こそ「お風呂が毎日じゃないなんて……」とこぼしていた王女も、やがて笑顔を見せるようになっていく。

 そんな日々が続くと思われたある日、村に役人が定期訪問に訪れた。


「領内の様子を視察に参りました」


 貴族らしき男が、数名の随行を連れて村を訪れた。


(正教の役人か)


 グランツ司祭は、淡々と迎え入れた。視察は数日で終わり、特に異変はなかった。だが──

 その直後だった。二人が、教会にも告げずに村を去ったのは。


 「どういうことだ……?」


 気づいたときにはもう遅かった。彼らの家はもぬけの殻で、残された痕跡はごくわずかだった。グランツ司祭は、冷たい風の中で深く目を伏せた。

 だが、残された一人の命は確かだった。二人は教会に赤子を残していった。琥珀のペンダントを添えて。


 赤子だったルーシュは、教会で大切に育てられた。


「大丈夫だ、ルーシュ」


 温かな手が、幼い彼の頭を優しく撫でる。


「おまえは、強く生きるのだ」


 孤児として、そして村の子として──。


***


 グランツ司祭は光に包まれた二人の後ろ姿をじっと見つめる。

 並んで歩くその姿は、かつて守りたかった命が、確かに時を刻みながら進んでいる証だった。


「エリーゼ王女、レオン殿……ご子息は立派に育ちました。幾重にも絡み合った歯車のなかで迷うことなく、自らの時をしっかりと刻んでおります」


 穏やかな祈りの言葉が静かに流れる。


「巡る時の流れのなかで、どの歯車も無駄ではありませんでした。どうか、遠くから見守っていてください。これからはあの子たち自身の手で、新たな時を紡いでまいります」


 静かに胸元で印を結び、グランツ司祭は深く頭を垂れる。

 ふと顔を上げると、琥珀色の陽光がルーシュとエルザの歩む先を照らしていた。それはまるで、二人の未来を温かく導くかのように。


(巡る時は止まらない。けれど、その歯車が噛み合う瞬間は、たしかに美しい)


 そっと目を細めた司祭は、ふたりの背中を静かに見送りながら、もう一度祈りを込める。


「時の導きがありますように──」


──終──

長々とお付き合いいただきありがとうございました!

「時告げ歯車」を巡るストーリーは、ここにて一旦完結です。

続編も予定しておりますが、構成がまとまるまではお休みいたします。

もし、ご興味がありましたら、次も読んでいただけると嬉しいです。

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