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第四十八話 君に夢を語った日〜アデルハイトの記憶〜1

 誰かが『自由な時間』と呼ぶものを、幼い自分はほとんど知らなかった。

 生まれたときから、王家の血を引く者として、臣下たちの視線と敬語に囲まれていた。王族とはそういうものなのだと、大人たちは当然のように言った。

 アデルハイト・レオントは、そうした日々の中で育った。

 小さな足で歩く廊下には、必ず誰かの足音が重なり、学び舎の机には筆記よりも先に『この国を背負う者としての心得』が置かれていた。

 遊びよりも礼儀、夢よりも義務。だが、そんな幼き日々の中に、ひとつだけ宝物のような時間があった。

 ──父と過ごす、塔の上。

 国王フェルディナント・レオント。

 この国の象徴にして、誰よりも近くて遠い存在。

 けれど父は、月に一度だけ、アデルハイトの手を引いて王宮の高塔へ連れていってくれた。塔の最上階からは、王都の屋根と、その先に広がる平野が一望できた。風が髪を撫で、白い雲が国境の方角へ流れていく。


「見てごらん、アデルハイト。あれが我らの民の暮らしだ」

「……はい」

「おまえは、いつかこのすべてを守る立場になる。だが忘れるな。王が民を支えるのではない。民が王を生かすのだ」


 父の語りは、いつも静かだった。だがアデルハイトは、その静けさの中に揺るぎない力を感じていた。

 ああ、いつか自分も──この手でこの国を守り、父のように、誰かの背中を支えられる王になりたい。心の奥でそう強く願っていた。


 ある日、アデルハイトは一人の少年と出会った。

 名はルネ・クロイツ。父と親交の厚いアルベルト・クロイツの長男であり、アデルハイトと同じ年に生まれた。

 勉学に追われる合間、二人は王宮の中庭で草の剣を振り合い、時には並んで本を読み、時には噴水に足を浸して笑った。

 どこか無邪気で、まっすぐなルネの存在は、重圧の中にいたアデルハイトにとって、確かな光だった。

 ある日、アデルハイトはそっと声をかけた。


「……ルネ。君に見せたいものがある」


 彼が連れていったのは、かつて父と登ったあの高塔。今度は、アデルハイトが誰かの手を引く番だった。


「すごい……国中が見える」

「だろう?」

「この国を、君が継ぐんだね」


 アデルハイトはその言葉に、微笑んで頷いた。そして、まだどこか幼さを残した声で言った。


「ルネ、僕はこの国をもっと良くしたいんだ」

「……うん」

「皆が学べて、皆が食べられて、皆が笑える国に。そんな国をつくれたらと思ってる。君と一緒にね」

「任せてよ。僕は君の右腕になる」


 高い風が、ふたりの声をさらっていった。遠い空の下で、少年たちの夢が小さく芽吹いていた。


***


 時は流れ、国内ではヴェルツ正教の存在感が次第に高まっていた。

 もともと教育は、貴族や裕福な家にのみ許された特権だった。だが、ヴェルツ正教は教会を開放し、読み書きや簡単な算術を子供たちに教え始める。その姿勢は特に平民層から強く支持され、正教の教会は人で溢れていった。

 宮廷にもたびたび、『教育支援のための王宮協力』を求めて、聖職者たちが訪れた。しかし国王は一貫して謁見を拒み続けた。不可思議な研究を続ける彼らを信用しきれなかったのである。

 やがて国王は、折衷案として王太子を正教との窓口に指名した。


「おまえが行け、アデルハイト。彼らの力を否定はしない。だが、王家としての眼を持て」

「……承知しました、父上」


 こうしてアデルハイトは、ヴェルツ正教の教育事業に関わることとなった。

 初めは慎重に視察を行うつもりだった。だが、教会で読み書きを学び、目を輝かせて文字をなぞる子供たちを目にしたとき──アデルハイトの中で何かが変わった。

 この子たちの未来のために、国はあるべきだ。父が見せてくれた国を、守るだけでなく、より良くしたい。

 若き王太子は、その心で信じていた。そう、あのとき、ルネと並んで語り合ったように。


***


 ヴェルツ正教の聖職者たちは、王太子アデルハイトを前にしても、驚くほど落ち着いていた。


「時を操る装置、ですか……?」


 初めてその話を聞いた日、アデルハイトの眉は自然とひそめられていた。


「装置といっても、あくまで『歯車の制御を通じた時間計測と調整』でございます」

「疑似的に『時の緩急』を与えることが可能です。すなわち、被災地への支援調整、作物の成長予測、戦の被害軽減など……」


 語る彼らの言葉は堂々としており、夢物語にも思える構想を、論理と慈悲の言葉で包み込んでいた。

 アデルハイトはなおも訝しんだ。だが、ある一言に心が動かされた。


「この装置は、アデルハイト様の高貴なる血を媒介にせねば起動しません。すなわち、王太子様が管理者として関わられる以上、我々が勝手にそれを操ることはできないのです」


 高貴な血を鍵にする。それは、ヴェルツ正教が『民衆のため』と謳いながらも、王家の統治権を認めた証でもあった。

 アデルハイトは悩んだ。日々、塔の上から見下ろしたあの国の景色を思い出しながら。

 これが本当に国のためになるのなら。争いを未然に防げるのなら。父が大切にしてきたこの国を、次の時代へとつなげられるのなら──。

 数週間の熟慮の末、アデルハイトは首を縦に振った。

 装置開発のため、王家が保有する鉱物資源と、旧時代から封印されていた研究施設の一部を提供する。自身も装置起動に必要な『媒体』として血液の協力を申し出た。

 それが、全ての始まりだった。

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