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第四十六話 十五年の夢

 馬の蹄の音が響く。

 グリュンヴァルト村西部の山林。普段、人の立ち入りのないこの山は、道の整備もされていないため、馬車から馬に乗り換え地図の示す鍾乳洞へと向かっていた。

 乗馬の訓練を受けていないルーシュは、ロイエンタール家の騎士の後ろに乗せてもらった。

 アウグストは現地には着いてこず、船での待機を選択した。エミールに釘を刺されていたし、アウグスト自身も、このレオント家とクロイツ家の確執に深入りすべきでないと判断した。

 ルーシュは、降船の際のアウグストの言葉を思い起こした。


「……残酷だけど、これを伝えられるのは、おまえしかいない……俺は信じてる」

(そうだ……怯むな……)


 しばらく馬を走らせて、目的の鍾乳洞の入り口に到着した。入り口の穴は草むらに隠れ、中は半地下のような構造をしているようだった。


(これは、そう簡単には見つけられないだろうな……)


 ルーシュはその入り口を見つめ、しばし足を止めた。久々に机の引き出しから持ち出した琥珀のペンダントをポケットから出し、首からかける。そして、それを握り締め、目を閉じ呼吸を整えた。


「覚悟はできたか?」


 横から軽やかな声が響く。


「私はただの観客だと思ってくれればいい」


 そう微笑むフリードリヒの顔を見る余裕は、ルーシュにはなかった。


「行きましょう」


 フリードリヒは、やれやれと肩をすくめ、ルーシュの後に続いた。


***


 鍾乳洞内へとルーシュらが足を踏み入れると、前王朝の遺臣たちはルーシュを見て顔をほころばせたが、その後ろにいる人物を目にし、表情を変えた。


「なぜ、クロイツ家が……」


 なぜ、と呟きつつも、皆、一瞬にして現状を理解せざるおえなかった。国王が来た、ということは、もうこの計画は失敗に終わった、ということである。


「よくも我々の前に顔を出せたな!」

「陛下を討った反逆者め!」


 数人の男が声を荒げた。怒りと驚きがない交ぜになり、空気が張り詰めた。

 フリードリヒは腰の剣に手を伸ばす護衛を手で制してから、ルーシュに向けて先を促すよう顎をしゃくり、自身は腕を組んで壁に寄りかかった。あくまでも観客に徹するという素振りだった。

 ルーシュは、顔を上げ鍾乳洞にいる男たちを見回した。皆の表情は、怒りというより、もはや諦めや絶望であった。そして、自分に向けられる失望に気付かないほど、鈍感ではいられなかった。

 ルーシュの出自も、この装置の存在も、クロイツ家にとっては、フェルディナントの書簡によって、元より把握されていた。だから、そもそもルーシュに遺臣らに協力する術などなかった。そう、言い訳したくて堪らなかった。彼らの背負ってきたものを、時の長さを考えると、その視線だけで圧倒されそうになる。


(何を考えてるんだ。そんな無意味な自己保身してどうなる……。陛下の言うとおり、それで彼らが救われるわけじゃない……)


 ルーシュは一度大きく呼吸をしてから前を向いた。


(どれだけ辛くても……)


 そして、数歩、前に出る。


(受け入れて生きてほしい)


 距離を詰めるルーシュに、遺臣らは警戒の目を向けた。彼らにとって仲間などではないのである。


(祖父は彼らを守りたかったのだろう……)


 ルーシュは真っ直ぐ、例の装置に向かった。


(だから、蜂起の首謀者であるクロイツ家当主に書簡を渡したうえで、早々に降伏した。そして、降伏後に命を取られたものはいない)


 ルーシュは装置基部に刻まれたレオント家の紋章に手を置き、上を見上げた。

 丁寧に磨き上げられたそれには、悪意というより愛情が込められているように感じた。

 資材集めも、加工も、組み立ても、決して容易ではなかっただろう。常に見つからないかという緊張感の中、揺らぐことない意志を保ち続けられたのは、怨恨や贖罪ではなく敬愛。ルーシュは零れそうになる雫を、必死に飲み込んだ。いまここで涙を見せれば、それは彼らの三十年をただの同情に変えてしまう気がした。

 ルーシュは遺臣らの方を振り返った。大きく吸い込んだ空気を吐く息が震える。


「……皆さんの期待にお応えすることはできません」

(ああ、なんて残酷なんだ)

「祖父も、そのようなことは望んでいないでしょう。あなた方が過去に囚われ続けることを」

(僕は今から現実を突きつけなければならない)

「それに……」

(彼らの三十年を……一言でなきものに……)

「この装置も、あなた方が願う通りには動かないでしょう」


 遺臣らの表情が微かに歪んだ。

 ルーシュは懐から赤い液体の入った小瓶を取り出した。ここに来る前に、学術技術院の医局で採取してもらった血液である。ルーシュは静かに装置上部の受容皿に近づき、黄金に光る琥珀の中に真っ赤な血を流した。

 まるで琥珀に生命が宿ったように、上部から細かい線に分かれて赤がなぞっていく。

 皆、固唾を飲んで、その流れに目を向ける。

 赤い線は中枢軸に辿り着き、すぐに磁気ブレーキが解除される小さな音が鳴った。そして、同軸に取り付けられた上下二重構造の振り子が降りてくる。

 ここまでは概要書どおりの動き。しかし、その振り子は自然落下しただけで、安定周期で揺れることはなかった。


「……なぜ……?」


 一人の男が呟いた。

 ルーシュはなるべく冷静に口を開いた。


「この図面の図面番号は見ましたか?」


 この場にいた男たちは皆、正気を失った顔で呆然としていた。


「『DT-A9b-AE01』。このAEは旧品番でよく使われており、フランス語で『Appareil d'Essai』、つまり『実験機』という意味です。AE01は実験機第一号、そう簡単に思ったとおりの挙動はしてくれないでしょう。ヴェルツ正教が机上理論を検証するために設計した初号機だったのだと思います」


 しんと、深海のような静けさが降りてきた。洞窟ではなく海の中と錯覚してしまうほどの静寂と冷気。

 しかし、それを打ち消すように老齢の男の笑い声が生まれ、空気中に反響した。


「私たちはこんなもののために今まで……」


 笑いに続けて、大きな溜息を一つついた。


「ある意味、幸せな時間だったな……。偽りであっても、また、陛下のためを思って生きてこれたこの十五年間は無駄ではなかった……」


 俯いたまま拳を震わせる者。ただ虚空を見つめ、口を開こうともしない者。その沈黙が、何より雄弁に彼らの絶望を語っていた。

 老齢の男はゆっくりとフリードリヒの方に顔を向けた。


「フリードリヒ陛下、どうぞ捕まえてください。我々はもう、逃げも隠れもしません。王家を欺こうとした自覚もあります」


 フリードリヒは静かにその顔を見下ろした。


「とりあえず、王都には連れていく」


 そういうと、踵を返し鍾乳洞の出口へと向かっていった。

 鍾乳洞の外には、陸路から来た国王軍がすでに待機していた。

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