第四十五話 水路を渡る影2
アウグストの部屋より一回り広く、家具や装飾も華美になり過ぎず落ち着いた雰囲気を纏いつつも、誰が見ても精巧で丁寧な仕事ぶりのわかるものが誂えられた部屋で、ルーシュは国王と向かい合った。
つい部屋の雰囲気に気圧されそうになり、視線が揺れる。その硬い表情を見てか、フリードリヒ国王は口元を緩める。
「そんなに構える必要はない。ここは、おまえの慕うエミールが普段使う部屋だ」
幼い頃から村で見てきた彼の姿があまりにもこの部屋に合わなくて、ルーシュの口も弧を描いた。
その表情の緩みを確認してからフリードリヒは机の上に一通の古びた書簡を置いた。
「……これは?」
「祖父の代から引き継がれた『呪い』だよ」
フリードリヒが無言で「読んで見ろ」と合図する。
ルーシュが手に取り、書簡を裏返すと開かれた封の端に、翼を広げた鷲が刻まれた封蝋が付いていた。レオント家の紋章である鷲──ルーシュは一度顔を上げ、フリードリヒの顔を見る。フリードリヒは先ほどから表情を変えず、ただルーシュを真っ直ぐと見ていた。
ルーシュは口を固く結び、意を決して封書を開いた。
***
親愛なる友、アルベルト・クロイツへ
おまえがこの書を手にする時、私はすでにこの世の人ではあるまい。語るべきことは余りにも多い。だがまず、このような重き枷をおまえに背負わせてしまうことを、心から詫びねばならぬ。
我が子アデルハイトは、正教と共に時を操るという背徳の装置を開発していた。王家の名をもってこのような民を欺く行為を伏したこと、まさに我が不徳の致すところである。
本来ならば、私自らが責を負い、清算すべきであった。だが、ここまで拗れたものを断ち切るには至らなかった。父としても、王としても、あまりに至らぬ者であったと認めねばならぬ。
この装置は、王家の血によってのみ起動し、また破壊も成し得るという。ゆえに、エリーゼをシュタルクの息子と共にグリュンヴァルトへと逃した。装置はいま、国内の自然洞窟に移されている。この技術を、おまえの代において必ずや葬り去ってほしい。
アルベルト。私はおまえと共に長き時を歩んできた。この命よりも尊き国を、そして民を、おまえに託せることを誇りに思う。
王として、一人の父として、そして愚かな友として──。
この愛すべき国の未来を、おまえに委ねる。
フェルディナント・レオント
***
手紙を読み終えたルーシュは一息吐いて顔を上げた。胸の奥に残ったのは、重荷にも似た温もりだった。過去から伸びた鎖が、いま自分の肩にかかっているのを感じる。
「破壊にもレオント家の血が必要……ですか……」
「その部分は誤認識だろうな。機能は何にせよ、機械装置であることは変わらない。爆薬で壊せないものはないだろう。こういうことは、おまえの方が詳しいだろ?」
「そうですね。私も陛下のご意見に同意です。物理破壊が不可能ということはないでしょう」
会話に一瞬の空白が訪れ、ルーシュはフリードリヒの表情を窺った。
「……では、なぜ王女を生かしたのですか?」
フリードリヒは軽く笑ってから視線を逸らした。
「結局、我々も光に魅せられた一人だったということだろう。尤も、私は周りに踊らされる気は毛頭ないがな」
フリードリヒはそう吐き出した後に、再びルーシュに顔を向けた。
「で、おまえは、なぜ遺臣らと話すことを頑なに望む?」
フリードリヒの目は威圧感があるのに、何故だか逸らすことのできない求心力がある。
「陛下が仰っていたとおりですよ。私には忠誠を裏切る決断ができないだけです。言い訳ぐらいさせてほしいんです」
そういって、ルーシュは眉を少し下げ、苦笑いを浮かべた。
そして、一息吐くと背筋を伸ばし、フリードリヒの顔を正面から見据えた。
「では、次は私の話をしてもよろしいでしょうか?」
フリードリヒはゆっくりと背もたれに体重を預け笑みを浮かべた。
「そういう目は嫌いじゃない」
静寂が降り立った部屋に、荒れ狂う蒸気の音だけが響き渡った。




