第四十三話 交錯 ― 王宮の夜2
息苦しいほどの静寂が支配する室内で、ルーシュは言葉を続けた。
「場所はお教えします。その代わりに、彼らを捕える前に私を彼らに会わせてください」
フリードリヒは再びゆっくりとソファの背もたれに体重を預け、少し口を緩める。そして、真っ直ぐ視線をぶつけるルーシュに対してゆっくりと視線を回した。
エミールは予想以上に肝の座ったルーシュに少し感心を抱きながら眺める。
(なるほどな。目的は何にせよ、勝手に遺臣のところに向かっていれば、国王の監視でルーシュごと捕えられた可能性が高い。であれば、直談判の方がまだ望みはあるってことか……)
「それは、呑めない注文だな」
「なぜですか?数分で構いません」
フリードリヒが目を細める。
「おまえは自分の立場がわかっているのか?」
「私は彼らの肩を持とうとは思っていません。だから、ここに来たんです。ただ、その前に直接話をしたい、というだけです」
「ふっ、自分の後ろめたさを和らげたいだけだろ。向こうにしてみればどちらも変わらない。おまえと話をしようがしまいが、おまえに裏切られたという事実はな。無駄な情を抱くな。同情するくらいなら、一緒に奈落に堕ちてやればよかろう」
「……だからじゃないですか?」
フリードリヒの笑みに少し影がさす。
「そうやって無碍にした結果が今じゃないんですか?彼らは別に革命を起こそうとなんてしていませんし、あなた方のことも恨んでいません。ただ、自分たちを許せなくてずっと苦しんでる……分からないから納得できないでいるだけです」
ルーシュの言葉が切れ、静まり返る室内にフリードリヒの静かな笑い声が落ちる。
「甘すぎるな。奴らは負けたんだ。負ける理由に納得できるものなんてあるわけなかろう」
エミールは傍観者に徹していた。あの革命時、自領の対応しかしなかったロイエンタール家に口を挟む資格はない。だが──
(これは全面的に陛下に同意だな……というか、実際の感情は別にして、現実的にそうせざる終えないのは理解できるだろう。何のために話を引き延ばしてるんだか)
「……ですから、当時は無理でも、今なら納得して矛を納めてもらえるかもしれません。別に、それで罪を軽くしてほしいとは思っていません。ただ、そのくらいは許されるのでは、と思っただけです」
ルーシュは折れずに続ける。
「ふっ、度胸はあると思っていたが、諦めの悪さも一品だな」
「では、捕えるより前に私が彼らに会うことを承諾いただけますか?」
フリードリヒはルーシュの目を見つめる。目は口ほどに物を言う。同情?敵意?責任感?使命感?少し考えてからゆっくりと口を開いた。
「私が同席するのであれば、許そう」
再び室内に沈黙が広がる。
(陛下が直々に同席する?……なぜ?遺臣の前に顔を出すなんて自殺行為。せめて臣下でいいのでは?)
エミールの疑問をルーシュが口にした。
「陛下が直々にですか?いくらその気がないと私が申し上げたと言っても危険では?」
フリードリヒはルーシュを見たまま、ゆっくりと口角を上げた。
「おまえらは、どうしても認めさせたいみたいだな。それに意味があるとは思えないが……」
フリードリヒはソファに身体を預け、一息吐いた。
「おまえたちが疑っているとおり、その装置のことも、どうやって起動するかも知っている。だから、おまえ一人を奴らの所には行かせられない。これで満足か?」
ルーシュはその言葉を受け止めてから深く頭を下げた。
「回りくどい言い方をして申し訳ございませんでした。では──」
そう言って、ルーシュは懐から一枚の紙を取り出した。それは、先日レオンハルト・エーベルトから渡された、『時告げ歯車』が保管されている鍾乳洞までの地図。その地図を広げた瞬間、エミールは目を開いて息を呑み、フリードリヒは声を上げて笑った。
「まさか、あの村とは。エミール、おまえは知っていたのか?」
「知るわけないでしょう。ですが、合点はいきますね」
「ああ。前王朝時代の宮廷貴族の領地の多くはうちの忠臣の領地。何かあれば報告がくる。だが、ここは、ラインベルク領」
「運も味方したわけですか」
フリードリヒは地図をもう一度確認してから顔を上げた。
「エミール、船を出せるか?」
「本当に陛下が行くおつもりですか?」
「ここまで付き合わされたんだ。結末は最高の客席で眺めないとな」
フリードリヒは自答するように呟いた。
「はい?」
「いや、目的地もおまえの管轄だろ?ちょうどいい」
「王家の船を出せばいいでしょう。うちを巻き込まないでいただきたいと申し上げましたが」
「そっちから巻き込まれに来たようなもんだがな。それに──」
フリードリヒは地図に記載された山を指差した。
「川の上流に随分大層なものを作っているようだが?」
フリードリヒの見透かした顔に、エミールも笑顔を返す。
ラインベルク領は国の北部に位置し、ルーシュの生まれ育ったグリュンヴァルト村もある山間部を含む。その標高の高い山間部から、この国を縦断し、最大の物流量を誇るロメル川が流れているのである。
上流部は川幅も狭く、実用するには事前に資金や労力を投入する必要があるため、ラインベルク家はその川を有効活用してこなかった。しかし、ロメル川の下流を占有するロイエンタール家にとって、その上流は喉から手が出るほど欲しい場所であった。
運河による物流で成長し、ロイエンタール領では人々の生活にも支流が有効活用されている。つまり、川の流量を安定させることが非常に重要である、ということ。
ラインベルク家の一件があり、その領地をロイエンタール家が管理するとなってすぐ、エミールは川の上流でダムと河港の建設、そして川幅の拡張工事を計画した。これが完了すれば、川の水流が安定するだけでなく、山から木材を調達することも容易になる。ロイエンタール家にとっては、ラインベルク家の仕事を無料で肩代わりしてもお釣りが来るほどである。
このラインベルク領を誰が管理するか、となったとき、エミールは寒気を感じた。通常ならば、王家の忠臣にその役目は渡されるだろう。しかし、あの村にエミールがいるという事実に尻込みする者がほとんどだった。結局、ロイエンタール家に任されることになったのだが、元々評判の悪かったラインベルク家に目をつけて息子をあの村に派遣したのであれば、と考えると、自分の父親が尊敬を通り越して怖くなった。
ラインベルク家の管理は王の命であるため、あの家の動向については日々報告を上げているが──
(まあ、こちらの動きも思惑も気づかないわけはない、か)
「失礼いたしました。陛下にご報告が必要でしたか?」
「白々しい。随分おまえにも利益はあっただろう?」
エミールは肯定も否定もせず、笑みを浮かべてから口を開いた。
「では、こちらの要求を呑んでいただければ」
「命令に取引条件は出さないものだがな」
「陛下にとっても損はないかと」
フリードリヒが無言で続きを促す。
「……王胤抹殺令を撤回していただきたい、と」
静かにしていたルーシュがビクリと反応した。少しの沈黙のあと、フリードリヒが低く笑う。
「おまえらしくないな。ロイエンタールには何の利益にもならんだろう」
エミールは表情を崩さず、フリードリヒを見つめる。ロイエンタール家の紋章が入った船で現地に行く、ということは、国王の遠出を隠したいだけでなく、遺臣側にロイエンタール家は国王の味方だと示したいに他ならない。ルーシュが遺臣側につくことよりも、ロイエンタール家が遺臣側につくことを危惧している。それは当たり前だろう。それだけの力があるのだから。アウグストの密命をあからさまにバラしたのもそのためだろう。
だから、ルーシュを無意味に処分しないのであれば、ロイエンタール家が遺臣側につくことはない、ということを示したのである。
「私の忠誠をお見せしただけですよ」
フリードリヒは軽く口角を上げて頷いた。
「よかろう。この件が収拾すれば必ず」
「では、明朝、うちの馬車がお迎えに伺います」
すでに外は暗闇に包まれ、空には星たちが我先にと輝きを放っていた。遠く離れた光の群れのように、彼らの思惑もまた交わることなく、同じ夜空の下で揺れていた。




