第三十四話 書き換えられた祈り2
ある時、優秀な科学者の一人が興奮した顔で大量の紙束を持って現れた。
彼は「時の流れの仕組みを机上で解き明かすことができた」と言う。ヴェルツ正教が神聖化している『時』。これは、何も『時』を超越した力を持つものと謳っているのではなく、不変で不可侵な存在であるということを認めているに過ぎない。
しかし、その『時』のメカニズムがわかり、机上での検証では、『時の操作』ができるのでは、という話だった。
この話を聞いた研究者たちは興奮を隠せなかった。最近失われていた知的好奇心。素直な喜びを感じられる新たな発見。何とかこれを実験で証明したい、と話は進んだ。
「しかし……現実問題、御家からの命にも応え続けないといけませんし、余分な資金も場所も人員もありませんよ」
難しい顔で誰かが言った。この物理的な問題をどう解決するか。その時、誰かが声を上げた。
「王家に……レオント家に支援を求めてみたらどうでしょう?」
王家であるレオント家は、ヴェルツ正教の前身である科学者らがこの国に来たときから、直接関わりを持つことはなかった。ヴェルツ正教とやり取りをするのはクロイツ家のみ。クロイツ家がこの知を独占したかったのか、レオント家が我々を信用していなかったのか、その詳細な理由はわからない。
だが、クロイツ領以外にもヴェルツ正教が広まり始めてから、聖典部は王家にも教育支援に協力してもらえるよう、長い間熱心に働きかけてきた。そして、最近になって、王家の窓口として王太子が任命されたという。
「聖典部の者が言うに、王太子殿下は国の未来を純粋に見つめておられます。まだお若いですから、こちらの熱意に応えてくれるやもしれません」
その後の動きは早かった。王太子と会う機会を設け、この研究の尊さを伝え、それがどのようにこの国の未来に役立てることができるかを説いた。
まだ、ヴェルツ正教自体に対する不信感を拭いきれていない彼の信用を得るために、装置の起動を王家の者しかできない構造とした。最大限の譲歩を示したのである。
王太子は悩んだ末に、協力を承諾してくれた。久々に研究者たちに明るい光が宿った。純粋なる未知の追求。それこそが、我々の望みであることを再確認した。
資材や場所は王太子が用意してくれたが、人員はどうにもならない。しかし、誰もが眠らず、食を忘れ、昼も夜も関係なく、この装置に没頭した。こんなに活き活きとした時間はいつぶりだろうか。深く、満ち足りた日々だった。今となっては、白昼夢のようなものだったのかもしれない。
だが──幕は、唐突に閉じられた。
机上での検証の末、設計図を起こし、やっと作り始めた装置が六割程度完成した頃、突然、王太子から開発中止の通達が届いた。理由は語られなかった。それは、命令だった。そして、その瞬間から開発施設への立ち入りが封じられ、今までの検証記録も、設計図も、そして作りかけの装置も、長い時間をかけ、皆で協力して形にしてきたそのすべてが突然奪われた。できる限り王家に誠意を示してきたというのに。
物事の立証にどれほどの時間と労力と気力が必要かわかっていない。繰り返し検討し、検証し、実験し、まるで我が子のように手をかけてきた記録を意図も簡単になきものにしたのである。
そう簡単に納得できるはずがなかった。
皆が心を奪われるように没頭していたからこそ、この現実が余計堪えた。これまでの、クロイツ家による不当な扱いも相まって、皆、我慢の限界に達していた。
「……我々の力を見せてやりましょう」
一人の言葉に、皆が静かに同意した。
***
もう貴族たちに踊らされたくない、と入念に、そして淡々と準備を進めた。
ヴェルツ正教の計画は、親交の厚い王家とクロイツ家を仲違いさせること。そして、ヴェルツ正教の権力を強めること。
ヴェルツ正教はクロイツ家に謀反を起こさせるよう計画を立てた。それと同時に、王家の戦力を落とすために、親王派の貴族には、低品質の火薬や兵器を提供した。信徒を唆し、クロイツ家が動かざる負えない状況を作り出した。
──予想以上の結果だった。
新たに王座についたクロイツ家は、ヴェルツ正教を国教とし、十二分の権力を得ることができた。
王家となったクロイツ家は昔ほど研究内容にも口を出せない状況となり、適度な距離感を保ったまま、学びを国中に広め、国の未来を明るく導く手助けができるようになった。そのことにまず、喜びを感じずにはいられなかった。もう、誰にも押さえつけられない。我々の知が、ようやく国を照らす光になると、信じた。
だが、それでも、忘れられない『時』があった。我らが心血を注ぎ、夢を懸け、真理に手を伸ばした、あの結晶。
革命の混乱が収まった頃、我らは再びその話を持ち出した。志半ばで終わってしまった『時』のメカニズムを解明したい、と。
かつての科学者たちは、皆、今や高位の聖職者であり、尊敬を集める存在だ。我らはもう、『異端』でも『逃亡者』でもない。──ならば、もう一度、あの歯車に、手をかけてもいいはずだ。そう思ったのは、当然のことだった。机上での検証も設計図も、一度は完成させたのである。記録は残っていないが、何とかなるかもしれない。特別資料庫にある、類似する装置などの情報を参考にして、検討を始めるうちに、また当時の興奮が蘇ってきた。
情報よりも、問題は資材だった。王家の協力が得られない以上、国家管理資材を手に入れることは難しい。何とか別の資材に置き換えて、同等の性能を実現させるしかない。
そうやって夜な夜な、あの頃のように粛々と開発を進めていた。
そんな時だった。
結局──夢は半ばで砕け散った。
我々は『時』の仕組みを解き明かしたかっただけである。誰も、それを利用して人を陥れようなんて考えていない。
それを考えるのはいつだって、そちら側ではないか。
本当に悪は我々なのだろうか。ただ、単純に知を求めた我々は罰せられるべきなのだろうか。




