第三十三話 書き換えられた祈り1
我々は、もともと宗教になりたかったわけではない。
隣国の国教に迫害されて逃げてきた、ただの科学者の集まりだったのだから。
我々は、『時』を神だと思ったことはない。
神は時をも超える存在だという戯言を否定したかっただけである。
我々は時間という誰に対しても等しく流れる不変の存在をただ認めて、受け入れ、活用してきたに過ぎない。科学者にとって、それは時に道具であり、基準であり、安らぎであった。
我々が求めているもの。それは『自然の理を解くこと』──ただそれだった。
我々は迫害された。隣国の、信徒の数と暴力性ばかりを誇る国教から──『知』を求めたことが、『神を侮辱した』とされ、焼かれ、斬られ、追われた。命からがら逃げて辿り着いたこの国、クロノフェルデで、ようやく居場所を得たのだ。
最初の頃、我々はただの科学者だった。時間を測る装置を作り、振り子の動きを観測し、星の運行を記録し続けた。誰かを導くつもりなどなかった。ただ、知りたかった。自然の摂理を、法則を、理を。
『知ること』そのものが我々にとって、なによりも神聖だった。
──それを見つけてくれたのが、この国だった。
クロノフェルデ王国は、我々を排除しなかった。どこの誰ともわからない、怪しい事を唱える我々を保護するだけでなく、物資や資金も提供してくれた。知らないことを怖がるのではなく、受け入れてくれた。その器の大きさには感嘆せずにはいられなかった。
少しでも恩返ししようと、研究内容は国にすべて報告し、読み書きのままならない農村の子供たちに授業を行った。
よくなかったのは、我々が教会に住んでいたこと。そして、祭壇に計測用の振り子時計を置いたこと。
富裕層にしか許されていなかった学びを農村の子供たちにも行うというこの活動は、市井で評判になり、協力を申し出る者も出てきた。古びた教会を使ったこの学舎には、我々に倣って、祭壇に振り子時計が置かれた。祭壇に振り子時計を祀るというこの印象的な光景が『宗教』と呼ばれるようになるのに、あまり時間はかからなかった。
科学者のほとんどは、『宗教』という言葉自体に嫌悪感を抱いたが、なるほど、教義はそこまで悪くなく『時は万物に平等である』という。それは、もはやただの事実であり、むしろ、他の神を否定しているまでもあった。時という不可侵な存在を認め、人々が作り出す人外の偶像を否定する。それも悪くないような気がしていた。
宗教という形式を取るようになってから、『知識は恐れをも凌駕する』という教えが広まり、人々は迷信や妖の存在を恐れなくなり、どのような現象にも原因があると考えるようになった。一科学者としては、それが誇らしくもあった。
──知を求める行為は、祈りと矛盾しない。そう考えるようになった我々は、甘かったのかもしれない。
***
かつて、我々を拾い上げてくれたのはクロイツ家の嫡男だった。
彼は若く、素直で、恐れを知らなかった。禁忌とされた我らの研究にも眉を顰めず、むしろ幼子が新しい玩具を手にしたような好奇心を向けた。そう、きっと彼にとって、我々は知的な珍獣でしかなかったのだろう。だが、それでも、最初はありがたかったのだ。
しかし、彼ら貴族が慈善事業で資金を提供するようなことはない。
軍事貴族としてある程度の地位を築いてきたクロイツ家は、保護の代価として、技術の転用を求めた。当初は『防壁の精度を上げるための計測機器』や『燃焼効率の高い火薬の調整』程度だった。
だが、それはやがて──『新たな兵器の開発』へとすり替わっていった。
我々は自然の理を解き明かしてきただけであり、それらを軍備にも転用した、というだけである。初めから殺戮目的のものを開発するのとは訳が違う。現象に宿る規則性を、そっと撫でるように紐解く──その繊細な喜びを求めていただけなのに。今や、新たな発見や実験の成功は、そのまま人の命を奪うことに繋がる。そんな悲しいことがあるだろうか。
だが、クロイツ家しか繋がりのない我々に選択肢などなかった。
クロイツ家が利用したのは技術だけではない。
ヴェルツ正教の学舎活動が広がり、他の領地では三割に満たない識字率が、クロイツ領では飛躍的に伸びた。それを利用して、クロイツ家は徴兵を行った。
読み書きができる、ということは、意思疎通が格段にしやすくなるということ。今までは騎士の位を持つものだけが担った役割を、位はそのままに、農民たちにも課した。そして、それは子供にも及んだ。武器の使えぬ小さい子供は、諜報員として重宝された。
学びとは世界を広げるためのものと、信じてきた。だが、結局、我々は大人に利用される術を与えたに過ぎなかった。




