冬の墓場から「ひょうろくまめ〜」と声がする
これは怖くないホラーである。
ホラーとは怖いものだなどという決めつけは私はよくないものだと思っている。
ちなみに『horror』の意味を辞書で調べてみると──
『1、恐怖
2、[a horror] 〔…に対する〕嫌悪, 大嫌い 〔of〕
3、【可算名詞】 恐ろしいもの,ぞっとするほどいやなもの[人〕
4、【可算名詞】 《口語》a実にひどいもの.b手に負えない人,腕白(坊主).
5、[the horrors] 《口語》aぞっとする心持ち,憂うつ.b(アルコール中毒の)ふるえ 《発作》』
…と、ある。
つまりは嫌なひとやアル中のひとを描いてもホラーになるのだ。
私はそれに加え、オカルトなものをメインにした小説もホラーだとする。
そういう意味で、これは怖くないホラーなのである。オカルトなものは出てくるが、何も恐ろしくはない。
だから是非とも心をゆうるりとして、穏やかな気持ちで読んでいただきたいと願う。
さて、厳冬の某田舎町のとある墓地に、夜な夜な幽霊が出るという噂があった。
オカルト大好きな私はその噂をネットで聞きつけ、ワクワクしながらそこを訪れた。もちろんバカだからである。
身を護るものは何も持たず、友達がいないので連れもなく、身一つで真冬の心霊スポットに飛び込んだのであった。
しかし安心してほしい。私は今、こうして生きている。何も恐ろしいことは起こらなかったのである。ただ幽霊の話し声を聞いたという、それだけの話なのである。
私が物音を殺して墓地に足を踏み入れると、もうその声は聞こえていた。
そこかしこの墓石の下から低く感情のない「ひょうろくまめ〜」「ひょうろくまめ〜」という謎の声がしており、私が墓地の真ん中に静かに腰を下ろすと、彼らの声はだんだんと会話となって聞こえてきた。
「土の上はもう寒いんだろうね」と、男の声が言った。
「なんだか最近は冬があったかいらしいよ。わしらの頃みたいに火の側でじっと寒さをこらえていなくても、部屋全体があったかくできるようになってるらしい」と、別の男の声。
「それどころか外もそんなに寒くないらしいじゃないか。あったかい冬と書いて『暖冬』ってことばがあるそうだ」
また別の男の声がそう言い、そこからは色んな墓石の下から、老若男女さまざまな声が会話に加わりはじめた。
「寒くない冬だなんて、信じられない」
「たどんはおろか、木炭もいらないんだって」
「でも年貢の取り立ては相変わらず厳しいんだろう?」
「私の頃にはもうとっくに年貢制度はなくなっていましたよ」
そんな時代に食い違いのある会話をひとしきり交わしたあと、彼らはしみじみと現代の現世についての感想を漏らしはじめた。
「現在の将軍様はいいお方のようだな」
「今は将軍様じゃなくて、そうりだいじんっていうんだって」
「いい世界になってるんだな。そのそうりだいじんさんも皆から慕われているんだろうなあ」
「子孫が幸せそうだと嬉しいわよね」
「うんうん。ところで君、そうりだいじんとかいう言葉は誰から聞いたのかね」
「墓参りに来てくれた子孫とね、心でお話したんだよ」
「そうか。そうだったな。我々は子孫と心で通じ合えているんだった」
「すっかり忘れてたな」
「というか、今日のこの話のことも昔にしたような気がする」
「そんな気がするな」
「何回もしてる気がする」
「忘れたな」
「ひょうろくまめ」
「ひょうろくまめ〜」
それからは彼らは「ひょうろくまめ〜」とぶつぶつ呟くばかりで、会話のようなものはなくなった。私は彼らに手を合わせて拝むと一礼し、その場を去った。
スマートフォンで録音していたのだが、後から確認すると会話は確認することが出来なかった。なんとなく「ひょうろくまめ〜」というような音は録音されてはいるが、梟の鳴き声のようでもあり、はっきりしない。
まぁ、私は元より録音、録画したものをネットに晒そうとは思っていなかったので、このことはそれほど残念でもなかった。
私ははじめから、文章にしてここに投稿するつもりであった。
彼らの肉声を無遠慮に晒しものにしたくないこともあったが、何よりも霊障を気にしてのことである。文章だと証拠がなく、ほんとうだと信じてもらえないかもしれないが、オカルトなものはそのぐらいでちょうどいいのではないだろうか。
夏の墓場には怨霊がいるという勝手な印象がある。しかし冬の墓場には、静かに眠る霊たちの呑気な会話のみがあった。
私はこの実体験を通じて『今』を見つめ直したい。果たして現代は、彼らの思い描くようないい時代になっているだろうか。少なくとも彼らが思い浮かべているようには、総理大臣は慕われてはいない。
『ひょうろくまめ』という単語についてネットで調べてみたが、『ひょうろくだま』という、似たことばしか出てはこなかった。『どこへ行くのかもわからない馬鹿』の古い表現らしいが、おそらくは似ているだけで別のことばなのだろう。何にせよ、彼らに聞いてみなければ意味はわからない。