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巻の一 第七幕

おトキに呼ばれ料理茶屋流舟を訪ねた無持は、そのまま奥の間に通された。

そこにはすでに卜部と蓮華が思い思いに酒と料理を楽しんでいるところだった。

「あっ、無持さん。遅かったね」

「あたしらぁは、もう、始めてますよぉ」

無持が空いている席に腰を下ろすと、おトキが追加の酒を持って現れた。

「こいつぁ、何の集まりでござんしょう?」

無持がおトキに酌をしてもらいながら、誰にとも無く呟く。

「それについては、私から話をさせてもらいましょう」

閉じられていた襖が開かれると、深く頭をたれた泉岳屋久兵衛の姿があった。

それに倣うように、おトキも座して深々と頭をたれる。

その様子に、三人の手が思わず止まっていた。

「ちょ、何よ、えっ、どういうことよ?」

突然のことに蓮華はひどく狼狽している。

泉岳屋久兵衛はそこで改めて姿勢を正すと、静かに三人を見据えた。

「今回の件、私の手抜かりによるもの。まずは筋を通さねば、話を始められませんからね」

「つまり、あっしらが目をつけられたのは、泉岳屋の親分さんのせいだった。そういうことかい?」

「そう思ってもらって相違ない。私に関わるしがらみが、お三人を危険に晒してしまった。お三人の身を預かる者として、簡単に許されることではないだろう」

再び、泉岳屋久兵衛は深々と頭をたれた。

「やめとくれよ、親分。あたしらは親分に感謝こそすれ、頭をさげられるようなもんじゃないんだから」

「そうですねぇ。親分にぃ拾われなけりゃ、半端者のあたしらじゃぁ、どうなっていたことかねぇ」

慌てふためく蓮華に、卜部も困ったように頬を掻く。

「あっしらは、いつ死ぬ覚悟もできておりやすよ。親分さんのせいで死んだとしても、恨むようなことはござんせん。それだけの恩を、親分さんに受けておりやすからね」

そう言って、無持は猪口の酒を一気にあおった。

「それでもだよ。私の落ち度は、きちんとしておく必要がある。だから、今宵は存分に飲んで食べておくれ」

その言葉を待っていたように、追加の料理が次々と運び込まれてくる。

蓮華は目を輝かせながら、あれこれと増えていく料理に箸をのばし、卜部は好物の甘味を頬張っていく。

無持は変わらずに、ゆっくりと猪口を満たしながらそれを美味そうにあおる。

しばしの間、三者三様に酒と料理を楽しんでいた。

「それで、何があったのさ、親分?」

その細い体のどこに消えていくものか、すべての料理を平らげる勢いだった蓮華が、ふと思い立ったように口を開いた。

「そうだね、そろそろ本題を話そうか。今回の件、どうやら私達は嵌められたようだ」

「それって、掟破りじゃないさ」

「そう、掟破りだ。どうやら今回の起こり、私のところに仕掛けを頼むように仕組まれたようだね。娘の葬儀の場に似つかわしくない身なりの男が現れ、起こりに私のことをそれとなく耳に入れたらしい。その上、仕掛け料となるような金子の香典が誰からのものとわからないように紛れ込んでいた。よく出来た仕掛けだよ。娘への無念でいっぱいの人間には、まるで仏からの思し召しのようだったろうね」

「起こりのぉ身元はぁ、調べたんでしょう?」

「ああ、調べたよ。起こり自身は、慎ましく暮らしているよくある者さ。それに事が事だったからね、私も少し気が急っていたのかもしれないね。あれには私も憤っていたものだから、目が曇ってしまっていたのだろう」

「そいつは、しようのないことでござんすよ。あっしも、若造共には腸の煮えくり返る思いでやしたからね」

「そうなんだ。あれは、一日でも早く冥府に送ってやる必要があった。多くの人達が涙を飲んで、不幸になっていたからね。その思いが、私に油断を生んでしまったのだろう。これからは重々気をつけなければと、命を預かる者として思ったよ」

「だからさ、親分は難しく考えすぎなのよ。あたしらはさ、好きでやってるの。その場を、親分は与えてくれてるわけ。だから、親分を恨むようなことはないのさ」

「それでもだよ、それでも、私はお三人には生きて欲しいのさ。私にとって、お三人に変わる者はないのだからね」

その言葉に、三人は気恥ずかしさを紛らわせるように料理に酒にと意識を向けた。

しばし、言いようのない雰囲気が立ち込める。

「それで親分、あたしらを嵌めようとしたのは、どこのどなた様なのさ?」

場の雰囲気に耐えかねた蓮華が、鯛の目玉をくり抜いて口に放り込みつつ尋ねる。

「おそらくだけどね、生駒屋さんだよ、生駒屋佐平次。どうもね、私の事を目の敵にしているみたいでね」

「あのクソ親父、やってくれたもんだよ」

蓮華は吐き捨てるようにそう言うと、眼の前のメザシに頭からかじりつく。

「そうか、蓮華は生駒屋さんに世話になったことがあったね。あまり良い所ではなかったようだけど」

「最低だよ、あいつん所は。金には汚い、女と見ればすぐに手を出す。嘘や誤魔化しは常だったし、手下もろくな奴がいなかったさ。仕掛けも下手な連中ばかりだし、ホント、親分に会えて良かったよ」

「いい噂はとんと聞きやせんからね、生駒屋は。ただ、人数はいやすからね、数で潰すんでしょうな」

「あぁ、そぉいう」

あんみつをつついていた卜部が、一人合点が言ったように膝を叩いた。

それを蓮華が不思議そうに眺める。

「いやぁね、あたしの同輩にねぇ、今回の下手人を仕掛け人だって、そぉねぇ、騒いだ人がいたんですよぉ。確たる証はぁないんですがねぇ、いやに頑なでねぇ。親分が替え玉ぁ用意してくれたおかげで、まぁ、事なきを得ましたけどねぇ。今でもねぇ、仕掛け人を探してるぅみたいでしてねぇ。きっと、生駒屋と繋がってぇるんでしょうなぁ」

「卜部の旦那、その、替え玉って何よ?」

「あたしの同輩、山元ってぇ人なんですがねぇ、その人はねぇ、仕掛け人として無持さんと蓮華さんにねぇ、目をつけてたんですよぉ。あたしも、疑われてたのかなぁ。調べが始まる前からぁ、確信してたようでしてねぇ、あれ、生駒屋からぁ仕掛けのことを聞いてたんでしょうなぁ。それであたしらぁひっ捕まえるつもりが、親分の用意した替え玉でぇ、計画が駄目になったんでしょうなぁ」

「そのへんの話もびっくりなんだけど、その、替え玉よ! 誰かが代官所に首を差し出したってこと?!」

蓮華は勢いのあまり、卓にドンと手のひらを叩きつけた。

無地も無言のまま、右の眉を吊り上げている。

「お三人の嫌疑をどうするか、私は頭を悩ませていたんですよ。そんな時にね、元治さんが訪ねて来たんです。覚えてらっしゃいますか、金貸し金次への仕掛け。女郎の妹の恨みを晴らして欲しい、その話を」

「ありやしたね、そんな話も。まさか?」

「ええ、その起こりが元治さんなんです。なんの因果か、元治さんは偶然、今回の件とその下手人とされている仕掛け人の話を耳にしたそうで。それで、私の所を訪ねてきたんですよ。もし、役人共が嗅ぎ回っている仕掛け人が私のところの人間なら、自分に恩返しをさせて欲しい。そう言ってね」

「まさか、それを受けたってんじゃないでしょうね、親分!」

蓮華の腕が泉岳屋久兵衛の首に伸びる。

無持と卜部が腰を上げかけるのを、泉岳屋久兵衛が手で制した。

「そんなこと、受けれるわけはないでしょう。当然、お断りしました。でもね、元治さんは折れなかった。三日三晩、寝ずにうちの前に座り続けたんですよ。それで、私は折れた」

そこで、泉岳屋久兵衛はひどく悲しそうに笑った。

「元治さんは言ったんですよ。妹の恨みは晴らしてもらったが、妹は帰ってこない。あれから何も手がつかず、ただただ一日が過ぎて行くだけだと」

蓮華の腕から力が抜け、泉岳屋久兵衛の首から離れていく。

「それでも、妹の恨みを晴らしてもらった恩に報いるため、生きてきたと。今、その恩に報いる事ができるなら、自分は何だってやるのだと。恩人を救うためなら、命も惜しくない。そう、言ったんですよ。とても強い、覚悟を持ってね」

泉岳屋久兵衛が猪口の中身を空にすると、おトキがすかさず酌をする。泉岳屋久兵衛はそれも一気に飲み干す。

「私は負けました。元治さんの覚悟は本物だった。だから、元治さんに託したのです。お三人を救いたい、元治さんのその思いにね」

場が、静まり返っていた。

蓮華はやりきれない表情で、箸の先をかじっている。

卜部も泣き笑いのような表情を行ったり来たりしながら、大福を弄ぶ。

「あっしらはなんとも、難儀な渡世でござんすね」

無持はそれだけ言うと、手にした猪口を卓に伏せた。

静かに、時折漏れ聞こえる外からの音のみが時を動かす。

「生駒屋さんには、けじめを付けてもらわなければなりません」

泉岳屋久兵衛が居住まいを正す。

「その時には、お三人にも存分に働いていだだくことになります」

三人は小さくうなづくと、無言でその場を後にした。

残された泉岳屋久兵衛の瞳の奥には、小さな、だが何人にも消すことが出来ない闘志の炎が瞬いていた。

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