巻の一 第六幕
「旦那、旦那は調べに加わらないんですかい? こんなところで茶なんか飲んでていいんですかい?」
奉行所の同心部屋で呑気に茶をすすっている卜部の前を、田八が忙しなく行きつ戻りつしていた。
「下手人が捕まったんですよ。調べをしないんですかい?」
「あたしの担当じゃぁ、ないですからねぇ。藤方様が、引き取ったでしょうに」
「そうは言いますがね、山岡様があれだけ気にかけていた件ですよ、こんなにあっさりなんて」
「まぁ、そういうこともぉ、あるんでしょうよ」
卜部はいつの間に取り出したものか、みたらしの串団子をうまそうに頬張っていた。
その様子を田八はため息を吐きながら眺めた後、団子を一本奪い取り、思い切り頬張る。
卜部は盗られた団子を恨めしそうに眼で追った。
そこへ、けたたましい足音と共に山岡が駆け込んでくる。
「卜部さん! 何を呑気に!」
山岡が卜部の文机へバスンと乗りかかると、茶碗が倒れ、団子が地に落ちた。
「あの件の下手人が、奉行所に来たそうですね」
卜部は地に落ちた団子を拾うが、みたらし餡がゴミまみれでとても食べれたものではなかった。
「聞いてるんですか、卜部さん!」
「そぅ怒鳴らんでも、聞こえてますよぉ」
山岡を尻目に、卜部は落ちた団子の片付けを始める。
一本拾う毎に小声でもったいないとかまだ食べれそうだと呟きながら、拾った団子を元の包みに集めていった。
「私はこれから調べに参加してきます。卜部さんは、どうします?」
団子をのそのそと拾い続ける卜部に業を煮やした山岡は、早口にそうまくし立てる。
「調べは、藤方様預かりですがねぇ。あたしらにゃぁ、関わりにくいでしょうに」
「内藤様から、話は通してもらっています。このままでは、私は納得できないままです!」
そう言い放つと、山岡は早々にその場を去っていった。
「山岡様の言う通り、旦那は気にならないんですか? 下手人が自分から出てきたんですよ。不自然じゃないですか?」
「不自然ねぇ。どうだろうねぇ。やるべきことをやりきったからぁ、逃げる必要もなくなった。そういうことも、あるのかねぇ」
「つまり、相手に一矢報いてやったから、もう未練はないと?」
「そういう、潔いやり方だって、あるだろうねぇ」
「それは、まあ」
卜部の言葉にどこか納得のいかない顔をする田八をよそに、卜部は茶碗へ熱い茶を注ぎ直していた。
そんな中、再び大きく足音を響かせながら誰かが駆け込んでくる。
駆け込んできた人物は茶を啜っている卜部を見つけると、そのままの勢いで肉薄してきた。
「う、卜部さん、下手人が、つ、捕まったと?」
息を切らしながら飛び込んできたのは、同心の山元だった。
山元は卜部の肩を掴むと、これでもかというほどに揺さぶる。
卜部が手にした茶碗からは熱い茶がこぼれ出し、卜部と文机はびしょ濡れになっていった。
「山元様、落ち着いてください。卜部の旦那がひどいことになってますよ」
田八は興奮気味の山元を押さえつけると、卜部から引きはがす。
やっとのことで解放された卜部は、手にしていた茶碗を文机の上に放った。
「お茶ぁくらい、ゆっくり飲ませてくれませんかねぇ」
「それどころではない! 若侍殺しの下手人、捕まったのであろう!」
山元は田八を振り払うと、卜部に食って掛かる。
「ええ、半刻程前ですかねぇ。奉行所に、自分がやったんだとぉ、名乗り出てきましたよ。それで、ちょうど留守を預かっていらした、藤方様が預かりましてねぇ、今、調べを進めているところですよ。夕刻くらいには、何かぁわかると思いますよ」
「緒方様は、緒方様は何か?」
「緒方様ですかぁ? いやぁ、緒方様は、こちらには戻っていらっしゃいませんなぁ。あたしはぁ、今朝から一度も見ておりませんなぁ」
「そ、そんな馬鹿な」
それだけ言うと、山元は力なくくずおれた。
「まぁ、いいことでしょう。調べが進めば、本当に下手人かもわかるでしょうし、居るかもわからん、仕掛人なんぞぉ探す手間も省けますからねぇ」
「そんなはずはない!」
突然、山元が叫び声をあげる。そして、卜部を血走った目で睨みつけた。
「下手人は仕掛人だ! それは間違いない! 奴らの仕業に間違いない!」
「そこまでだ、山元。ここでわめいたところで、何かが変わるわけでなし」
その声に、ハッとしたように背後を振り返る山元。
山元の背後に、与力の緒方が立っていた。
卜部と田八が頭を下げると、緒方は右手を挙げて応える。
「まずは名乗り出てきた者の話を聞かねば、何も始まるまい。行くぞ、山元」
「は、はい、緒方様!」
うなだれていた山元は緒方の登場で覇気を取り戻すと、緒方と共にその場を後にしていった。
喧騒が去った後に、卜部が茶を啜る音が響く。
「締まらないですね、旦那」
「二度も邪魔されましたからねぇ」
スッと細められた卜部の視線の先には、廊下の影へと消えていく山元の後ろ姿があった。
「あまり醜態を晒すなよ、山元」
人目のなくなった廊下にて、緒方は低い声で呟いた。
その声に、山元が姿勢を正す。
「何事にも、想定していなかった事態というものは起こりうる。その度に狼狽えていたのでは、ぼろが出るぞ」
「申し訳ございません、緒方様。まさか、下手人が名乗り出てくるとは思わず」
「相手を甘く見過ぎていたのだ。だが、問題なかろう。奉行所は我らが支配下。偽の下手人など、すぐに放り出せる」
「はっ。仰る通りにございます」
二人は足早に下手人の元へと急いだ。
二人が調べの場に辿り着くと、そこには枯れ枝のような老人と二人の同心、そして、目が落ちくぼんだ大柄な男が後ろ手に縛られ静かに座っていた。
「これは、どういうことですかな?」
緒方が声を発すると、老人の閉じられていた眼が静かに開く。
「この者は何事も隠し立てする意図はなく、素直に話をしておる。よって、鞭打つ必要もなし。こうして話を聞いておるところ」
そう言って老人が緒方に向けた視線は強く鋭い。視線を受け、緒方は思わずたじろいだ。
「心配はございません、緒方様。藤方様が仰った通り、この者は抗うことなく素直に話しております。今のところ、話におかしなところもなく、筋も通っております。ただ、話の通りであれば、一人で行ったとは到底思えませんが」
老人の脇に控えていた同心、立元が詳細を説明する。
その様子に、老人、藤方が大きく頷いた。
「今回の一件は、俺一人でやったことではない。協力者がいる。しかし、協力者のことを話すつもりはない。罪は、俺一人が背負うと決めている」
立元の言葉に応じるように、男が静かに口を開く。
「つまり、あなた以外の者を我々には捕えさせないと?」
同席していたもう一人の同心、山岡が男に問いかける。
男は大きく頷いて見せた。
「何を馬鹿なことを。こんな男が本当に下手人だとお考えか、藤方殿?」
緒方は座する藤方に対して、高い位置から強い視線をぶつける。
しかし、藤方は一切怯むことなく、緒方の視線を真正面から受けていた。
「先ほども申した通り、この者の話におかしな点は見受けられない。細かい確認はこれからするにせよ、現時点ではこの者は申し出の通りに侍三人を殺めた下手人に相違ない。そうわしは考えておる。侍三人を殺す動機も、その手口も、この者の口から語られた内容に、筋は通っておる。あとは、協力した者を吐かせることができるか、否か。それだけであろう」
藤方が目くばせすると、立元が緒方へ調べ書帖を差し出した。
緒方は乱暴にそれを取り上げると、その内容へ目を通していく。
緒方の脇から、山元もその内容を確認していた。
しばらく、緒方が紙をめくる音だけが響いてく。
そして、そのすべてに目を通し終わった緒方が静かに調べ書帖を閉じた。
「いかがか、緒方殿?」
「申し上げるべきことは、ございません」
緒方の絞り出すような声に、藤方は満足そうに頷いた。
立元が調べ書帖を受け取ろうと手を差し伸べると、緒方は乱暴にその手へ調べ書帖を叩きつける。
「まだ、協力者の詮議があります。それは、我々に任せていただきましょう」
そう言って下手人へ近付こうとする緒方を遮るように、藤方は滑るように移動した。
「この件はわしが預かっておる。貴殿の手を煩わせるまでもない。手出し無用に願いたい」
「だが、内藤殿の山岡はおるではないか!」
「山岡は話を聞いておっただけ。余計な手出しはしておらん。わしもそこまでは許しておらぬ。協力者に関する詮議が始まれば、外してもらう。わしがお奉行様から賜った以上、最後まで責任をもって詮議を行う。ゆえに、手出し無用」
その枯れ枝のような容姿からは想像できないほどに強い眼光は、対する緒方にそれ以上の反論を許さなかった。
緒方は何かを言おうと幾度か口を開くも言葉が出ず、最後は怒りに顔を歪ませながら大きく足音を立て藤方に背を向けた。
その後に慌てた様子で山元が続いていく。
「よろしいのですか、藤方様?」
緒方と山元が姿を消した後、遠慮がちに山岡がたずねた。
「構わん。そもそも、おかしな話をお奉行様に吹き込んだのはあやつ等じゃ。何を根拠に話しておったのかは知らぬが、まともに調べもせぬうちにおかしな連中を下手人などと言いおって。わしは再三ご注進したのだ。調べを進め、事実を積み上げるべきじゃと。それをせぬから、下手人の方から名乗り出てくる始末。面目丸潰れじゃよ」
「そんな話、俺にしてもいいのかい?」
下手人の男は、わずかに口元を歪めている。
「問題なかろう。そのような些細な事、すぐに思い出せなくなるのでな」
言いつつ立ち上がった藤方からは、男を圧倒するだけの気迫が滲み出ていた。
「山岡、お主はここまでじゃ。これから、この男を喋らせる」
山岡は丁寧に一礼すると、静かにその場から離れていった。
山岡がいなくなったのを確認すると、藤方はゆっくりと下手人へと近付いていく。
「さて、話さぬという強い意志、いつまで続くか」
藤方が下手人を縛っている縄に手をかけた。
次の瞬間、下手人は藤方の力に抗うことができず、乱暴に引き上げられながら立ち上がる。
そして抵抗する間もなく、尋問のための部屋へと引きずられていった。
その後、三日三晩尋問は続けられ、時折悲痛な叫びが響いていたという。
三日間の尋問が行われた後、下手人は一度牢へと戻された。
そしてその日の就寝後、件の下手人は舌を噛み切って自害した。
翌朝、下手人の死亡が確認され、その後、藤方の調べの結果を元に下手人死亡として事件は処理され、幕を閉じた。




