巻の一 第十一幕
「あっ、もう終わってるのね」
部屋に入るなり、転がっている生駒屋の死体を足で小突く蓮華。
生駒屋は首筋を切り裂かれ、血の海に漂っている。
「あっしが来た時にゃ、もう終わってやしたよ」
生駒屋の脇に腰を下ろしていた無持は、卓の上の徳利を拾い上げ、わずかに残っている酒をすすっていた。
それに倣うように、蓮華も卓に残されている料理のいくつかをつまんでいく。
「卜部の旦那は、うまくやったかしら?」
「まあ、あの人なら問題ないでやしょう。今頃は、仕掛けも済んだころでしょうな」
言いつつ、空になった徳利を卓に戻す無持。
「ここには、もう誰もいないね?」
泉岳屋が聞くと、二人は小さく頷いた。
泉岳屋は、改めて室内を見渡してみる。
金をあしらった飾りが多く、けばけばしくて落ち着けない。
金があるからとにかく高い物を揃えた、そんな印象の室内であった。
「こんな部屋にこもって、生駒屋さんは気が休まったのかね?」
「まあ、成り金には丁度良いんじゃないの、こういうのが」
「あっしにゃ、どこも一緒ですがね」
「そりゃそうよ、無持さんには見えないもの。ただ、見えない方が良いのかもしれないよ、こんなのは」
蓮華の言葉を聞きながら、泉岳屋は生駒屋の顔を見つめていた。
ひどく自分勝手な性分だった。
泉岳屋が生駒屋にもっていた印象は、それだけだった。
特に、自分が欲しいと思ったものは何が何でも手にしないと気が済まないようなところがあった。
それで、時には他人と諍いになっていたこともあったようだ。
「ああ、そう言うことでしたか」
今になって、泉岳屋は合点がいった。
なぜ、急に生駒屋から恨まれるようになったのか。何が原因で、今回の騒動となったのか。
「どうしたんです、突然?」
「いや、何ね、今回の騒動の原因が、わかったんですよ」
「原因も何も、こいつが勝手に恨んでたんでしょ、あたしらのこと。仕掛けが上手くいかなかったとか、女が逃げたとか、そんなのの理由をあたしらに勝手に押し付けてたんじゃないの?」
「その、女が逃げた。それが今回の原因ですよ」
「それ、あたしらの所為なわけ? こいつの女のことなんて、知りもしないのに」
蓮華が口をへの字にしながら生駒屋を睨みつけるのを見て、泉岳屋は愉快そうに笑った。
「ちょっと、親分! 何を笑ってるのさ」
「ふふふ、これは何と言って良いのか、奇妙な話ですよ。今回の一件、私が生駒屋さんの恨みを買ったのが原因です。でも、直接的な原因はつかみ切れていなかったんです。同業者ですからね、仕掛けに関することかと思って、そのあたりを探っていた。でもね、そうじゃなかった。生駒屋さん、おトキに会ったことがあるんですよ。それで、懸想したんでしょうね。私に一度だけ、おトキが欲しいと言ってきたとこがある。その時は冗談混じりに話していたもので、私も本気にしていなかった。でもね、考えてみれば、あの辺りから生駒屋さんの私に対するあたりが強くなっていたと思いますよ。生駒屋さんは、おトキのために私をどうにかするつもりだったんでしょうね」
「何さ、こいつの色ボケに巻き込まれたって、そういう話なの、これは?」
「どうも、そういう話のようですよ」
「はぁ~、しょうもない落ちがついたじゃない」
蓮華は呆れ顔を生駒屋の頭を小突いた。
「まあ、これはあくまでも私の想像ですけどね。でもおそらくは、そうなんだと思いますよ」
「死に際の原因が女の為たぁ、このお人らしいとも言えやしょう。女癖も女運も悪いお人でやしたからねぇ」
「無持さん、こいつのこと詳しいの?」
「一時期、世話になったことがございやすよ」
無持の言葉に、蓮華は驚いた様子で死体に視線を送る。
無持は首をひねりながら顎をさすると、
「人の上に立てる器じゃ、ござんせんでしたね」
それだけ言った。
「それに関しては、あたしも同意。色々と噂は聞いてるけど、ろくなもんじゃないよ、こいつは」
「噂の多くは、それほど的はずれな内容ではなかったみたいですよ。生駒屋さんは、方々で問題を起こしていたようですから。それでもこの稼業で生きてこれたのは、ある意味すごいことだと思いますね。口の上手い方でしたから、それで信頼を得ていたんでしょう」
三人三様、それぞれが血に横たわる死体へ目を向けた。
死んでしまっているはずだが、どこか滑稽に思えてくる。
そこにあるのはむごたらしい死ではなく、狂言の一場面のようだった。
そんな時、表で何かが破裂する音が響き渡った。
破裂音は数回響き、続いて子供達が賑やかにはしゃぐ声が追いかける。
そんな子供達を咎めるような怒鳴り声がしたかと思うと、子供達は一斉にその場から逃げていった。
辺りに静かな喧騒が戻って来る。
「さて、長居をし過ぎたようだね」
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか」
「そうでございやすね。人が来たら、面倒になりやしょう」
三人は小さく頷き合うと、スッと闇へと消えていく。
残されたのは、血みどろの死体が一つ。
その血は乾き始め、鮮やかな赤からどす黒く変色し始めていた。




