Chapter 1:探偵令嬢
王都より南、一年を通して気温に変化が少なく過ごしやすい気候の土地。
リティシア王国が統べる領の中でも年単位で長期的に進められてきた開発事業の賜物か、近隣の領地より頭ひとつ抜けた発展を今なお遂げている最新の土地。
ハウシズ公爵家が治める名をフォレシア。
その領主である公爵が住まう屋敷の一室で、私は久しく珍しい“お客様”の相手をしていた。
本来なら社交界シーズン真っ只中である今、貴族令嬢である私は両親と共に王都の邸宅で過ごすのが普通だ。
つまり、こうして領地の屋敷にいるなんて変な話ではある。
しかし非常に残念ながら、常識から逸脱している私には貴族たちの非生産的なやり取りに意味など見出せず、日々を魔術の研究に費やす方が好みなので王都に向かうことはない。
ただし、それは悪魔との契約によって得た束の間の自由でしかないのだが。
「それで、久しぶりに顔を合わせた妹との最初の会話が仕事ですか。実にお優しい兄ですね」
「僕だって心苦しいさ。だけど、可愛い妹からの埋め合わせが不十分だと思うんだ。本来担うべき責務を放棄しているのだから、その分君には自身が担える別の役割を果たす義務があるだろう?」
「はいはい、分かってますよ。ただ、愚痴の一つくらい吐かせて下さい。それで、お茶を飲む時間くらいはありますよね?ヘイルに準備させてますから 」
「うんそうだね。せっかくだし頂こう 」
私の兄...ハウシズ公爵家次期当主であるシェリル・ハウシズは、そういって少しリラックスするように姿勢を崩しながらソファーへと座り直した。
それなりの頻度で手紙のやり取りはしていたと思うが、こうして兄と直接顔を合わせるのは3年ぶりだろうか。
別に不仲などそういった理由で疎遠だったのではなく、ただ彼が後継者教育を兼ねた仕事で常に忙殺されていただけなのだが、それでもこれだけスパンが開いたのは初めてだった。
しかしその間に貯まったであろう疲労は全く感じられず、貴族らしい気品のある振る舞いは健在のようだ。
同じ血を引くとは思えないほど、目の前の兄は高貴な貴族に見えた。
「それにしても、兄上はおかわりないようですね。他国での活躍は聞いてますよ 」
「活躍と言われるのは違和感があるけどね。大体、それを言ったら君の方が有名になったじゃないか。“ハウシズの探偵令嬢”に関する噂話の数々、国境を超えて届いているよ 」
「兄上に振られた仕事が原因ですけれどね。それに、探偵令嬢など聞こえはいいですが、尊敬の念など彼らが抱くはずもないでしょう 」
仕事を振られるようになって不本意だが、表舞台に顔を出す頻度が増えるようになった。
その結果なのか、今までとは違った意味での噂も囁かれるようになった。
私個人としては何をいわれようが興味ないのだが、しつこく『羽虫の音』が耳元から聞こえれば煩わしく思うのは誰もが必然だろう。
それに名も知らない貴族から名指しで夜会への招待状なども増えており、少しずつだが悪い影響もで始めている。
「でも、流石に君だってこの屋敷で一生を過ごすわけにはいかないだろう?学園にだってまともに通わないなら、少しでも貴族たちと顔を合わせる必要があるはずだ 」
「だから文句はいっていますけど、ちゃんと仕事はこなしてます。あと、貴族との繋がりは必要ありません 」
「ご歓談中失礼します。お嬢様、お飲み物とお菓子をお持ちしました 」
「ん、入って大丈夫よ 」
ノック音に会話が遮られると、執事が入室の許可を求めてきた。
当然だが許可を出すと、カートにティーセット一式を乗せ、それを押しながら私の専属執事の青年...ヘイルが現れた。
「やあ久しぶりだねヘイル 」
「お久しぶりでございますシェリル様 」
「執事の仕事はどうだい?普通ならそこまで苦ではないだろうけど、じゃじゃ馬が相手だと苦労が絶えないだろうに 」
「最初こそ戸惑いましたが、今は慣れたので大丈夫です。魔術関連で無理をされると少し困りますが...」
「ちょっ、ヘイル!余計なことをっ 」
「シャールロットー?体調に関することはきちんと詳細に書きなさいと、父上からも言い聞かされているはずだけど?」
「べつ、に、騒ぐような大事などではありませんでしたから。ヘイルが十分対応してくれました 」
ヘイルはとある事情で没落した医術を研究していた貴族の直系唯一の生き残りで、様々な事情が絡んで私の執事兼主治医としてハウシズ家に拾われることになった。
生まれつき『一定以上を魔力を短時間に消費すると心臓に不調が起こる』奇病を患っている私は、彼が調合する特殊な薬がないと満足に魔術行使を行えない。
だからこその主治医であり、執事業務はそれの延長線上だ。
「はぁ。あとでそのことについて詳しく説明してもらうから覚悟しなさい。そしてヘイルも、これからは定期連絡に詳細もきちんと書くように 」
「...わかりました 」
「承知しました 」
「うん。よろしい 」
渋々うなづくと兄は満足したような様子でティーカップに口をつけ、これ以上私を叱る気はなくなったようだ。
「やっぱり、ヘイルのハーブティーはいつ飲んでも良い口あたりだね 」
「お褒めいただきありがとうございます 」
「それほどの価値があるよ...っと、予期せぬお説教ですっかり来た目的を忘れそうになってしまったよ。ヘイルもいることだし、そろそろ今回の仕事について話そうか 」
「気になってました。今回わざわざ顔をお見せになったということは、普段とは全く違った内容なのですか?」
「うーん。やることは変わらないけど、少し込み入った事情があるのは確かだね 」
少し含みのある物言いが引っ掛かる。
兄上から仕事を依頼されるとき、大体は手紙で簡潔かつ強制的に内容を教えられる。
それに兄上自身も後継者教育を兼ねた仕事で常に忙しくしており、私に仕事を依頼するなどという理由だけで領地にやって来れるほど暇な人ではないからだ。
だからこそ、この普段との差異は私を身構えさせるのには十分だった。
兄上はもう一口、ハーブティーを楽しむように飲んでから口を開いた。
「フィーガード伯爵家を知っているかい?」
「当然です。基礎錬金術の始祖であり、リティシアの魔術師ならば名を知らぬ者を探す方が難しいでしょう 」
「自分も存じています。父が生前、何度か仕事を一緒にしていたと思います 」
「うん。そのフィーガード伯爵家から僕を含めた数人の著名人に対して、非公式にパーティーの招待状が届いたんだ 」
「非公式の、ですか 」
兄上がパーティーや夜会の招待を受け取るのは日常だと思うが、それが非公式のものだと意味が変わってくる。
非公式招待とは、自分たちにやましいこと・隠したいことがあると叫んでいるのと同義だ。
そしてハウシズ公爵家が担う特殊な役割を顧みるのなら、それを次期当主に送るなど血迷ったとしか思えない愚行だ。
ただ、それだけならば依頼として兄上が私に相談することはないだろう。
「それで、本題はここから。そのパーティーの内容なんだけど...とある物の先行お披露目を行いたいそうなんだ 」
「錬金術の家系ですし、新たな霊薬ですか?」
「その比じゃない。神秘の結晶体...全ての錬金術師が目指し渇望する、賢者の石の錬成に成功したと招待状には書かれていたよ 」
「なっ 」
あまりに衝撃に言葉を失う。
それが真実なのであれば、この世界の在り方を容易く変える代物が誕生したことになる。
あらゆる秩序、目指すべき真理、星の形、その全てが音を立てて崩れ去る。
「えっと、その、すみません。聞き覚えはあるのですが、賢者の石とは一体...?」
間の抜ける質問に、思わず気が緩んだ。
仕方がないといえばそうなのだが、医術一筋の彼は魔術に関しては素人も同然だった。
「魔術を扱わない貴方には馴染みがないのも仕方がないわね。フィーガードの初代当主が提唱し、錬金術師が目指す一つの終わり。“万物を秘めた結晶体、星を形作る構成要素”とされた黒い石。それが賢者の石よ 」
「...その、もう少しわかりやすく 」
「要は『何でも生み出せて何でもできる石』ってこと。人の死ですら、或いは克服できるといわれているわ 」
「死を、ですか 」
医術を扱うものとしては、人の死が克服できるという話がかなり衝撃的だったのか、ヘイルは目を見開いた。
ただ賢者の石とはそれだけのことが可能だと謳われる遺物であり、フィーガードはそれを生み出したといっているのだ。
錬成に本当に成功したのかまだ疑わしい部分ではあるが、非公式のパーティーを行う理由は納得できた。
「さて、賢者の石の概要は理解したね。そこで今回の依頼なんだけど、君たちには僕の代わりにパーティーに出席して、事の真偽を見極め顛末を見届けてほしいんだ 」
「同行ではなくてですか?」
「うん。単純にスケジュールが合わないのもあるんだけど、少し気になることがあってね 」
「気になること...?まぁわかりました。個人的に賢者の石に興味がありますし、どうせ拒否権なんてありませんし 」
「今回はごねないでくれて助かるよ 」
「人をわがまま姫みたいな言い方しないで下さい。それで開催はいつですか?」
「3日後。そうだな...フィーガード領まではそれなりに距離があるし、今日中には出発しないとだね 」
死刑宣告に近い言葉笑顔で告げられ、リアクションもできずにフリーズする。
こうして、私は実に厄介な事件に巻き込まれることとなった。