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第5話 ぐうぅぅぅーー

 先程まで目を輝かせていた冬乃。

 その目が一瞬で曇り、表情を沈ませた。


「え……寒崎くん? ダメ? 親の同意書がないと、どうしてもダメ?」


 不安げに、小さな声で冬乃はそう訊いた。

 俺はそんな冬乃の様子を見て、若干の心配と、若干の不思議を覚えた。少なくとも、俺の知っている冬乃は、今までこんな顔を見せたことがなかった。何かに怯えているような、憂惧ゆうぐするような、悲しい顔を。


「……冬乃、何かあったのか?」


 俺の問いかけに、冬乃は怒られた子供のようにして沈黙を作った。黙ることで身を守ろうとする、そんな子供のように。


「どうしたんだよ冬乃? さっきまであんなに喜んでたじゃないか。同意書っていったって簡単なものだから、ちょっと名前を書いてもらうだけだから――」

「嘘、ついたの」


 俯いたまま、冬乃は言葉を落とす。

 寂しそうに、「嘘」という言葉をぽとんと地面に落とす。


「あのね、寒崎くん。さっきの面接で私、志望した理由について訊かれたとき、『社会勉強のため』って言ったじゃん? あれ、嘘なの。本当はね、私、お父さんとお母さんとケンカして、家、出てきちゃったんだ。だから生活のためにアルバイトしなくちゃいけなくなったの」


「い、家を出たって……家出ってことだよな?」


 冬乃は小さく、こくりと頷いた。


「うん、家出。不動産屋してる親戚に頼んで、住むところはなんとかなったんだけど……お父さんもお母さんも、私のことまだ許してくれてなくて。だから当分の間、このまま一人暮らしを続けていこうと思ってる」

「一人暮らしって……それ、学校には話してるのか? あとは雪兎ゆきうさぎとか、お前の仲の良い友達とかには、ちゃんと話して相談してるのか?」

「……してない。学校に話したら絶対に怒られるし、また家に戻らなきゃいけなくなっちゃう。たま子とかにも言ってない。心配もかけたくないし、それに、もし先生とかに話が伝わっちゃったらと思うと……怖くて」


 俺は天を仰いだ。まいったな、これって高校生だけで解決できる話じゃないぞ。アルバイト云々の前に、冬乃のことが心配で堪らない。一人暮らしっていったって、普通の高校生じゃ限界があるだろう。


「どうしよう……やっぱり私、どこに行っても働かせてもらえないのかな? 断られちゃうのかな? そんなの、嫌だ……。ねえ寒崎くん、社会勉強っていうのは嘘だったけど……でも……でも! 雑貨屋さんで働きたかったっていうのは本当なの! お願い! 信じて!」


 そう俺に訴えた冬乃の目から、とめどなく涙が溢れ落ちた。そして顔をぐしゃぐしゃにしながら俺の腕にすがりついてくる。小さな声で「お願い」と、冬乃は何度も何度も呟いた。俺は冬乃のそんな姿を見て、なんとか力になってやりたいと思った。


 でもどうする。俺だってまだ未成年だし、何の力もないただの高校生だ。こんなとき、助けてくれるような大人なんて――


「そうだ」


 俺はポケットからスマートフォンを取り出し、連作先を出した。陽子ようこ叔母さん』の電話番号が表示される。確か叔母さんは今、サイパンにいるはずだ。日本時間との時差はほとんどない。俺は店の外を確認した。すっかり日は暮れて、街には本格的な夜が落ち始めていた。


 俺は陽子叔母さんの電話番号を、迷うことなくタップし、電話をかける。ワンコール、ツーコール。そしてスリーコール目で、叔母さんは俺の通話に応答した。


『はいはーい、遊人くんの愛しの陽子さんだよー。どうしたの? 珍しいじゃん、遊人の方から連絡くれるなんてさ。ちなみに私、今はビヤーを飲んでおりまーす。遊人も早く大人になりなよー、そして私と一緒にお酒飲もうよー』


 叔母さんのあまりに脳天気な声に、俺は苦笑しながら事情を話し始めた。


 *   *   *


『ふむふむ、なるほどねえー』


 一通りの説明を済ませたところで、陽子叔母さんは一呼吸入れるように言葉を挟む。最初はいつも通りのお気楽トーンだった陽子叔母さんだったが、途中から考えるような間を取ったりと、少しだけ声に重さを乗せていた。


 俺と陽子叔母さんが電話で話している間、少しは落ち着いたのか、冬乃は再びパイプ椅子に腰を下ろして二人の話の行く末を祈っていた。祈って、願って、不安そうにして、俺の顔をただただ見つめていた。


「どうしたらいいいと思う? 親の同意書がなければ、叔母さんもやっぱり冬乃のことを働かせるわけにはいかないんでしょ?」

『まあそうなんだけどさ。でも私としても、その冬乃ちゃんって子の力にはなってあげたいよね。私も学生の頃はよく家出したりしてたからさ、気持ちは分かるから。そうだなー、どうしよっかなー』


 すると、冬乃が俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。うるうるした瞳で、俺に何かを訴えようとしている。子犬みたいな目をしやがって。そんな目で見つめられたら、俺だって簡単には見捨てられないじゃねえか。


「なあ、頼むよ叔母さん、冬乃の力になってやりたいんだ。ここはひとつ、陽子叔母さんも協力してくれないかな? 俺一人じゃどうにもならないんだよ」


 すると電話の向こう側から、しばしの沈黙が置かれた。叔母さんの返答をただただ待つ。今の俺が頼れるのは、陽子叔母さんしかいないのだから。


 そしてようやく、叔母さんから答えが返ってきた。 


『分かった。同意書の件は、私がそっちに帰ったときに冬乃さんのご両親にお会いして、責任を持って同意をもらってくるよ。だからさ、とりあえず冬乃ちゃんをウチで働かせてあげてほしい。まあ、何か問題が起きたら、そのときは全部私のせいにしてくれればいいからさ。遊人にはいつも店番を頼んで、私も申し訳ないと思ってたんだ。その分、今回の件で少しはお返しさせてちょうだいよ』

「ありがとう叔母さん、恩に着るよ」


 叔母さんには申し訳ないが、ここはひとつ任せるしかない。でもとりあえず、オーナーである陽子叔母さんの承諾は得られたわけだ。ひとつの関門はクリア、と言ったところだろうか。俺は少しほっとして、その胸をなでおろした。


 で、陽子叔母さんなんだけど。

 電話の切り際に、俺を動揺させる言葉を残していったのである。


『その代わり、遊人、私が帰るまでの間、冬乃ちゃんの面倒をしっかり見るんだぞー。男っていうのはね、好きな女ができたら命を張ってでも守らなきゃいけないんだ。それを肝に銘じるように。陽子叔母さんからは、以上!』


 好きな、女……?


「ちょ、ちょっと叔母さん! 俺は別に、冬乃ことをそんなふうには! ――って、電話切れてるじゃねえか! 言い逃げかよ!」


 陽子叔母さん、何やら大きな勘違いをしているようだ。これは日本に帰ってきたときに面倒くさいことになりそうだな、と思っていると。


「ど、どうだった!? 寒崎くん! 私、ここで働ける!? それともやっぱりダメだった!? 断られちゃった!?」


 俺に飛びつかんばかりの勢いで、冬乃は俺にそう訊いてきた。

 叔母さんとの会話に少々疲れてしまった俺は、とりあえず親指を立て、それを冬乃に向けた。そのサインを目にして、冬乃は先程までのように目を輝かせ、


「やったーー!!! 寒崎くん、ありがとう!! 本っ当に、ありがとう!! やっぱり寒崎くんは優しいよ! それに、すっごい頼りになる! 私のことなのに、こんなに真剣に考えてくれて、私……嬉しい!!!」


 飛び跳ね、体全体で喜びと、そして感謝を表現したのであった。


 そして、おまけとして付いてきたのがこの音だった。


『ぐうぅぅぅーーーーーーーーーーーー』


 腹の音。冬乃は大きな腹の音を出した。恥ずかしさのあまり、冬乃はお腹を押さえながら顔を真っ赤にしてしまっている。


「じ、実は私、お金を節約しようと思って、最近ろくにご飯食べてなかったんだよね……。さっきまで緊張してたんだけど、今のでほっとして急にお腹が空いてきちゃった。えへへ、は、恥ずかしい……」

「ご飯食べてないって、そういえばお前、今までお金はどうしてたんだよ?」

「お金は少しだけど、毎月のお小遣いとか、お年玉を貯めてたやつがあったから大丈夫だったんだ。でも、なんか使うのもったいなくて……」


 この後、俺は冬乃をサイゼリヤへと連れ出した。もちろん、俺のおごりで。最初は遠慮していた冬乃だったが、空腹には勝てずといったところで、結局パスタとミートドリアをしっかりと完食し、幸せに満たされた顔を俺に見せた。


 俺なりの、冬乃への採用祝いと言ったところだった。



 第5話 ぐうぅぅぅーー

 終わり

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