第21話 あなた
両手に大きなビニール袋を持って、スーパーを出る。ここから冬乃の家まではそんなに時間はかからない、歩いて15分といったところだろうか。とりあえず、米。とにかくこれが重い。フライパンやらの金物類も買って、その上この米である。家に着くまでに俺の腕がちぎれないことを願うぜ。
「寒崎くん大丈夫? すっごく重たそうなんだけど。私持とうか?」
気遣ってくれて冬乃はそう言うが、しかしここで荷物を渡してしまったら、なんか男子として敗北した気分になりそうだから却下。それに冬乃は冬乃で食材やらが入った袋をひとつ持っているのだ。負担を増やすわけにはいかない。
「だ、大丈夫だ……俺、力には自信あるから」
もちろん大嘘。はっきり言って俺の腕はもやしみたいなものだ。もしくはポッキー。すぐに折れるぜ。買い物で骨折とか恥ずかしいにも程があるけど。
「ダメだって、なんか腕がぷるぷるいってるよ?」
「き、気のせいじゃないか? ま、まあ気にするな」
「気にするなって言われても……そうだ!」
すると、そう言って冬乃は俺が左手に持った袋に手をかける。そして袋の持ち手の片方を、空いている右手でしっかりと掴んだ。
「ねえ寒崎くん、半分こしよ?」
「半分こって、何を?」
「荷物だよ荷物。一緒に持とうよ、そしたら重さも半分こでしょ? 私達、今は新婚さんなんだから助け合わなくちゃ」
やっぱり続けるのかよ、そのごっこ遊び。
冬乃はビニール袋の持ち手の片方を持つ。そしてもう片方を俺が持つ。二人で一緒に肩を並べながら、ひとつの荷物を二人で持って歩いた。
「えへへ、新婚さんは二人で協力し合わなくちゃね」
なんだよこれ、テレビで観たことあるぞ。幸せな家族がひとつの袋をそれぞれ一緒に持ち合うんだ。そう、これはまるで間接的に冬乃と手を繋いでいると同義。間接キスならぬ間接手繋ぎ。今、俺は冬乃と一緒に手を繋いで歩いているのだ。ヤバい、そう考えるとちょっとドキドキしてきた。
て、俺は思春期真っただ中の中学生か!? 違う違う、別にこれは冬乃と一緒に手を繋いでいるわけじゃない。
というか、自分で言っておいてなんだが間接手繋ぎってなんだよ? あまりにも自意識過剰するぎだろ。一緒に荷物を持っただけでこんなにドキドキするならば、実際に冬乃と手を繋いだら俺は一体どうなってしまうのだろうか。
「どうしたの、あなた?」
「あ、あなた!?」
まさかの「あなた」呼びである。こいつ、おままごととかでもリアルに忠実にやり込んできたタイプだろ。なりきりすぎだろ。
「えへ、いいじゃんごっこ遊びなんだから。やるからには徹底的に新婚さんごっこしようよ。それとも私みたいな奥さんじゃ嫌?」
俺はぶんぶんと勢いよく頭を横に振る。そんな俺を見て、冬乃は可笑しそうに「ふふふっ」と笑った。
「じゃあ決定。今日は一日、私は寒崎くんのことをあなたって呼びます」
「そ、そうか。ま、まあいいんじゃないの、ごっこ遊びだし」
「そうだね、ごっこだもんね。じゃあ寒崎くんも私のこと名前で呼んで?」
「な、名前で?」
「そう、椿って」
「つ、つば――!!?」
突然の名前呼びを求めてきた冬乃。さすがに俺にはそのハードルは高すぎる。女子のことを下の名前で呼ぶなんて、それ、まるでリア充じゃないか!
「ねえねえ、早くして。それともあれかなー? 照れちゃってできないのかなー? あははっ、かわいー!」
「て、照れてなんかない! ちょっと戸惑っただけだ、なめるな! そんなのお茶の子さいさいだ、簡単に言ってやるさ」
すると冬乃はぴたりと足を止め、俺の顔を覗き込むようにした。ニッと口角を上げて、からかうようにして笑う。
「じゃあ呼んでみてよ」
俺の胸は大きく高鳴った。今から冬乃を下の名前で呼ぶと思うとドキドキして、緊張して、背中にべっちょり汗もかいてきた。しかし俺だって男だ。一度口に出したことは撤回はしない。呼ぶ、呼ぶぞ。呼んでやる。
俺は冬乃を下の名前で呼んでやる!
「つ、つばき……」
「なーに? 声が小さくて全然聞こえないんですけど」
ニヤニヤする冬乃の横で、俺は大きく深呼吸。すーっと大きく息を吸い、そして大きく息を吐く。緊張してるのバレバレだなこれじゃ。でも俺はやり遂げる。しっかりと聞いておけよ、冬乃!
「つ、椿! 俺の大切な奥さんの、椿!!!」
俺の大きな声に驚いたのか、それとも別の感情か。冬乃は大きく目を見開いた。そして一瞬、頬を紅色に染めて、口をもにょもにょさせながら恥ずかしそうに俺から視線を外した。
しかし次の瞬間にはいつも通りの冬乃に戻り、柔らかい微笑みと愛くるしいその顔を俺に近付け、
「なーに? あなた」
と、そう答えたのであった。
俺は自分でも分かるほど顔を真っ赤にした。ヤバい、なにこれ。ごっこ遊び最高。新婚さんごっことはいえ、冬乃のことを名前で呼んじゃったよ。
「ねえ寒崎くん、さっき私のことの『大切な奥さん』って言ってたよね。もしかして、寒崎くんもごっこ遊びはまってきた? それとも、私を奥さんにしたいっていう、そういう願望?」
「そ、そんなの知らねえ! 行くぞ椿!」
「あ、ちょっと。待ってよあなた! 勝手に歩かないでよ! 私も一緒に荷物持ってるんだから引っ張られちゃうでしょ!」
俺は歩いた。無言で歩いた。冬乃の一歩前を歩いた。
真っ赤になったその顔を、冬乃に見られないように。
* * *
「はあ……やっと着いた。お邪魔しまーす」
冬乃のオシャピーマンションに到着し、玄関に荷物を置く。それと同時にぺたんと、俺もその場に腰を下ろす。
疲れた……荷物どうこうっていうのもあるんだけど、それ以上に精神的に疲れた。ごっこ遊びとはいえ、冬乃と新婚さんという状況に俺は照れまくって、どんどん精神を摩耗させていく。これではしなびたごぼうみたいになってしまうぞ。
が、冬乃はそんなのおかまいなしだった。
「お邪魔しますじゃないでしょ」
「へ?」
「私は寒崎くんに、ただいまーって言ってほしいの」
まだまだ続くぜごっこ遊び。こりゃ本当に一日覚悟しておいた方がいいな。
「あー、分かったよ。ただいま椿」
「はーい、おかえりなさい、あなた」
で、冬乃は先に玄関を上がり、そして手を後ろに回したままくるりと俺に振り返る。なんだか嬉しそうな冬乃の顔が、俺にはとても印象に残った。
「お疲れさま。あなた、ご飯にする? お風呂にする?」
そして、この質問である。
「それともー?」
いたずらに微笑む冬乃とは真逆の、完全なる真剣な顔をした俺。
「それともー?」じゃねえよ! お前、今から何言おうとしてんだよ! あー、いかん。頭がふらふらしてきた。人間、興奮しすぎると頭が朦朧としてきてこうなるのだなと、ひとつ勉強になった次第である。
第21話 あなた
終わり




