第20話 ごっこ
相変わらずの、三角形をしたオシャピーなマンション。
俺は炊飯器を片手に、学校やアルバイトのある日以外で冬乃に会うのは初めてだな、とか考えながら螺旋階段を上る。
今日は休日であり日曜日であり、バイトもない完全休養日なのだ。そんなプライベートな日に女子が一人暮らしをする家にお邪魔して良いものかと若干戸惑ったりはしたが、しかし俺はこの炊飯器を冬乃に手渡さねばならないわけで、決してやましい気持ちがあるわけではないことをはっきりと言っておこう。
「はーい! 待ってたよ寒崎くん、来てくれてありがとう!」
インターホンを押すやいなや、冬乃は勢いよく玄関のドアを開けて俺を歓迎した。ここまで喜んでもらえるのなら毎日でも来たいものだとちょっと思う。人に歓迎されることなんて俺の人生ほとんどないからな。悲しいけれど。
「え!? 寒崎くん、それ……」
冬乃は俺が右手に持ったそれに気が付いたようだ。
「そうだ冬乃。これは、お前が欲しがってた炊飯器だ」
「どうしたのこれ!? え、結構新しいやつじゃん! もしかして寒崎くんが買ってきてくれたの? それともどっかからパクってきた?」
俺は玄関先でそれを冬乃に手渡す。冬乃は目を輝かせて炊飯器を見つめていた。憧れの、炊飯器。……炊飯器炊飯器言ってると、なんかよく分からなくなってくるな。とりあえず高校生同士の会話ではない。
あとさ、この炊飯器の入手方法にパクるという選択肢を入れるのやめてもらえないかな? 俺、さすがに炊飯器で人生を棒に振りたくはないぜ。
「母さんが新しいやつと買い替えたんだ。捨てるつもりだったみたいなんだけど、これ、まだ新しいしもったいないからもらってきた。冬乃、使ってくれるか?」
「あ、当たり前だよ! うわあー、なんか夢みたい。これで思う存分お米が炊ける! さあさあ寒崎くん、早く中に入ってよ!」
テンションの上がった冬乃を見ているとこちらまで楽しい気持ちになってくる。中古の炊飯器とはいえ、人に何かをプレゼントして喜ばれるというのはこんなにも嬉しいものなんだな。もっと色々プレゼントしてあげたくなってくる。
あと全く関係ないけど、部屋着のショートパンツから伸びる綺麗な太ももが相変わらず艶かしいな、なんて思った。さて、俺は今日も大人しいチワワでいられることができるのだろうか。どんなことがあっても狼化は避けねばならない。
「いや、俺はここで待ってるからさ。冬乃は中で着替えてきてくれないか?」
「え? どっか遊びに連れて行ってくれるの?」
「ごめん、そうじゃない。炊飯器だけあってもどうしようもないだろ? だから今から買い出しに行こうぜ。安い店知ってるからさ」
そう、買い出し。今の冬乃の家には生活必需品というものがほとんどない。これでは生活もしづらいし、不便すぎる。だから遊びは一度置いておいて、まずはそれらを揃えようという提案だった。
「分かった! 待ってて、40秒で支度してくる!」
ラピュタに出てくるドーラみたいな言葉を残し、冬乃はご機嫌に一度ドアを閉めた。が、40秒と言ったにも関わらず、冬乃が着替えて出てきたのにかかった時間は約15分。春らしい黄色のワンピースに小物を上手に使ったオシャピーに変身した冬乃は、ワクワク感を抑えきれないようで笑顔を溢しまくっていた。
「寒崎くんおまたせ、じゃあ買い出しにレッツゴー!」
* * *
スーパーに到着した俺と冬乃はカートを押しながら、必要な物を次々にカゴの中に入れていった。しかしまあ、スーパーにこのオシャピーな服装の浮くことったらないな。生活感溢れる主婦方に混じっての、このオシャピーである。そりゃ浮くわ。
「よし、必要なものはこれで大体揃ったな。あとはお米を買えば大丈夫。お米って結構重いからな、男手がいて本当に良かった……ん? 冬乃、なにニヤニヤしてるんだよ。早くお米が売ってるコーナーに行こうぜ」
カゴの中に入ったフライパンやら鍋やら調味料やら、その他たくさんの生活用品を乗せたカートを押す俺を見ながら、冬乃は言った。
「なんかさ、私と寒崎くん、新婚さんみたいじゃない?」
冬乃のその言葉に、俺の中の自意識過剰君がまた顔を出したのであった。顔がカーッと熱くなってくるのを感じる。やばいやばい、意識するな俺。意識しすぎて冬乃にキモいと思われたらどうするんだ。
「そ、そうか? ふ、普通だろ。何言ってんだよバカ」
「あー、バカって言ったー。酷いよ寒崎くん。せっかく私の頭の中は、寒崎くんとの新婚生活でいっぱいになってたのに」
「いや冬乃? そもそも俺とお前、新婚じゃないから」
しかし俺の言葉など気にする様子もなく、ご機嫌な冬乃は踊るようにしてスーパーの雑貨コーナーへと勝手に向かった。お米どうすんだよ。
そこで冬乃は何かを見つけたようで、俺を手招きで呼ぶ。冬乃が興味深そうに見ているそれは茶碗だった。スーパーであるからそんなに種類は豊富でないものの、リーズナブルで使い勝手の良さそうな茶碗が並べられていた。
「うふふ、寒崎くんこれ見て?」
冬乃が指さしたそれは、大きさの違う、しかし柄が全く同じの青とピンクの茶碗だった。札にはハッキリと『夫婦茶碗』と記されている。
「寒崎くん、これ買おう!」
「いや、これって夫婦茶碗だからセットで買う物だぞ? お前は一人暮らしなんだから茶碗はひとつでいいだろ?」
「ダメだよ。寒崎くんも私の家で一緒にご飯食べるの」
「お、俺も!?」
まさかの冬乃の言葉に、俺はまた顔を赤くした。マジかよ、冬乃の家で一緒にご飯を、しかも夫婦茶碗を使って食べるだなんて。それでは本当に新婚夫婦みたいじゃないか。ヤバい、妄想がはかどる。これは絶対に買うべきだ。
いやいや待て、それじゃ本当に俺がどうにかなってしまいそうだ。嬉しいけど、冬乃との新婚生活を体験できるみたいで本当は嬉しいけど、ここはひとつ丁重にお断りしよう。じゃないと俺の中の何かが崩れそうだ。
「ふ、冬乃? やっぱり夫婦茶碗はやめておこうぜ? ほら、こういうのは冬乃が本当に結婚したときまで取っておくべきだって。俺みたいなやつとペアの茶碗使ってたらお前、一生結婚できなくなっちゃうぜ?」
「えー、結婚できないのはヤダ」
冬乃は困ったように頬をぷくりと膨らませる。今、俺は適当に言ったんだけどしっかり真に受けちゃってるな。別に俺と同じ茶碗を使ったからって、お前は結婚できなくなるわけじゃないんだけどな。俺、呪いの装備でもなんでもないし。
すると冬乃は何か思いついたようで、「あっ」と声を発した。そして目尻を下げてほわほわと笑みを浮かべる。そして夫婦茶碗をふたつ手に取った。
「じゃあさ寒崎くん、ごっこしよ? ごっこ」
そう言って、冬乃はカゴの中に夫婦茶碗を入れた。
「ご、ごっこ? ごっこってなんだよ?」
「新婚さんごっこ」
冬乃の言葉で俺の理性、針が振り切れそうになる。
「ごっこだったら大丈夫だよ。私と寒崎くんは、今日から新婚さんです。そういうごっこ遊び。小さい頃おままごととかやったでしょ?」
「い、いや、俺は男だからおままごとは……」
「新婚さんごっこ、しよ? 寒崎くん」
人懐こい笑顔を浮かべながら、冬乃は俺に迫るようにして同意を求めた。冬乃の顔が俺の顔の近くにやってきて、顔から火が出そうな程に照れてしまう。我ながら簡単で単純な男だと思う。
そして俺の針、やっぱり振り切れた。
「ま、まあ、ごっこ遊びだったら、俺もやぶさかではないな……」
第20話 ごっこ
終わり




