第18話 やっと気付いたかね
俺は冬乃のことが好きなのだろうか。
答えは……分からない。分からないが、少なくとも嫌いではない。
だったら質問を変えようじゃないか。
冬乃のような彼女を欲しいと思うか。答えはYESだ。そりゃあれだけ可愛い冬乃だし、それにあいつと一緒にいると結構楽しかったりするし。
ではもうひとつ質問をしよう。
冬乃の言っていた、「冬乃の普段とは違うところ」を俺は知っているだろうか。答えはNOだ。俺は冬乃と話すようになり、一緒に働くようになってからまだ大した時間が経っていない。プライペートな冬乃を知るには時間が足りなさ過ぎるのだ。
以上、自分への質問終わり。
これらの回答から導き出されるのは、「意識するのも大概にしろよ陰キャ野郎」である。冬乃は俺をただのクラスメイトであり、ただのアルバイト仲間としてしか見ていない。なのに俺が勝手に意識してしまってどうするのだ。
冬乃が知ったら、きっと俺のことを「キモい」と三文字で表すに違いない。それだけは避けねばならない。だってさ、「自意識過剰」で「陰キャ」で「キモい」って終わってるぜ? それに女子に「キモい」と言われても耐えられるのは及川くらいなものだ。俺はあいつのような鋼の精神は持ち合わせてはいない。
「お兄ちゃんもお出かけするの?」
俺が玄関で靴紐を結んでいると、デートモードの服装にチェンジした六花が声をかけてくる。背伸びした中学生らしい、カジュアルなオシャレという感じがしてとても好感がモテる服装だった。
「ああ、ちょっと友達に呼び出されてな」
「ふーん、デート?」
「デートじゃねえよ、だから俺には彼女だとか好きな人だとか、そういう人はいな……ん? ろ、六花、これなんだ!?」
考え事をしていて気が付かなかったが、それは俺のすぐ隣に置いてあった。おかしい、こんな都合の良いことがあるのだろうか。
「え? 『なんだ』って、これ、炊飯器だよ? お兄ちゃん忘れちゃったの? 頭大丈夫? 兄が炊飯器すら知らないとか、妹の私は超恥ずかしいんだけど」
「知ってるよ炊飯器くらい! ふっくらお米が炊ける神器だろ! そうじゃなくてな、どうしてこんなところに炊飯器が置いてあるのかって訊いてるんだ」
六花は安心したように胸を撫で下ろしている。マジで俺が炊飯器の存在を忘れていたと思っていたのか? バカにしすぎだろこいつ。
「あー、そういうことか。お母さんが新しいの買ったから、それは今度捨てるんだって。廃品回収に出すみたいだよ」
「捨てる!? まだこれ使えるんだろ!?」
「うん、使える。でも新しいの買ったからもういらないんだって」
母さんの新し物好きは今に始まったわけではないが、もったいなさすぎる。もったいないお化けにでも一度叱られてしまえ。
がしかし。今回ばかりは、俺にとって願ったり叶ったりだ。
「六花、この炊飯器俺もらうから。母さんに言われたらそう言っておいて」
「え、マジ? 持ってくの? お兄ちゃん、それ炊飯器だよ? バッグじゃないんだよ? 確かに中にお財布くらいは入るかもしれないけど……ダサッ」
「だれが炊飯器をバッグ代わりにするか、ばかたれ。そうじゃない、友達にあげるんだよ。炊飯器を欲しがってたやつがいるんだ」
「炊飯器を、欲しがる?」
状況が理解できない六花は不思議そうに首を傾げている。しかし、説明はしない。なんとなく面倒くさいことになりそうだからな。
俺は炊飯器を片手に持って、玄関を出た。これでは自転車に乗れないので、仕方がないが今日は徒歩で向かうとしよう。炊飯器を持って電車に乗るとかめちゃくちゃ目立ちそうだけど、そんなことは関係ない。
待ってろよ、冬乃。
お前の欲しがっていた炊飯器を、俺はゲットしたぜ!
* * *
十五分ほどかけて駅前までやって来た。炊飯器を持って。
ここから電車に乗り、二つ目の駅で降りれば冬乃の家まであとちょっとだ。俺はラインで冬乃に「少し遅れる」旨の連絡を入れておいた。
この炊飯器があれば、冬乃は外食せずとも、体に悪いコンビニ弁当にせずとも、自炊して好きなもの食べられようになる、というわけだ。あとはお弁当。学校のお昼もお金の心配をして小さな菓子パンで済ませることなく弁当を作って持っていくことができる。これであいつの一人暮らしライフの質が上がる。
なんと素晴らしいことだろうか。
「……ん? 自炊?」
冬乃、あいつ自炊できるのか? 料理できるのか? そもそも炊飯器を持っていってやったとしても、まだまだ足りないものが山ほどあるじゃないか。包丁とかまな板とか、調味料とか、その他たくさん。
……まあいい、それについては後で考えることにしよう。まずはこれ、炊飯器だ。冬乃が履歴書についつい書いてしまうほど欲していた、炊飯器。これが手に入ったのだ。あいつ、きっと喜んでくれるだろうな。
と、そんなことを考えながら駅の前までやって来たところで。
こちらに向かって大きく手を降っている眼鏡女子が一人。誰だ? 眼鏡っ娘の知り合いなんて俺、いないぞ? しかしこの眼鏡っ娘、遠目からでも分かるほど可愛い顔をしているな。冬乃といい勝負じゃないのか、この顔面偏差値は。
「おーい、寒崎くーん!」
そう言って、眼鏡っ娘は手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。間近で見ると余計に可愛い。もしかしたらこれは運命の出会いというやつじゃないのか? 実は前世で俺とこの眼鏡っ娘は恋人同士で、それでこの子の記憶が急に戻ったりして、それで俺の名を呼びながら駆け寄ってきてくれたんじゃないのか?
そんな訳あるかい、漫画の読みすぎだ。
「あれ? どうしたの寒崎くん、炊飯器なんか持って」
「いや、あのー、どちらさまでしょうか」
「どちらさま? ひっどーい、クラスメイトの顔忘れるとか。あ! そっか眼鏡」
そう言うと、眼鏡っ娘はかけていたそれを外し、眼鏡っ娘ではなくなった。では誰になったのか。簡潔に申し上げよう。
雪兎たま子になったのである。
「お前、ゆ、雪兎か!?」
「えへへ、大当たり。ってか、眼鏡かけてるだけで分からないものかね?」
雪兎は可笑しそうに目尻を下げた。可愛い可愛いと思ったら、そりゃ雪兎だからな、可愛いに決まっているのだ。というか、何故眼鏡を?
「あ、私普段は眼鏡かけてるの。学校ではコンタクトなんだけど。そうそう見てみて寒崎くん、お母さんにこんな可愛い眼鏡ケース買ってもらっちゃったの!」
と言ってバッグから取り出したるは、どこかで見覚えのある眼鏡ケース。猫のイラストと向日葵が描かれた、カラフルなハードケースだった。
そして気付く俺。一瞬にして、顔からドバッと汗が吹き出した。それを見て、雪兎はしたり顔でニヤニヤ笑みを浮かべている。「やっと気付いたか」とでも言いたそうな、雪兎の意地の悪い笑顔。
こいつ、もしかして――
「雪兎、お前のお母さんの名前って……」
「いひひ、やっと気付いたかね。そうだよ、私のお母さんの名前は美智子っていうの。これ、隣町の雑貨屋さんで買ったんだってさー」
雪兎たま子は、ウチの店の常連さんである
ミチコさんの娘だった。
第18話 やっと気付いたかね
終わり




