第17話 好きな人とか
目覚ましをかけずに寝たはずなのに、自然と朝八時に目が覚めた。
今日は日曜日。学校もアルバイトもない、俺の唯一の休日である。そんな唯一の休日にも関わらず、今日の俺は別段何の予定もない。一人で過ごすことがほぼほぼ確定している。俺以外の人間は休日を有意義に過ごしているであるに違いないのに、やはり世の中は不公平である。そんなことを寝ぼけた頭でうっすら考えながら、俺は洗面所で顔を洗った。
「あれ? 六花、日曜だってのに珍しく早起きじゃんか」
顔を洗い終えてリビングに入ると、未だパジャマ姿の我が妹――寒崎六花がダイニングテーブルでトーストをかじっていた。
「あ、お兄ちゃんおはよー」
「ああ、おはよう。で、お前、今日は何か予定あるのか? ないんだったら兄ちゃんと一緒にゲームでもしないか? 暇なんだよ、予定がなくて」
「ダメ。私はこれから彼ピッピとデートしなきゃだから」
と、中学二年の妹はトーストをミルクで流し込みながら言うのであった。彼ピッピってなんだよ。ヒヨコか何かかよ。やはり世の中は不公平だ。同じ親から生まれたというのに、妹はこうしてリア充を満喫する側、俺は呪う側である。同じ遺伝子が組み込まれているとは思えないね、実に悲しい現実だ。
「ごちそうさまでした。ねえお兄ちゃん、昨日は帰り遅かったね。というか最近やけに遅くない? もしかして彼女できた? だったら私に紹介してよ」
食事を済ませると、六花は皿をキッチンの流し台に持っていきながら、対して興味もなさそうにして俺にそう訊くのであった。
「彼女なんているわけねえだろ。ちょっと友達の遊びに付き合ってたんだよ」
「あははっ、だよねー、お兄ちゃんに彼女なんかできるわけないよねー」
「なんでそんなに楽しそうなんだよ。俺に彼女ができないのがそんなに嬉しいか」
「ううん、ただウケるなって思って」
ウケてんじゃねえよ。俺に彼女がいないという悲しい現実にウケてんじゃねえよ。妹だったら一緒に悲しめよ。そしてお前も早くその彼ピッピと別れてリア充をやめてしまえ。兄妹仲良くリア充を忌み嫌って生きていこうぜ。
「……お前、そこで着替えるのやめてくれない?」
六花はソファーの前でするりするりとパジャマを脱ぎ始めた。そして兄の目の前でその下着姿を披露するのであった。
「なんで?」
「なんでじゃねえよ、気になるだろうが」
「いいじゃん兄妹なんだから。それとも私の下着姿を見て欲情しちゃった?」
「お前の色気のない下着姿に欲情なんかするか、バカ」
女の下着姿といっても、やはり妹にはまったく欲情しないし興奮もしない。当たり前だ、今ではリア充になってしまったが、こいつは俺にとてもよく似ているのだ。
顔の作りも、性格も、癖も、似ている。そんな俺に似た妹の下着姿を見て興奮するのだとしたら、俺は自分で女性用の下着を着用して、自分の姿を見ても興奮することになってしまう。……いや、そうはならないし、それはまた別の性的嗜好というやつだな。爽やかな朝だというのに、全く爽やかでない俺の思考である。
しかしまあ、中学二年ともなればそこそこ女っぽい体つきになってくるものだなあと、俺は六花の下着姿を観察してそう思った。スポーツブラの下の膨らみが以前見たときよりもだいぶ大きくなっている気がした。
そういえば初めて冬乃の家にお邪魔したとき、あいつが制服を脱いで下着姿になったであろうときのシルエットを見たときは、心臓がぶっ壊れてしまうのではないかというくらいドキドキしたな、ということを思い出した。六花の下着姿などどうでもいいが、冬乃の下着姿は見てみたい。
……いや、何を考えているのだ俺は。そんなことを考えたら冬乃に失礼である。どうも昨日から冬乃のことが頭から離れないのだ。
一緒に星空を見た、あのときから。
「ん? なんだ?」
ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが『ぴろん』という着信音を鳴らす。いつもは鳴らないものが鳴ると、ちょっと不思議な気分だ。スマホが鳴るだけで不思議を体験できるのだから、俺はある意味、燃費がいいとも言える。わざわざ『世界ふしぎ発見!』など観る必要なし。
『寒崎くんおっはー! 今日ひま?』
冬乃からのラインであった。朝からテンションの高いそのメッセージは、冬乃らしさがにじみ出ていた。『今日ひま?』と問われれば、もちろん暇である。予定などあるわけもなし。非リ充をなめるんじゃない。
『おはよう。ひまだけど?』
『そっかそっか、じゃあ私の家に遊びに来てよ』
『遊びにって、何するんだ?』
『別に? そんなの家に来てから一緒に考えればいいよ。一人が寂しいの! 寒崎くんが来てくれないと寂しくて死んじゃう!』
メッセージの中でだだをこね始めた冬乃である。学校で見せる顔とは違い、普段のこいつはまるで子供だ。寂しくてしんじゃうってウサギかよ。いや、ウサギですら最近はそんなこと言われなくなったぞ?
「ねえお兄ちゃん、どうしたの?」
俺がスマホをいじっていると、不思議そうな顔をして六花が俺に訊いた。
「どうしたの? って、何が?」
「ううん、顔がすんごいニヤけてるから」
ハッとして、俺は咄嗟に自分の顔を触った。全く意識していなかったけど今、俺はニヤけていたのか? どうして?
「ねえお兄ちゃん、本当に彼女できたんじゃないの?」
「だから、彼女はいないって」
「じゃあ、好きな人とか?」
六花の言葉に、俺は虚をつかれた。
「な、何言ってるんだよ! 好きな人も俺にはいない!」
「ふーん、でもお兄ちゃん、なーんか以前と雰囲気変わったというか、様子が変わったというか、そんなふうに見えるんだけど」
どうして今、俺はこんなにも動揺しているのだろうか。確かに冬乃が面接に来たあの日から、なんとなく自分の中で何かが変わっていっているようには感じていた。でもそれは別に冬乃のことが好きだとかということでは――
いやいや、ちょっと待て。その前に、だ。
六花に『好きな人』と言われたときに、
どうして俺は真っ先に、
冬乃の顔を思い浮かべたんだよ!?
第17話 好きな人とか
終わり




