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第16話 秘密の場所へ【後編】

「はあ……はあ……冬乃、ここって……」


 急な坂道を上り切り、しばし真っ直ぐ進んだところに、それはあった。だいぶ高台まで上ってきたそこにあったのは、大きな公園だった。一面が芝生で広がった、中央辺りに僅かな遊具が設置されている、公園。


「坂道お疲れさま。連れてきてくれてありがとうね、寒崎くん。よっと」


 掛け声をかけて、自転車から降りた冬乃。そして冬乃は「こっちこっち」と俺を呼び、真っ直ぐ公園の中央へと進んでいく。ちょっと待ってくれよ、息が、整わない……。ただでさえ俺は運動不足なんだぞ、もっと労れ!


「ここ。ここに一緒に登ろう」


 冬乃が指差し『ここ』と言ったのは、ジャングルジムだった。少し古びていて錆びついた、黄色いパイプのジャングルジム。そのジャングルジムを、冬乃は迷いなく登っていく。登っている冬乃を見上げると、スカートの中から真っ白いパンツが見えそうになり、俺は咄嗟に顔を逸した。


「早くー、寒崎くんもここまでおいでよー」


 冬乃はあっという間にジャングルジムを登りきってしまった。そしててっぺんのパイプに腰を下ろし、俺が登ってくるのを待っている。月明かりが冬乃の顔を照らす。子供のように無邪気な冬乃の笑顔がよく見えた。


「おい冬乃、秘密の場所ってもしかして――」

「うん、ここだよ。このジャングルジムのてっぺん。さあさあ寒崎くん、私の秘密の場所にご招待です。滑らないように気を付けて登ってきてね」


 俺はジャングルジムの一段目のパイプに足をかけた。何年ぶりだろうか、ジャングルジムに登るのは。小学校以来だろうか。あの頃はもっと高さを感じていたものだけれど、今ではそんなに感じない。俺は一段一段、足を滑らせないよう気を付けながらパイプを登っていく。荒れた息はいつの間にか整っていた。


 そして最上段に差し掛かったところで、冬乃が俺に手を差し伸べた。その手を俺はぎゅっと掴む。ジャングルジムのてっぺんに到達。冬乃と対面するように、俺もパイプに腰を下ろした。


 そして冬乃は、「いらっしゃいませ」と言ってから微笑んだ。先程まで、アルバイトで発していた定型句。俺は冬乃の『秘密の場所』にお邪魔したってわけだ。でもなんでここが秘密の場所なんだろうと、俺は不思議に思った。


「えへへ、寒崎くんと一緒に見られるね」

「見られるねって、何を」

「上を向いて」


 俺は一瞬、息をするのを忘れてしまった。


 冬乃に促されて上を向いた俺の目に飛び込んできたのは、星空。カーペットに星々を散りばめたような星空が、夜空一面に広がっていたのだった。小さく光る星、ぼんやりと大きく光る星、眩い星、少し元気のない暗い星。色んな、星。俺は人生の中で、こんなにもハッキリと星を見たのは初めてだった。


「どう? 寒崎くん! すごくない? こーんなに綺麗な星空が見られるなんて、すごくない? 私はとってもすごいと思う!」

「ああ、すごい。正直びっくりした。この街にもこんなに星が見える場所があったなんて知らなかった。これがお前の言う、秘密の場所なのか?」


 冬乃は星を見上げながら、うっとりとした顔をして、「うん」と頷く。


「うん、そう。ここが私の大事な、秘密の場所。子供の頃にここを見つけてね。それで、嫌なことがあるたびに、それを忘れるためにここに来てたんだ。他にまだ誰も連れてきたことがないんだよ、寒崎くんが最初」


 月明かりが、星の輝きが、冬乃の顔を照らして幻想的に浮かび上がらせる。何かを思うようにして、冬乃はゆっくり目を閉じた。


 そのとき、俺には見えた。嫌なことがあるたびに、このジャングルジムに登って星空を眺める冬乃の姿が。満点の星空の光を全身で浴びる、冬乃の姿が。


「ねえ寒崎くん? 寒崎くんのお誕生日っていつ?」

「誕生日? 9月18日だけど」

「そっか、じゃあ乙女座だね。あそこに見えるのがスピカ、乙女座の中で最も明るく光っている星。で、それを繋ぐとできるのが春の大三角形」

「詳しいんだな」

「詳しくはないかな、昔、本を読んでたまたま覚えてただけ。でも、たぶんこれでもう忘れない。だってあれは、寒崎くんの星だから」


 そう言って笑う冬乃の笑顔は、夜空に広がる星空よりももっと輝いていて、そして、美しかった。美しさで溢れていた。


「冬乃は最近、ここには来たのか?」

「うん、来たよ。家出したその夜に、ここに来た。最初は一人になってすごく心細かったんだけど、この星空を見てたらどっかに吹っ飛んじゃった。私の悩みなんてちっぽけで、大したことないんだなあって」

「悩み、解決するといいな」

「大丈夫だよ、寒崎くんが一緒にいてくれるなら。私の夢を叶える応援してくれるんでしょ? だったら悩みは解決したも同然って感じ」


 だいぶ俺は、冬乃に買いかぶられすぎているみたいだな。俺はそこまで頼りになる人間でもないし、頭も人望も権力もない。ただの普通の高校生だ。


 でも、だからこそ、俺はこいつの夢を叶えるために応援してやりたいと思う。ただの高校生だって本気になれば、必ず何かを成し遂げられるって冬乃に教えてやりたいと思う。そうすればきっと、こいつは諦めることなく、真っ直ぐ前に進むことができる。そういう強い女だっていうのは、短い付き合いながらも俺には分かっている。


 だってさ、いきなり家出して、いきなり一人暮らしだぜ?

 普通の高校生じゃなかなかできない。こいつは、強い。そうに決まってる。


 世の中は確かに不公平だが、しかし、冬乃ならそんな理不尽をぶっ壊してくれるような気がするから。


「寒崎くんには好きな人、いないんだっけ」


 そう、冬乃は星空を見上げて言った。


「どうなんだろうな」

「どうしたの? 昨日と答え変わってるじゃん」

「人間っていうのは変わる生き物なんだよ」

「そっか、じゃあ私と同じだね。私もこの前とちょっと変わっちゃった」

「どう変わったんだよ?」

「それは内緒」


 でもね――と。冬乃は続けた。


「内緒だけど、でも、いつかバレちゃうかもね。私って顔に出やすいからさ。分かりやすすぎるって、いつもたま子にからかわれてた」

「そうだな、冬乃は分かりやすいよ」

「そう言わないでよ。でもやっぱり私は、私の好きな人に、私の普段見せてないところも見せて、それでも好きって言ってくれる人とお付き合いしたい。こう見えて私、結構ずぼらだから」


 普段見せてないところ、か。


 人間はみんなそんなもんだ。普段の自分とプライベートの自分を上手に使い分けて生きている。そういうのが苦手な人もいるかもしれないが、でも、俺はそれが普通だと思う。


 普段と違う一面を見せたら嫌われるんじゃないか、そんな恐怖を抱きながら、皆んなこの社会の中を生きているんだ。


「結構、じゃないだろが。冬乃はずぼらだ、思いっきりな」

「ひどくないそれ? 寒崎くんは私の散らかった部屋を見ただけじゃん。甘いなあ、そんなもんじゃないんだなあ私は」

「どんだけなんだよ、そんなもんじゃないって」

「とりあえず寒崎くん」


 星空を見上げていた冬乃は、真っ直ぐ俺を見直した。それからつと視線を下げ、何かを考えてから、もう一度また顔を俺に向き直す。


「もう少し私のこと、知ってみてよ。そしたら私の秘密、またひとつ教えてあげる」


 そう言って冬乃は表情を弛緩させ、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。俺もその笑顔につられて、自然と頬が緩んでしまう。


 こいつは、いつの間にか人の心に入り込む魅力がある。

 その理由が、俺にも少し分かりかけてきた。


「そうだな、そうするよ。そしたら冬乃の秘密、また教えてくれ」



 第二章 完

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