第12話 ありがとうございました
「「いらっしゃいませ!」」
店内の扉が開くと同時に、俺と冬乃は声を合わせた。元気のいい挨拶は接客の基本である。とか言いながら、最近の俺は完全にそれを忘れていたけれど。
でも冬乃につられて、らしくもない爽やかな声音で俺もお客さんを出迎えた。なるほど、職場に新人が入ってくると責任感が出てくるとは聞いていたが、つまりはこういうことだったのか。それに、冬乃のおかげで俺も初心にかえることができる。とても良いことである。
「あ、ミチコさん」
扉を開けて入って来たお客さんを見て、俺はそう声をかけた。腰まで伸ばした栗色の髪に、ライラック色をしたニット、真っ白なプリーツスカートをまとったミチコさん。春風のような優しさを感じさせる三十代くらいのお姉さん。
このお店の常連さんなのだ。
「お久しぶりねユウトくん。相変わらず頑張ってるのね、アルバイト」
「お久しぶりです、一ヶ月振りくらいですね。アルバイトは、まあまあ頑張ってます。親に手伝えって無理やり言われてるからですけどね」
ミチコさんはとても親しみやすい人柄で、口下手の俺もすっかり話慣れてしまった。とは言っても、やはりお客さんとの距離感は保つべきであり、俺は『ミチコ』という下の名前以外はこの人のことを知らないし、ミチコさんもまた、俺のことを深くは知らない。俺にとっては、それが逆に心地よかったりもした。
「もしかして新人さん?」
ミチコさんは、俺の隣で会話を聞いていた冬乃に声をかけた。冬乃も初めての接客ということもあってさすがに緊張しているんじゃないなか、なんて思っていたがそれは杞憂であった。
「はい、今日からここでアルバイトを始めました冬乃といいます、初めまして。ミチコさんの髪、すっごい綺麗ですねー。いいなあ、最近私、枝毛ヒドイんですよー」
100点満点のナチュラルスマイルをニコリと作りながら、自然な会話の流れで
ミチコさんの懐に入り込んでいく。冬乃はあれだ、やっぱり天性の社交性というかコミュ力というか、人に好かれるであろう要素をたくさん持ち合わせている。まさに接客の向きの性格をしているのだ。
「うふふ、あらあら枝毛は大変ね。でもフユノさんも綺麗な髪をしているわよ? 毎日お手入れ大変なんじゃないの?」
「いえいえそんな。でもありがとうございます。お手入れは毎日してるかな、一応これでもオイルケアしたりちゃんと頑張ってるんです」
そう言って冬乃は、両手を握って胸に当てるポーズを取っておどけてみせた。失礼のないように丁寧な言葉を使いながらも、ところどころに崩した口調を混ぜていくのが冬乃流の接客のようだ。うん、俺が教えることがないな。逆にご教授いただきたいものだ。この調子だと絶対に俺、冬乃に接客ですぐ追い越されるもん。
「お互い大変よね、髪のお手入れは。それにしてもフユノさん、とっても可愛い顔をしてるわね。男の子にモテて大変でしょ? うふふ、いいなあ若いって」
「い、いえ、全然可愛くないです! それに私、モテないんで。ほとんど干物みたいなもんですから。えへへ」
と言って、冬乃は否定をするのであった。嘘つけ、お前可愛いだろ。それにモテる……かは分からない。そういえばこいつの浮いた話って、クラスが一緒になってからまだ聞いてないな。とりあえず彼氏はいないと言ってたけど、でもお前、干物はどうかと思うぞ。カラカラかよ。
「あらフユノさん、可愛いのつけてるのね」
ミチコさんはそう言って、自分の頭をちょんちょんと触ってみせた。冬乃も同じように自分の頭を触ってみて、それで言葉の意味が分かったようだ。冬乃がいつも頭につけている、椿の花の髪留め。
「あ、これですか? これ、小さい頃にお母さんに買ってもらった大切な髪留めでして。私、すごく気に入ってるんです。だからミチコさんみたいな素敵な人に可愛いって言ってもらえて、とっても嬉しい」
「ふふふ、『素敵な人』ってお上手ね。でもお母様もフユノさんも、きっと素敵なセンスをお持ちなんだと思うわ」
「そんなあ、私にセンスなんか。えへへ」
冬乃は照れ照れと頭をかいた。
「ううん、とっても素敵よ。じゃあせっかくだから、今日はフユノさんに選んでもらおうかしら。初めてのアルバイトの記念にもなるだろうし」
「ええ! え、選ぶって、ミチコさんがこれから買う物をですか!?」
冬乃はびっくりしたのか、大きな声を出して驚いた。そして小さな声で、「どうしよう寒崎くん、私、自信ない……」と、珍しく弱気なことを言い始めたのである。うーん、冬乃のセンスの有無は置いといて、人に物を選ぶって確かにプレッシャーだよな。その人の気持ちになって選ばなければならないわけだから。
「フユノさんみたいな若い子に選んでもらった方が、娘もきっと気にいると思うの。だからお願いできないかしら?」
「えと……ミチコさん、ちなみに今日は何を探しにきたんですか?」
「娘が眼鏡を新調したから、新しいメガネケースをプレゼントしてあげようと思って。こちらに可愛いメガネケースたくさんあるでしょ? それで来たの」
なるほど、とりあえずミチコさんの今日の目的は分かった。確かにこのお店、メガネケースの種類は豊富だったりするんだよな。オーナーの陽子叔母さんが眼鏡をかけるから、色んな国で見つけたメガネケースを輸入してくるのだ。
というかミチコさん娘がいるのかよ。綺麗な人だからまあ結婚はしてるのかなと思ってたけど、まさか娘さんまでいらっしゃるとは。
「えー、どうしよ……。これかな、これがいいかな……」
店内の隅の棚に並べられた、色々な種類のメガネケース。ハードケースもあるにはあるのだが、どちらかというとソフトが多い。ただデザインは豊富だ。柄もその国々の特色が出ているし、形も面白い物が揃っている。
その中から冬乃がひとつひとつ、ケースを手に取って、真剣な顔つきで選ぶ。まるでこの選択が世界を救うんじゃないかという使命感の中で、選ぶ。ここまで真剣な冬乃は面接で見たとき以来だなあ、とかそんなことを考えた。
「寒崎くーん、お願い。これとこれ、どっちが良いと思う?」
と、冬乃がそんな助け舟を俺に求めてきた。ミチコさんは冬乃に選んでほしいと言っていたのだから俺が介入してしまってよいものか、と思ってチラリとミチコさんを見やる。するとミチコさんは俺にニコリと微笑むのだった。
それを見てオーケーなのだと捉えた俺は、冬乃の隣に行って一緒にメガネケースを選ぶ。叔母さんさあ、もっと選びに選び抜いたものだけを置いてくれよ。こうたくさんあると選びきれないっつーの。
「寒崎くん、これとこれはどっちがいいと思う? 私は右のハイビスカス柄の方が可愛いと思うんだけど」
「いやいや待て待て冬乃、俺はこっちがいいと思うぞ」
「そんなグロテスクなメガネケース嫌! なんでドクロとか選んじゃうわけ? 寒崎くんって、もしかしてセンスない?」
「う、うるさいな! センスはないよ! でもドクロってカッコよくない? なんか海賊っぽい雰囲気がたまらないというか」
「うわあ、やっぱりセンスないじゃん。ミチコさんの娘さんがなんで海賊っぽいものを喜ぶと思ってるの? 女心を分かってないなあー」
そう言って冬乃はやれやれと両手をひらひらさせた。ぐっ……何も言えねえ。そりゃ俺のセンスは壊滅的かもしれんし、女心も分かってない。だから俺はモテないんだよ知ってるよ!
すると背後から小さく笑う声が聞こえた。俺と冬乃は言い争い、もとい、ミチコさんの娘さんへのプレゼント選別を一時中断して振り返った。ミチコさんが可笑しそうにして、くすくすと笑っているのであった。
「ふふふっ、ごめんなさいね笑っちゃって。なんか見てて可愛くてね」
「あ、いえ、別に」
「あなた達仲いいわね、もしかしてお二人は恋人同士? いいわねえ、若いって」
俺と冬乃は顔を見合わせ、同時に顔を真っ赤にさせた。そしてお互いに背を向けて、気恥ずかしさを誤魔化すようにして顔をかいたり頭をかいたり。
先程学校で、雪兎に冬乃との恋仲を疑われたかと思ったらここでもかい。というか冬乃くらい可愛い女子と、こんな俺が付き合えるわけがないじゃないか。恋人同士とかあり得ないって。俺にはリア充を忌み嫌う立ち位置がお似合いなのだ。
「べ、別に私と寒崎くんは恋人同士じゃないですよ! うん、全然違うんです! だ、だけど――」
「またまた照れちゃって。大丈夫、ミチコさんちゃんと分かってるから。若い内は恋愛を楽しまなくちゃ。二人とも、いつまでも仲良くね」
* * *
結局、俺の意見はほぼほぼ無視され、メガネケースは冬乃が決めた。白地のハードケースに猫のイラストと向日葵が描かれた、とてもカラフルなケースだった。
冬乃は初めてのレジ打ちということで若干緊張しながらも、俺に何度も確認を求めながら間違いのないよう操作を進める。商品の値段を打ち込み、一万円をお預かりし、そのお釣りをミチコさんに手渡す。
商品を受け取ったミチコさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうフユノさん。それとユウトくんも。二人ともアルバイト頑張ってね、若い内に苦労しておくと、きっと未来の役に立つから」
そして――選んでくれてありがとう、と。お礼の言葉を述べてから、扉を開けて帰って行くのであった。俺と冬乃はミチコさんの背中に向かって、二人で声を合わせてこう言った。「ありがとうございました」と、元気良く。
「ふう、ミチコさんも気に入ってくれたみたいだし、なんとか上手く行って良かったな。どうだった、冬乃? 初めての接客は」
店内でまた二人きりになったところで、俺は背伸びをしながら冬乃に訊いた。すると冬乃は嬉しそうに笑顔を浮かべ、
「ありがとうって言ってもらえた」
と、胸に大切な何かを抱きしめるようにして呟いた。
「ミチコさんにありがとうって言ってもらって、私もありがとうございましたって言って。私、これってすごく素敵なことだと思うんだ。やっぱり私、ここで働けて良かった。こんなに素敵なお仕事ってないと思う。あー、『ありがとう』って言葉、私大好きだなあ」
目をつぶり、感慨深げにそう言った。
そしてくるりと俺を向いて、今、地球上で一番幸せそうな笑顔を浮かべながら、俺にこう言ったのであった。
「寒崎くん、今日も助けてくれてありがとう」
第12話 ありがとうございました
終わり




