白服の男
周囲の全員が一人の男に向けて頭を下げた異様な光景は、当然いつもの夜会で見られるものではない。
続く静寂はこの場が異常事態にあることを強調し、各々により緊張状態を強いてくる。
早く終わって欲しいと、頭を下げている誰もが願った。
別に緊張していないレオンでさえ、そう想っていたくらいだ。この男に限っては、妻が疲れたらどうするのだという憤り付きの不満でしかなかったが。
ただ一人立ち、白服を纏う男は何か頃合いを計っていたらしく、しばらくの間は人々の頭を順に見渡すようなことをして時間を稼ぎ、やがて手を挙げながら高らかに宣言した。
「皆の忠誠、確かに受け取った。されど、この服を見て分かる通り、今日はこの場に王家の者としては来ていない。故に皆、顔を上げてくれ」
静まる会場に、男の声はやたらとよく通った。
多くの人間の前で発言することに慣れてきた男の発声である。
またしても手前から順に上がり始めた頭を満足気に眺めながら、男はさらに通る声で言った。
「聖剣院の担当官としてこの場にある全員に命ず。良しというまでその場を動かず、これから起こることに付き合うように」
生じたどよめきは、僅かで終わった。
流石は貴族の集まりである。
ほとんどの者はもう澄ました顔で立っていた。
だが流石の貴族でも顔色までは隠し切れないようで、白服の男やレオンが見れば、その心中は容易に察することが出来るものだった。
どうやらなお理由が分かる者と、そうでない者が、この場には混在しているらしい。
しきりに共に来た家の者たちの様子を窺っている者は、間違いなく未だこの場にある意味をよく分かっていないはずだ。
公爵夫妻だけは共に周囲とは反応が違っていたが、互いに見詰める先が同じでも、そこに乗せた感情は一致していない。
オリヴィアは微笑を崩さず、先まで話していた侯爵一家を眺めていた。
その心中では、彼らからはとても穏やかな人柄を感じたけれど、一体どうしてこの場に呼ばれたのだろうと不思議に思っていることだろう。
レオンにだけ分かる程度には、その深緑色をした美しき瞳に疑問の色が浮かんでいる。
一方レオンは別の想いで同じ侯爵一家を見ていた。
ただ一人、震えるようにして俯く娘があって、それに気づいた侯爵と夫人は青ざめ、その息子はまだ若く感情を抑えきれなかったのだろう、顔を赤くし妹である令嬢を睨み付けていた。
後日、詫びをしたいと言ってくるだろうが、そのときには娘の処遇についても相談されるはずだ。
オリヴィアに何と伝えようか。そもそも同席させるべきか。
レオンは侯爵一家を見ながら、妻のことばかり考えているのだった。
不穏な空気に包まれる会場で一身に注目を集める白服を着た男は、まだ語る。
「心に想うところがある者もいようが、そう恐れることはない。今回は忠告だけで済ませることに決まっている。諸君らに対し、問題提起の申請を行わなかった寛大な公爵夫妻に、各々よく感謝するように」
ここで男の言葉が終われば、貴族たちも少しは気が楽になれたであろうが。
男は優しくなかった。
「しかしながら、私からは各家に告がせていただこう。これまでの行いを今一度よく省みて、貴族らしい振舞いとは何か、改めて見直すように願いたい。どの家の誰が何をしたか、こちらにはすべて調べが付いていることもまた、心に留めておくように」
これで貴族たちには、曖昧な処分で内々に済ませることが出来なくなった。
それはもう、聖剣院で罰則を与えたのとほとんど同義だ。
誰が罰を与えたかという点でそれぞれの未来が変わるとしても、処罰の内容は同じとなる。
多くの貴族が施設行きを願い、レオンに相談を持ち掛けることだろう。
白服の男は満足した顔でもう一度周囲を見渡した後、それまでとはまるで違う顔をしてレオンに笑い掛けた。
「皆にはこれくらいで済ませようと思うが。どうかな、レオン?」
レオンはすっと頭を下げると言う。
「私からは何も御座いません。すべて殿下のご意思に従います」




