呼ばれない男
レオンはオリヴィアと無言で頷き合うと、やっと男に振り返った。
もちろん、オリヴィアとは固く手を繋いだままだ。
「久しいな。結婚式以来か」
あえてレオンが伯爵と言わなかったことに、男は気付いていないのだろう。
輝きの失せた瞳でレオンの顔色を窺いながら、両手をしきりに揉み合わせている。
「お父さま、聞いてくださいます?お姉さまったら──」
「黙りなさい!今日は大人しくするようにと言っておいたはずだ!」
突然男は目をぎらぎらさせて怒鳴り出した。
娘の方は怯えてはいないものの驚愕はしているようで、恥も知らず口を半端に開けて茫然としている。
レオンは心配になってまた半身振り向きオリヴィアを見たが、オリヴィアは美しい微笑みを返した。
先は急で構えられず、条件反射が出てしまったのだろう。
あなたがいれば、大丈夫。
と妻の華咲く笑顔に言われた気になったレオンは、前に向き直ると男の豹変振りを観察した。
「お父さま、どうされましたの?急にそんな大きな声を出されたら驚いてしまうわ」
「いいから、黙っていなさい!」
報告ではなかった状況に、この男はすでに予感を覚えているのではないかとレオンは感じた。
元々カッとなりやすい激情を内に抱えるタイプであったのであろうが、他家の目がある場所で露呈させるほどの愚者ではなかったはず。
特にレオンの前では、徹底して気弱な優男を演じてきたはずだった。
人を見る目の足りなさをレオンが自嘲して口角を上げたとき、男はこれを良い方に捉えたらしい。
また急に顔つきを変えて、引き攣った笑みを浮かべながら、娘と同じようにぺらぺらと好き勝手に話し出したのだ。
「かねてより婿殿とは家族水入らずで、ゆっくりと過ごしたいと思っていたのですよ。王都にいらっしゃることも事前に教えてくだされば、こちらもお出迎えの準備をしまして宴席のひとつでも設けさせていただいていたところでしたのに。晩餐会の前に娘をよく知って頂けておりましたら、このような誤解も生じずに済んだことでしょう」
もうレオンの顔には自嘲の笑みさえない。
「こちらから連絡のなかったことが不満だと言いたいのか?何故、お前たちに連絡せねばならん?その上、その娘の無礼はこちらの理解が足りないせいだと?」
「え、いえ、そんなことは。まさか、ははは。婿殿と家族ぐるみでもっと親密に付き合いたいなぁという話でして。娘にも悪気はなく、ただ婿殿たちと仲良くしたかっただけでしてね」
「ほぅ。そう言うわりには、結婚式の際にもお前一人で参列していたな?その後も連絡はなかったように思うが?」
「それは……その、仕事が忙しくて。ははは」
「妻と娘にまで、結婚式に出られぬほどの仕事を強いていると?」
「いえいえ、まさか。仕事が忙しかったのは私だけで、それでお手紙もなかなか出せませんで。結婚式のことに関しては、あの二人は少々体調が悪く、我が領から公爵領までの移動にはとても身体が耐えられぬようでしたので、私一人で参った次第」
男も考える間があれば、少しは真面な言い訳が出来ていた。
その身の上から遠慮させたのだと、結婚式の前後にはレオンにそう説明していたのだから。
とすれば今はもう気が動転し、男は思い付くままに語るしか出来ない状態にあるということになる。
こうなった人間は、公爵をしているレオンにすれば赤子の如く。
「体調が悪いその日に、王都にいたという報告を受けているが?」
「は?え?誰からでございましょう。そんなことは……ははは。それはきっと、あれですな。二人が参列しなかったものですから、我が家の事情も汲んで、勝手に良くない話を囃し立てた者がいたのでございましょうね。貴族とは困ったものですなぁ。ははは」
自ら奥深い墓穴を掘って、自ら奥深く埋まっていく男らしい。
レオンの冷たい視線と尋問に耐えかねた男は、話を変えようと試みて、また失敗した。
「そ、それより婿殿。お聞きしたいことがありました。結婚した娘とは如何でしょう?」
レオンが最も激怒する話題をここで持ってくるとは。




