取り繕えない一家
たとえば、王家であっても。
王子が父親である王を、公的の場では「陛下」と呼ぶように。
王侯貴族というものは、他者の目がある場合に、呼称にはよく気を遣うものである。
もちろん例外的に、謙る意味を持ってそうしないことはあった。
それはたとえば、他家の者と話す場合に、爵位を持つ親をあえて爵位なしに「父」や「母」と称するように。
とはいえ、それは同じ家に限る話だ。
どんなに血の繋がりの濃い家族であろうと、家を離れ他家の者となった後には、公的な場では然るべき呼び方をしなければならない。
という初歩的な礼節をこの場で知らないと言って捨てるのであれば。
この娘は最初から貴族には向いていなかったのだ。
レオンはその腕でオリヴィアを隠すようにしながら、器用にも妻の手を取った。
オリヴィアもまた、その手をしっかりと握り返している。
そんな動きも知らずして、娘はレオンが見ていることに気付くと、上目遣いの甘えた視線に変えた。
状況を把握する頭もない。
「レオン様。わたくし、レオン様にお会いしたら聞いていただきたいことが沢山ありましたの」
ほんの少し前に黙れと言われたことさえ、覚えていられないのか。
レオンは呆れつつ、冷えた声を出し続ける。
「発言を許してやろう。ただし聞かれたことだけに答えてくれ。何故、俺の名を呼んでいる?」
「え?何故って?」
「俺はこれまでにお前に名を呼ぶ許可を与えたことはないが?」
「まぁ、そんな。義理とはいえ兄妹……あ、分かりましたわ。お義兄さまとお呼びした方がよろしかったのですわね?」
笑う余裕はあるが、娘の表情に少々の引き攣りが見られた。
レオンという男を苦手としていた過去をようやく思い出したのだろう。
あれだけ避けてきたものに自ら近付いた愚かさを、レオンには笑ってやる慈悲もない。
「仮に本当に義兄妹だったとして、お前にそう呼ぶ許可を与えることはないだろうな。二度と呼ぶな」
「嫌ですわ。そんな、堅苦しい。お姉さまと結婚されたのですから、もう兄妹ではありませんか。どうしてそんなに……分かりましたわ。お姉さまともそのように堅苦しい仲なのですね?だからわたくしとも……あら、違うのかしら……そうだわ。わたくしのことは妹とは思いたくないということですわね?それなら分かりますわ」
娘は大事な言葉を聞き流し、誰にも求められていないことばかりぺらぺらと語っていく。
貴族らしく、レオンはさらりと助言を与えてやったというのに。
調査によれば、この娘は王都に長く滞在しては、茶会に夜会にと忙しく過ごしているそうだ。
ただし付き合いのある相手は伯爵家より下位の貴族で、それも私的な集まりばかり。
しかも年々付き合いのある貴族が減っていると言う。
関わりを求められた良識ある家の者たちについては、察するに余りある。
上位貴族令嬢として振舞う娘の対応には、難儀していたに違いない。
そしてこの娘、今日の夜会には特別に参加を許可されているが、晩餐会には招待されてもいなかった。
だから今、一人でこのように野放しとされているのだろう。
話すだけ無駄であると、レオンは早々に見切った。
この娘にも同情の余地はありと、妻とよく話し合った結果も踏まえ、少しは相手をしてやったが、もう良いだろうとレオンは妻の手を握り締める。
次に相手をするときには、変わっていることを願いながら。
「それ以上は公爵家への侮辱と捉えるが?」
「え?ぶじょく?」
レオンがさらに呆れたときだ。
「マリア!」
大きな声に、びくりと体を揺らしたのはオリヴィアであった。
その手から振動が伝わって、レオンは急いで振り返るも、オリヴィアは微笑みを浮かべて首を振るのだ。
ぎゅっと握り返す手が大丈夫だと伝えてきても、レオンは心配で堪らず、周囲の目も忘れ、オリヴィアの頬を撫でるようなことをしてしまう。
だから近付いて来る男には、背を向けている形となっているのに。
「いやぁ、お久しぶりですな、婿殿。娘が失礼をいたしましたようで。実は久しぶりに姉に会えることをずっと楽しみにしておりましてね。それで今日は気が大きくなってしまったのではないかと」
この親にして、この子あり。
周囲の誰もがそう思っただろう。
だがそうすると……。
今までとは異なる憐憫の込められた視線が、あちこちからオリヴィアへと注がれるのだった。




