妻の心に触れた旦那様
レオンは慎重に言葉を選びながら、妻に言った。
「まず……伯爵家について聞かせて欲しい。オリヴィアは伯爵家の正統な後継者だが、爵位を継がなかったことや、今の伯爵家について、何か想うことはあるだろうか」
尋問のようにしてはならない。
言葉だけでなく、柔らかい声色を選び、なるべく穏やかに落ち着いた口調で、いつも妻に語り掛けるときと変わらぬようにレオンは問う。
その意図がどう伝わっているかは分からないが、オリヴィアはゆっくりと首を振った。
「私には、何か想う資格がありませんので」
妻が謝らなかったことは喜ばしい。
だが、その答えはレオンの予測したどれとも違っている。
これが会話か、とレオンは男が言っていたことを想い出した。
「どうしてそう想うようになった?オリヴィアに資格がなければ、この世の誰にもそれはないものとなろう」
「いいえ。伯爵位を継ぐ資格も持てなかった私ですから」
オリヴィアが謝罪する目的以外で、レオンの言葉を否定したことがあっただろうか。
いや、あったにはあった。それはレオンの懐かしい記憶の中にいくつも残っている。
だから今、レオンはとても嬉しかった。
恋をした当初のオリヴィアが戻ってきたようで。
「資格がない?それは伯爵が言っていたのか?」
オリヴィアはまたゆったりと首を振った。
では、その妻か、その娘か?
レオンがもう一度訪ねようとしたときだ。
「旦那様と婚約してすぐのことでした」
オリヴィアが突然に脈絡のない話を語り出す。
こんなことは今までにないことで、レオンは驚きと喜びを隠し、一語も聞きもらさまいとひたすらに耳を傾けた。
「どの家庭教師の先生たちもお祝いの言葉と共に首を傾げるのです。どうしてお相手が公爵家の嫡子の方なのだろうと」
それは当然の疑問だった。
この国では性別を問わず、何もなければ第一子がその貴族家の立場を継承していくことになる。
レオンもオリヴィアも生まれたときから爵位を継ぐ予定にあったということだ。
だからと言って、爵位持ち同士が結婚出来ないわけではないし、レオンとオリヴィアの場合は隣り合う領地だから、この結婚を前向きに捉えることは出来よう。
しかしながら隣り合う領地だからこそ、横やりが入る可能性も高まった。
領地拡大への不穏な動きと見受けられなくもない。
こうした懸念を排除するためにも、一般的には爵位を継ぐ予定の女児は、貴族家の次男、三男を婚約相手に選ぶものだった。
オリヴィアの母もまた、そうしたように。
幼いオリヴィアは家庭教師たちの言葉を尤もだと感じ、同じく疑問に思った。
そこでオリヴィアは、母に直接尋ねることにしたのだ。
よく顔を合わせて遊ぶ仲であれば、相手として不満はないが、疑問はまた別の話だ。
婚約がどうということもなく、オリヴィアが純粋な気持ちで母に問うと……。
「あなたは爵位を継がなくていいのよ。母はそう言いました」
雷が全身を走り去った如く。
レオンはひらめく。
あぁ。そうか。そういうことだったか。
レオンは瞼を閉じた。
勝手に込み上げてくる熱が、また勝手に瞳から溢れ出るような気がしたから。
この結婚に託されていた想いに、必ずや応えねばと使命感に燃える反面、レオンは同時に怒りを覚え、それがまたレオンの目の奥を熱っしていく。
何故オリヴィアをこのようにして巻き込んだのだ?
もっと他にやり様はいくらでもあっただろう。
あなたはそれでもオリヴィアの──。
レオンの胸に湧く様々な感情は、とても一つへと収まることはないだろう。
だがレオンはすべてを悟られぬようにして、目を開くと言った。
「そうだったか」




