妻を想う旦那様
いつまでも無言で拒絶を示すレオンに、男は鼻で笑うようにして言った。
「君が出来ないと言うなら、僕がしてもいいのだよ?」
するとレオンは、さっと顔色を変えて憤る。
「それはならん!それだけはさせん!」
「それなら、君が早くするといい」
「だがっ」
くすくすと笑った男は、レオンの焦りをさらに煽った。
「君さぁ、確か変わると言っていなかったっけ?今の君のしていることは、以前と何が違うのかなぁ?僕には同じに見えるけれど?」
「変わっているではないか。だから妻だって少しずつ俺を……」
そうだろうか?
レオンは言い掛けながら疑問に思う。
妻は心を開くどころか、いつまでも自分の言葉を真正面から受け止めてさえくれないではないか。
それはまるで避けているかのように。
レオンの想いなど微塵も求めていないというように。
レオンはごくりと喉を鳴らすと、相手が違うと知りながらも男を睨んだ。
そんなレオンの心情などすべてお見通しだという顔で、男は嘲笑う。
「腫物に触るようにして?過去に触れないようにして?そうして君は、今までと何を変えたと言うつもりなのかな?」
レオンはまた違う形で押し黙った。
あまりに図星だったからだ。
「彼女が話したくないと言ったわけではないのだろう?彼女が本当に必要としている言葉も聞かずして、君の身勝手な変化を奥さんは本当に喜んでくれているのかな?」
自分さえ変わればいいと、レオンは信じてきた。
それがもし、妻にとっては、妻を蔑ろにしていることと同義だったら?
すべてはレオンの独りよがりの行いとなる。
「君はさぁ、もっと聞かなければならないのではないかな?圧倒的に会話が足りていないように感じたよ。今は君だけが一方的に話し掛けている段階だろう?これは会話とは言わないものだよ。君はただ奥さんに話を聞いて貰い、奥さんはそれに付き合ってくれていただけなのだ」
男は黙るレオンに、なお厳しい言葉を語り続けた。
「君の話から君の想いは見えてきたけれど、奥さんの想いは何も見えて来なかったからね。それは君が聞こうとしてこなかったからではないのか?気遣うなと何度も言われていることだって、奥さんは薄々君が気遣いから聞かぬようにしていることに気付ていたのかもしれないよ。だから何も言わない。いや、言えない。君は奥さんの気持ちを、その望みを、聞こうとしたことはあったか?」
妻の望み……それはいつも、レオンに愛する人が早く現れることを願うだとか、いつでも離縁に応じるからそのときは気にせずに言って欲しいだとか、あるいはまだ家に置いてくれるならば目立たぬように暮らしたいだとか、何もしないでいるのは悪いから侍女たちのように働かせてくれないか、といったように……どれも到底レオンには認められる願いではなかった。
だからレオンはなるべく聞かぬようにして、自分の気持ちばかり押し付けてきたのだ。
そうすれば、妻もいずれ、レオンが望む形の願いを口にするに違いないと。
それは結局、妻の意志を蔑ろにしてきたことと同義ではないか。
一瞬レオンの体がぶるりと震えた。
男はここで満足したように頷くと、突然話題を変えてくるのだった。
「つい先日、とある子爵家から、爵位返上と領地返還の願い出があった」
レオンの顔付きが一瞬で厳しいものに変わった。
「まさか、あの男は本当に……いや、待て。子爵家が知っていたとすると話が変わってくるぞ」
「その辺も奥さんに早急に聞いておいて欲しいのだよ。期限は二か月」
「二か月だと?」
「それだけあれば十分だろう?ちょうど二月後に恒例の晩餐会が開かれるではないか。もちろんさすがに晩餐会の場を汚されたくはないから、その後にどうかと思ってね」
「待ってくれ。それは──」
男は制止しようと焦るレオンを無視し、淡々と命じるのだった。
「君には奥さんと一緒に夜会に出て貰うよ。君のことだから、晩餐会が終わったらさっさと帰るつもりだっただろうけれどね。え?晩餐会にも奥さんを連れて行く気がなかった?愚かだなぁ、君も。そういうことだよ」
「勝手なことを言うな。この件は妻の知らぬところで済ませるためにもお前には──」
「レオン、これは決定事項だ。反論は認めないよ。彼女はどうしてもその場に必要だからね」
当然レオンはしばらく抵抗を示し、男を説得しようと試みたが、これは失敗に終わった。
その後、男はとてもすっきりとした顔で公爵家を出ていく。
食事でもと誘ってくれていいのだよ。
と男は去る前に玄関で再三願望を口にしていたが、レオンは悉くこれを突っ撥ねてやった。
こちらの要望を聞き入れてくれるならば、考えてやらんことはないぞ。
何?それは無理だ?ならばさっさと帰れ。
ただでさえ今日は妻との時間が減っているのだぞ。早く帰ってくれ!
けらけらと笑う男を追い出すようにして見送ると、レオンは妻の元へと駆けて行く。
とにかく今は、妻の顔を見て、その妻の手を取り、騒ぐ心を落ち着かせたいレオンだった。




