忙しない旦那様
「そんなに食い付いてくるとは思わなかったな。まぁ、いいや……。奥さんにはさ、自己を肯定する力が足りていないと思わないか?」
男が前半顔を引き攣らせつつ問い掛けると、レオンは微妙な反応を示すのだった。
「自己を肯定……どういうことだ?」
「反対の言葉で聞いた方が良かったかな。自己を否定、つまり奥さんは自分という存在を認められていないということだよ。私なんか、と常日頃から繰り返し言っているのだろう?そういう言葉も、自分を否定していなければ出て来ないものなのではないかな?」
「確かにな……自己否定か」
「僕はね、だからこそ彼女は君の愛を受け止められないのではないかと思ったんだ。君の話を聞くに、自分には愛される価値がないと信じているように感じられてね」
レオンは目を閉じしばし思案して、目を見開くとまた尋ねる。
「以前は確かに、俺も愛を伝えられては来なかったから、自分が愛される存在だと思えなかったかもしれん。しかしここ最近は、どれだけ愛しているかをまめに伝えるようになったし、俺がこれを続けていけば自分には愛される価値があると信じられるように妻も変わっていくのではないか?」
自分のしていることは正しかった。
とレオンは肯定されたかったのかもしれない。
だが男は言った。
「うわぁ。真剣な顔で気持ち悪……そう睨まないで。本気で睨むのは辞めて。泣きたくなるから。コホン。とにかくさ、今のままでは奥さんは変わらないと思うのだよ」
期待通りの言葉が返って来なかったことで、レオンはつい怒りを覚えた。
「なんだと?俺のしていることは無意味だと言いたいのか?」
「そうは言わないさ。まぁ、落ち着いて。コホコホ。僕が言いたいのは、根本的な原因を解消しなければ、いくらレオンがその気持ち悪……心からの愛を伝えたとして。受け取る気がない人からすれば、それは世間話と変わらない程度のものになるのではないかと思ってね」
日々の努力を否定されたレオンは、がっくりと肩を落とし、項垂れた。
元より妻には毎日拒絶されているようなものなのだけれど。
他人からの指摘というものは、心にまた違う痛みを与えるものである。
「そこまで落ち込まないでよ、レオン。今日の君は忙しないな。まだ話の途中だから、顔を上げておくれ。奥さんがどうしてそこまで自分に価値がないと思ってしまったかという問題なのだけれど」
「その元凶ならば、伯爵家にあろうが」
がばっと顔を上げたレオンは今までとはがらりと声色を変え、低い声で唸るように言った。
男は一瞬怯んだ様子を見せるも、またコホンと咳をしてから、こちらも声色を変えてくる。
「さて、そこで大事なお話ですよ。レオン君」
「なんだ、急……」
また一口紅茶を飲んだあとに、もう菓子には手を伸ばさず、男はにこりと微笑んだ。
その笑顔が先までと質を変えてきたことで、レオンも途中で言葉を止めて、真剣な顔を見せては男と向き合う。
「君の結婚後に一斉に退職した彼らの証言が大分おかしいことは、君もよく分かっているね?」
「分かっている。だから今は調査を継続し、再雇用に関しても保留にしているのだ」
「それで、その調査はいつ終わりそうなのかな?」
「……すまない。手荒い真似をせずに済ませようと甘いことを考えた」
伯爵家にも妻を想う人間がいたことは、今のレオンにとっては感謝しかなく、頭の上がらない存在だった。
だから調査においても、彼らを丁重に扱いたいとレオンは考えていたのだ。
しかしながら、彼らの証言には矛盾点があり過ぎることも事実。
オリヴィアを想ってくれていたのに、何故問題を放置し続けたのか。
レオンか、あるいはもっと別の、たとえば目の前の男がいるような機関に、問題を訴え出てくれてさえいれば。
オリヴィアはもっと早く救われて、このように苦しまなかったかもしれない。
そうすれば、男が先に言った自己肯定感とやらも、妻は失わずに済んだであろう。
彼らがこれからも真実を語ってくれないのであれば、レオンは嫌でももっと厳しい聴取を行わなければならない。
問題を起こした侍女たちのように……。
だがもう少しと、レオンは粘っているところだった。
それはレオンの甘さでしかない。
「僕は彼らのことよりもね、もっとも優先されるべき聞き取り相手がいると思うのだよ。そちらに聞けば、色々なことが見えてくるのではないかな?」
レオンは押し黙った。
それでも男は言う。
「ねぇ、レオン。今回の件に関して、まだ話を聞いていない重要人物がいるでしょう?」
レオンは答えられない。




