冗談が通じない旦那様
急に向けられた冷えた視線にレオンは動揺こそしなかったが、どうしたかと眉を顰めた。
すると男は何やら言いにくそうにレオンから視線を逸らして語り出す。
「なぁ、レオン。僕は自分が博愛主義者だと今の今まで信じてきたが、どうやらそれは間違っていたようでね。いくら僕でもレオンのことはどうしてもその対象として見られないようだ。さらに言うと、確かに僕は幅広く愛するタイプではあるけれど、君の望むような特殊な嗜好に合わせることも困難なようでね」
「…………一体何の話をしている?」
大きくかぶりを振った男は、「これだからねぇ。せっかく合わせてやった冗談も通じやしないとは」と呆れたように呟いたが、レオンはなお自信たっぷりにこの男にも宣言するのだった。
「俺は自己の改革に邁進しているところなのだ。悪いところは早々に聞いておくに限るだろう?」
「はぁ。それは素晴らしい心掛けだね。奥さんはさぞ大変なことだろう」
妻が大変とは聞き捨てならんと、レオンは憤る。
「何をっ。俺が良く変われば、妻も喜ぶはずだ!」
「そう信じている君から聞いた話でも、困らせているようにしか聞こえなかったけれど?」
「ぐっ……それについては何も言うな!」
「さっきと言っていることが変わっているよ」
「それはそれ、これはこれだ!」
「はぁ。そんなことだから奥さんにも本気にして貰えないのだよ。発言は一貫して責任を持たないと。ころころ意見を変える男の言葉なんて、誰が信じると言うのだい?」
「ぐぅっ……」
男は今度も軽く笑うに留め、またテーブルの上の菓子へと手を伸ばした。
朝から延々と菓子ばかり食べ続けているように見えるが、その胃はどうなっているのか。
「まぁ、そう落ち込まず。菓子でもどうだい?」
「自分が用意したように言うな。お前の家のように振る舞うのは辞めろ」
「まぁまぁ。ところで君に聞きたいことがあったのだよ」
今度こそ真面なことを聞かれるとレオンは信じた。
そのためにこの男はやって来たはずで、レオンは身構えたというのに。
「実は先からずっと気になっていてね。いつも美味しいけれど、今日の菓子は格別なのだよ。もしかして奥さんのために、腕のいい菓子職人をどこかの店から引き抜いてきたのかい?」
なんだ、それは……。
気の抜けたレオンだったが、すぐにそれは妙案だと頷いた。
「その手があったか。至急検討……いや、それも彼らと相談してからがいいな。彼らのやる気をここで削いでしまっては、また失策となろう。だが彼らならばこそ、その道の専門家を招くことで奮起しては切磋琢磨することになり、結果としてオリヴィアも喜ぶ……これはよく話し合って一人一人の意見を……」
ぶつぶつと呟くレオンは無視し、男も勝手に言葉を重ねた。
「なんだ、違ったのか。となると、いつもの料理人たちが腕を上げたと。素晴らしいけれど、酷いなぁ。僕のためには何にもしてくれなかったのにさ」
考え込んでいたレオンが、男に躊躇いもなく蔑視を向けた。
それだけ仲が良いのだと捉えることも出来るが、これはあまりに……。
「何故、お前のために我が家の料理人たちが腕を上げねばならんのだ」
「何故って、君と僕との仲ではないか。大事なご主人様の、大事な僕、となればさ」
また説教でもしてやろうかと、レオンが考えていたときである。
「料理人たちも頑張ってしまうほどの君の奥さんもねぇ。勿体ないよなぁ。周りから与えられるすべてを、素直に受け取れないなんてね。聞くところ、自己肯定感というものをまったく持っていないようだ」
男が急に助言めいたことを言い出したから、レオンは眉をぴくりと上げて強い反応を示した。
「自己肯定感だと?」
男が悠然と頷くと、レオンはテーブルに手を付き身を乗り出すようにして仔細聞かせろと乞う。
そこで男がソファーの背もたれに背中をどっしりと預けたのは、師となるべく尊大な態度を示すためでもなんでもなく、間にあるテーブルを越えて飛び掛かってくる勢いをレオンから感じたためである。
それはただの自己防衛であった。




