無自覚に虜にしていく奥様
近頃よく邸内を移動するようになったオリヴィアは、その日増しに磨かれていく美しさだけでなく、この公爵夫人らしからぬ言動によって、多くの使用人たちの心を奪っている。
まさに今のように。
掴まらなかった空いた手でしきりに頬を掻きながら、それくらいでは到底誤魔化せないほどに、庭師の男はその顔に嬉しさを滲ませた。
「奥様にお褒め頂けるなんて。庭師冥利に尽きるというものです。これからもいい庭を提供できるように頑張ります」
「無理はなさらないでくださいね。あの、お手に何か……」
オリヴィアが振り返り見詰めるだけで、その意図はすみやかに侍女長へと伝わっていた。
「庭師たちにもハンドクリームを早急に支給するよう手配しておきます。ですので、そろそろお手を」
「あっ。ごめんなさい。私なんかに触れられては嫌でしょうに。勝手に触ってしまいまして申し訳ありません」
侍女長は失敗したと思い悩み、庭師の男は酷く慌てた。
「いえいえ。奥様に私なんぞの手を気に掛けて頂けるなんて、これほどに嬉しいことは御座いませんよ!」
「そんな。気遣わなくてよろしいのですよ?私なんかが気安く触れてしまいまして、本当に申し訳なく」
「いえいえいえいえ。本当に嬉しかったのです。こちらこそ、こんな汚い手に触れて頂きましてお詫びをせねば」
これは永遠に続きそうだと察した侍女長は提案する。
「奥様。急なご無理はいけませんし、一度休憩といたしませんか?今日も奥様に是非ともご試食頂きたいと厨房の者たちからお菓子を預かっておりまして。お茶もご用意いたしますので、よろしければご移動を」
「まぁ、そうなのですね。では、ご一緒に──」
侍女長の目線から感じる圧を、今度こそ受け取った庭師は、オリヴィアが言い終える前に「申し訳ないのですが、実はまだ仕事が」と言い切った。
これは上手く対応出来たと達成感を覚えた庭師だったが。
「まぁ、お忙しいときに私なんかとお話をする時間を頂いてしまいまして、申し訳ありません。その上いつも寝ているばかりの私がさらに休憩を頂くなんて話を聞かせてしまい──」
「奥様。こちらの者にも、十分な休憩時間が御座います。ただその時間が決まっているので、ご一緒することは難しいだけです。そうですね?」
庭師はぶんぶんと首を縦に振ってこれに応えた。
「そうなのですね。私もそのように時間を決めて働くことが出来ましたら、少しはお役に──」
「奥様は休みなくお仕事をされているではありませんか。つい先は休憩と言ってしまいましたが、庭を見ることも、試食を行うことも、奥様にとって重要なお仕事のひとつには違いありません。奥様のお仕事は決められた時間通りとはいきませんが、そのどれもがこの公爵家にとって大変役立つお仕事でございますから、どうか時間のことは気にせず、これからもご協力を」
オリヴィアが頷き、「皆さまのお役に立てるように頑張ります」と笑みを零せば。
花壇に咲く華が一輪追加されたようだった。それも大輪として咲き誇る華が。
花を見慣れているはずの庭師は、しばし蕩けそうな顔をしてその華に見惚れては、呆けていたが。
「オリヴィア」
「ひっ」
怯えた声は、オリヴィアからではない。
見る間に青ざめていった庭師の男の顔は、声に振り向いたオリヴィアには見えていなかった。




