トレド子爵との別れ
次の日、ケルダード教会の司祭様から早馬が来て、私はケルダード教会に向かった。
教会には司祭様とリスト様がいた。
「司祭様、いえ。宰相様、今までありがとうございます。
リスト様も、ありがとうございました。
私からお願いがあります。
リスト様…いえ…クリストファー第二王子はご自身の希望する方と結婚して欲しいと思います。
だから私との婚約を解消してください」
と私はお願いをした。
「マリーナ。私は普段、クリストファー・トレドとして文官の仕事をしている。
名前を変えて、自分の将来の色々な可能性を探っていたんだ。
私は兄上と違ってあまり表立った活動は得意ではない。攻撃魔法なんて滅多に使わない。
色々な事をやってみた結果、後方支援や諜報活動が向いていたんだ。『トレド子爵』は誰からも警戒されずに活動ができてちょうどよかった。」
私は第二王子の話を黙って聞いた。
「だからいつものように任務をこなすだけのつもりで指示された通りアデレイド伯爵家に行ってマリーナに会った。
マリーナと話しているうちに凄くマリーナに惹かれたんだ。
困っているマリーナを助けたいと思って、兄上に指示を仰いだ。
あの時に手紙を送った相手は兄上だ。
そしてマリーナにあの3択の選択肢を伝えた。
でも、本当は兄上からの指示は2択だったんだ。
『1のガードナー国に嫁ぐか、2のこちらが選んだ貴族に嫁ぐ』か。
兄上の提示になかった『3の私と婚約する』はあの時の私の気持ちだ。
だから、私との婚約を選んでくれたのは嬉しかった。
これからも私の婚約者としていて欲しい」
リスト様は私の目を見ながら、手を取った。
「私でいいのですか?」
「マリーナがいい」
そう言うとリスト様は私を抱き上げて、頬にキスを落とした。
それから私を愛おしそうに見ると唇に軽く触れるような優しいキスをくれた。
…ファーストキス…
胸の奥がキュッと締め付けられるように熱くてリスト様の頬に額を寄せた。
オホン。
宰相様の咳払いで、二人きりではなかった事を思い出した…。
「続きは結婚後にお願いします。ここは教会ですからね。」
そう言われて、
「二人きりじゃない事をわすれていた…」
とリスト様は渋々私を下ろした。
「マリーナ嬢は、このままケルダード教会で奉仕活動をしませんか?
実はこの教会、隠し通路で王城に繋がっているのです。
だから、城で宰相として働いている私や、第二王子がこの教会に来れるのです。
今後も私はこの教会の司祭を続けます。
いずれマリーナ嬢にも外見を変えてもらう必要はありますが是非、続けて頂きたいです」
と司祭様は言うと、パチンと指を鳴らした。
すると恰幅の良い人好きのする白髪頭の司祭様が、がっちりした細身の髭の生えた厳かな雰囲気の宰相様に変わった。
「ひとつ残念なお知らせですが、『トレド子爵は国の任務の途中で死去した』と発表する事になりました。
トレド子爵が第二王子だったと公表する事はできませんから。
ですから、トレド子爵の上司であった第二王子から発表していただきます。
その発表の際、『空籍になったトレド子爵籍を第二王子が引き継ぎ、空籍を残さない』と発表してもらいます。
複数の貴族籍を所有している貴族は沢山いますから不思議な事ではありません。
表向きはトレド子爵の子爵籍を誰にも渡さない為です。
その後、第二王子とアデレイド伯爵令嬢の婚約を発表します。
よろしいですね?」
と宰相様は言った。
「今回の諜報活動でツユミム帝国にも『クリストファー・トレドは密偵だ』とバレてしまったから、もうトレド子爵としての活動はどちらにしろできない。
死亡の発表は致し方のない事だ。
あの不自然なくらい大きな顔の傷は、見る人の視線が全て傷に集まるから便利だったんだけどな」
とリスト様は言った。
「トレド君を失うのは私も残念です。
今回、トレド君の貴族籍を引き継いでもらうのは、教会に提出した婚約証明書との整合性のためです。
トレド子爵籍を引き継ぐ事によって、第二王子が正真正銘、『クリストファー・トレド』になるわけですからね。
だから、あの証明書に従って結婚は、婚約から1年以内にしないといけませんよ?
時間がありませんね」
宰相様はウインクをした。
リスト様は皇太子殿下の右腕として活動しており、今後も顔を変えて諜報活動を続ける予定だそうだ。
それに第二王子としての執務もこなすから忙しいのではないかと思う。
しかし、皇太子殿下も第一騎士団の騎士として身分を偽って業務をこなしているそうだ。
たしかに以前、ケルダード教会で2回お会いした。
リスト様と私が婚約したと聞き、婚約者である私を見に来たそうだ。
私という人間を見極める為に、一度目は私をランチに誘い。
2回目は、リスト様付きの侍女であるカーラに見つかって体良く追い返されたという事だ。
「貴族院に疑いもせずについて行った私が悪いのですが…貴族院でのあの時、よく私がどこに居るかわかりましたね。
指輪にそんな魔法も付与されているのですか?」
と聞くと
「どこにいるかは、そのネックレスでわかったんだ。
そのダイヤモンドは、魔石だよ。
マリーナが狙われているのはわかっていたから、急遽作らせたんだ。」
魔石といえば濁った色がほとんど。
普通の宝石にしか見えない魔石なんて珍しすぎる!
と、私はあの日からずっとつけているネックレスのペンダントトップを触った。
「マリーナが貴族院に行ったと連絡を受けた時、本当に焦ったよ。
まさかラナス侯爵に居場所がバレて貴族院に連れて行かれるとは思っていなかったんだ。
ラナス侯爵にバレたのは、ラナス侯爵は貴族院の職員達に、
『アデレイド伯爵令嬢と我が弟は、噂通りの仲だったが、弟が捨てられて今にも自殺しそうだからアデレイド伯爵令嬢に弟を説得して欲しいから、居場所を知らないか?』と聞いて回っていたそうだ。
貴族院の下働きの職員は下級貴族がほとんど。
その兄弟はどこかの上位貴族の使用人になっている。
その話を聞いた何も知らない者達がラナス侯爵に同情して、それぞれ家族に聞き、聞かれた者はラナス侯爵の弟君に同情して回答が集まったらしい。
貴族院の庭師見習いの者と、シラウト侯爵家の下働きの侍女が兄妹で、やはり同情して答えたらしい。」
と言われた。
「貴族院について行った私が悪いんです。
このネックレスのおかげで命拾いしました。
普通のネックレスに見えるので使いやすいですね」
と言うと
「王族は狙われやすいから、普通の装飾品に見える魔石を持ち歩くのが普通なんだ。
マリーナは大切な婚約者だからね」
リスト様の視線が熱い…
コホン。
宰相様の咳払いも気にならないくらい、リスト様は私の目を見つめて、右手の指にキスをした。
後日、改めて王弟殿下帰還の式典があった。
私とギルバートは、リスト様が最初に文官姿で持って来てくれた銀で作られたブローチをつけて参列した。
式典では、陞爵式を行った。
そして、皇太子殿下、第二王子、魔法省第四師団の功績として、ユミム帝国の侵略阻止の件が発表された。
私の事は意図的に伏せてもらった。
今回、拘束したツユミム帝国の諜報員は、ツユミム帝国の王族だった。
そのツユミム帝国の陰謀に加担していたラナス侯爵とロングウッド辺境伯は孤島にある監獄に入れられ、それぞれの家族は財産や地位など、ありとあらゆる物を没収され、国外追放になった。
首謀者は孤島の監獄から一生出られない。
そしてラナス侯爵家一族とロングウッド辺境伯家一族は財産没収と地位剥奪で国外追放。
罪に加担していない親族もいただろうが、これは一族の責任だから仕方がないと思う。
没収した資産は、貴族院の改修とあの戦闘で負傷した兵士への賠償に充てられる事になった。
領地は一旦、国の管轄となる事になり、ツユミム帝国との国境には以前の5倍の人数の国軍が常駐する事が決まった。
それとは別に、私とトレド子爵の殺人未遂で、ケレイド・ラナス侯爵子息と、ラナス前伯爵夫人が起訴された事が発表された。
お母様は、姉として育った前ラナス侯爵夫人の行動に悲しそうにしていた。
王都やアデレイド領に進軍してきた軍隊は、実際はほぼツユミム帝国の軍隊だったので、侵略行為としてツユミム帝国王族と共に国際法で裁いてもらうために国際裁判所に提訴したそうだ。
式典の後、しばらく私は喪に伏す事になった。
私はトレド子爵という婚約者と死別した事になっている。
死別したはずの婚約者は、毎日、御者に変装してアデレイド伯爵邸に来るけど…。
トレド子爵から御者の『ファー』と名乗る事にした第二王子は、私とカーラを乗せて毎日ケルダード教会に向かう。
表向きは、毎日トレド子爵の冥福を祈るためにケルダード教会に通っている事になっているが、実際は色々な教育を受ける為に隠し通路を使って王城に行く毎日だ。
喪に伏すのは、2ヶ月という事になった。
早過ぎない?と思ったけど、『トレド子爵は第二王子の腹心の部下であったため悲しみに暮れる第二王子』と『亡くなったトレド子爵の婚約者であるアデレイド侯爵令嬢』の組み合わせは、涙を誘う話に切り替えられ、好意的に受け止められた。
ゴシップ誌では、ケレイド・ラナス元侯爵子息が私を閉じ込めた件や、あの後に我が家に来たけど平民の恋人を馬車に匿っていた事や、ラナス家の色々な貴族に対する卑劣行為などが今になってゴシップ誌に沢山書かれるようになった。
『ケレイド・ラナス元侯爵子息の恋人は娼館の女王様で、普通の女性に興味はないのにアデレイド侯爵家の資産を狙って過去にマリーナ嬢を閉じ込めた』と書いてあるゴシップ誌もあった。
その他にも、ロングウッド辺境伯は先代の頃からツユミム帝国と手を組んでいたのではないかとか、ゴシップ誌には憶測の記事が飛び交った。
ありとあらゆる事が面白おかしくゴシップ誌に書かれた。
その中でトレド子爵はそんな私を救い、国を守るために勇敢に戦死した事になっていた。
私と第二王子の出会いも涙を誘う内容になっている…。
こんなにも出来すぎた話は、もしや宰相様の情報操作かもしれないと疑っている…。
トレド子爵のために喪に伏しているが、結婚の準備は着々と進んでいた。
第二王子妃なので、王妃になる事はないが、第二王子とはスペアの立場である。
そのため妃教育は急ピッチで進んでいた。
王妃教育は外国語や教養が中心だが、大半はカルメン女学院で教わった内容だった。
教育係の先生は
「さすがカルメン女学院を卒業しただけあります。教えることは捕捉程度で済みます」
と王妃様に報告が入ったようだが、教育内容は多岐にわたるため、毎日忙しい。
学院の内容になかった魔法の授業は、カーラが講師でみっちり叩き込まれた。
「マリーナ様は、護身術と間違えて相手を氷漬けにしちゃいますからね。
今から頑張らないといけませんよ!」
と言われた…。
それからベスは今の社交界の勢力図や、暗黙のマナーなどを教える講師として側にいる。
カーラもベスも厳しい。さすが親子だわ…。
そんなある日、まだお会いしていなかったリスト様のお姉様お二人にお会いする事になった。
リスト様は4人兄弟で、お姉様→お姉様→お兄様(皇太子殿下)→リスト様(第二王子)
の兄弟なのだ。
上のお姉様であるハンナ王女様は、ガードナー国の皇太子殿下に嫁いでおり、今回は文化交流として使節団を伴って帰国された。
そういえば、お輿入れのパレードを家族で見に行った。
綺麗なドレスを着て、オープンタイプの馬車に乗り、沿道に向かって手を振るプリンセスは女の子の憧れの的だった。
お忙しい中で面会のお時間を頂いたが、小柄で可愛らしい方だった。
「ウチの末っ子をお願いね。
わがままに育ったでしょ?王族なのに、人前に出たくないとか言って、諜報員もどきをしているんだから。」
と儚げな見た目からは想像がつかないくらい、辛口な方だった。
そして、下のお姉様であるリサリー王女様は、シラウト侯爵夫人であるリサ様だった!
シラウト侯爵とリサ様は、留学先で知り合い、そのまま結婚したそうだ。
当時、下級貴族に嫁いだプリンセス、とか、格差婚プリンセスとか言われたはずだけど…。
どなたに嫁いだかは知らなかった。
その事をリスト様にそっと聞いた。
結婚当時、ニュートン・シラウト様は僻地に小さな領地を持つブロシュ男爵家の嫡男で、昔は、ニュートン・ブロシュ男爵令息だったそうだ。
ブロシュ男爵家は後ろ盾もなく、資金力も乏しかったが息子であるニュートン様は優秀で、たまたまシラウト侯爵の目に留まり留学資金を出してもらい留学したそうだ。
リサ様と結婚を決めた頃、ニュートン様の頭の良さや人間性が評価されて後継のいなかったシラウト侯爵家の養子となったそうだ。
シラウト侯爵家の養子になった事はあまり知られていない。それは、ずっとお仕事で海外にて、去年帰国したからだそうだ。
だから、リサ様が王女様だって知らない貴族が多い。
その理由の一つに、この国の王族は誘拐防止のため、デビュタントを終えるまで身分を隠して普通の貴族の子供のようにして育つ。
名前だけは産まれた時に発表されているので、王族の方の名前しか知らない。
ずっと留学していたリサ様はデビュタント前に結婚して王族ではなくなったので、お顔が知られていなかった。
「マリーナ様。これからは、義姉として仲良くしてね」
とかなりお腹が大きくなったリサ様に抱きしめられて、嬉しくなった。
御者と書くべきところを、何故か馬蹄と書いていました。
すいません、訂正いたしました。