めでたしめでたし、さあそれから……(三十と一夜の短篇第56回)
サクくんがけがをした。サッカークラブの練習で、足首をひどくひねっちゃったんだって。
学校の前までは車で連れてきてもらったから、って松葉杖をついてひょこひょこ歩くサクくんに肩を貸して、三年生の教室に入る。同じくらいの身長でよかった。
「何それどうしたの?」
「痛そう!」
「だいじょうぶ?」
教室に入ると、わっと駆け寄ったクラスのみんなが心配そうに声をかけてる。ぼくはずっとそばで支えてあげたかったけど、集まってきたひとが多くて押し流されてしまった。
サクくんはみんなに囲まれて、杖に寄りかかって立っている。
(ひとりで立ってられるかな。足、痛くないかな)
教室のすみでそわそわしながらサクくんを見ていたら、誰かが言った。
「サクの足がそんなんじゃ、来週の劇どうすんだよ」
どきん、と鳴った胸の音が、誰かに聞こえなかっただろうか。
きょろきょろ見回してみるけど、誰とも目が合わなくてほっとした。みんなサクくんを見てる。
「来週までには治るんじゃない?」
「サクならそれくらい、平気だよな!」
「今だって歩いてきたんだし」
明るく言う声に、サクくんは黙ってうつむいたまま。何も答えないサクくんを見て、みんながだんだん静かになる。
とうとう教室がしんとしたとき、サクくんがぽつりと言った。
「三週間は動かすな、だって」
うつむいたサクくんの顔は見えない。泣いてないだろうか、気になってそわそわしていたら、大きな音がわん、と耳に飛び込んだ。
「そんな! じゃあ劇できないの?」
「サクが主役なのに!」
「側転できなかったら、一番かっこいいシーンが台無しだよ!」
「うちのクラスで側転できるのサクくんだけなのに!」
クラスのみんなが好き勝手に騒ぐなか、黙っていたサクくんがそろりと顔をあげた。くちをへの字にして、誰とも目を合わさないようにきょろきょろしたサクくんと、目があった。
どきん、と胸が鳴る。
「ルイト、側転できるよな」
サクくんの静かな声に最初に答えたのは、ぼくじゃなかった。
「えっ! そうなの?」
ミヒロちゃんが大きな声をあげると、みんなが「知らなかった!」「そういえばルイトくん、体育とくいだよね」「えー、やってるの見たことない!」と騒ぎながらぼくを見てる。
「ねえ、できるの?」
ずいっと近寄ってきたミヒロちゃんの後ろには、クラスのみんなが立っていた。
「あ……あの……あの」
たくさんの目にじっと見つめられて、ことばがのどにつまる。くちから出てこない。
いつもそうだ。緊張すると何をしゃべったらいいかわからなくて、だまってしまう。そのうちしゃべれるようになるよ、ってお母さんもお父さんも言うけど、三年生になってもまだだめだ。
(ぼくはやっぱりだめなんだ……)
うつむいたぼくは、急に手を握られてびっくりした。片足立ちしたサクくんがぼくの手を握ってる。
「ルイト、まだできるだろ? いっしょに練習したんだもんな。たのむよ」
「あ……」
そうだよ、ふたりで練習したんだ。サクくんがまだサッカークラブに入ってない低学年のとき。テレビのヒーローの真似して、お互いの家で練習したんだ。
劇の練習でサクくんが側転を決めるたび、ちらっとぼくを見てこっそり笑顔を見せてくれるのがうれしくて、家で練習続けてるから、ぼくもできる。
(できるよ)
サクくんの目を見ながら、ほんのすこしうなずいた。
ぱっと明るくなったサクくんの顔につられて笑ったとき。
「ほんとに出来んの?」
誰かが言って、みんなが不安そうにぼくを見る。
「う、あ……」
うん、できるよ。そう言いたいのに、たくさんの目に見つめられて声が出ない。くちはパクパク動くのに、しゃべれない。
そのせいでみんなの顔がどんどん不安そうになっていって、それでぼくはまた余計にしゃべれなくなって。
「はーい、席ついて。朝の会はじめまーす」
急に聞こえた先生の声に、びくっとなった。
「せんせー、サクが」
「ああ、聞いてます。そのことも話し合わなきゃいけないから、はやく席に座ってください」
先生に言われて、みんな何か言いたそうにしながらも席につく。サクくんも松葉杖をつきながら自分の席に座ったから、ぼくは杖を受け取って後ろのロッカーに立てかける。「ありがと」サクくんのちいさな声を聞きながら席に向かった。
「はい。じゃあ日直のヒナギクさん、あいさつをお願いします」
先生に言われて朝のあいさつを済ませると、着席したみんなが静かに先生を見上げた。
「もう見てるからわかると思うけど、サクさんが怪我をしました。安静に……ゆっくり休めば、三週間くらいで治るそうです。その間、サクくんが困っていたらみなさん、手助けしてあげてください。さっきのルイトさんみたいに、ね」
うんうん、と聞いていたら急に名前を呼ばれてびっくりした。先生とみんながぼくに顔を向けてくるから、余計に身体ががちがちになる。
「はい、先生!」
「はい、ミヒロさん」
だから、ミヒロちゃんが手をあげてみんながそっちを向いて、ほっとした。でもほっとできたのは、ほんのちょっとの間だけ。
「手伝うのはいいけど、サクくんが怪我したから劇で主役ができません。だって側転できないから。そしたら、主役はルイトくんに交代ですか?」
「ルイトさんに?」
名前を呼ばれてどきっとして顔をあげたら、ふしぎそうな先生と目があった。びっくりしてうつむいた耳にミヒロちゃんの声だけが聞こえる。
「ルイトくん側転できる、って。サクくんが」
「へえ、それは知らなかったな」
先生のおどろいたような声に応えたのはサクくんだった。
「ほんとだよ、先生。ルイトとおれ、去年いっしょに練習したんだから」
「そうなんですね。ルイトさん、今もできますか?」
「え」
急に言われて、思わず立ってしまった。今? 今ここですればいいのかな。
周りをきょろきょろ見回してみるけど、すこし狭いかもしれない。教室のいちばん後ろに行けば……。
「あ、今やってほしいんじゃなくて。今もまだできますか、という意味です」
「え」
先生の声に顔をあげたら、たくさんの目がぼくを見てたことに気がついた。
途端に顔が熱くなる。
どうして気づかなかったんだろう。それより、なんでいきなり側転しようとしたんだろう。こんなところで急に見せるよう言われるわけないのに。
「わかりにくかったですね、ごめんなさい。できるなら大丈夫です。座ってください」
「あ、は、はぃ……」
言われるまま座って、いすの上で背中を丸める。ちいさくなって見えなくなってしまえばいいのに。目立ちたくなんてないのに背ばっかりひょろひょろ伸びて、クラスのみんなに隠れることもできない。
「それでは、今日の朝の会では来週の劇のことについて話したいと思います。具体的に言うと、サクさんは怪我で激しい運動ができないので、どうしましょうということです。それじゃあ、劇の監督もやってることだし、ヒナギクさんに司会をお願いします」
「はい」
ぼくががんばってちいさくなろうとしているうちに、ヒナギクちゃんが黒板の前に立っていた。先生は窓際に下がって、椅子に座っている。
「ええと、劇のことどうしたらいいと思いますか。役とか関係なく、意見があるひとは手をあげてしゃべってください」
ヒナギクちゃんが言うと、教室のなかがざわっとなってあちこちで手が上がる。
「じゃあ、ミヒロちゃん」
「はい! ルイトくんと交代したらいいと思います! 鳥のパネル動かすのなら、端っこに座っててもできるし」
いちばん手をあげるのが早かったミヒロちゃんは、名前を呼ばれてすぐに立ち上がりはきはきしゃべる。背は高くないけど、背中がぴんと伸びててかっこいい。それに言ってることも賛成できて、ぼくは思わずうんうん頷いてしまう。
鳥の役は確かに座ってやるから、怪我したサクくんにもできる。それにセリフもないから、かんたんだ。
「えー、でもそしたらルイト、今からセリフ全部覚えるの? 大変じゃね?」
「意見があるひとは手をあげてしゃべってください。でも、確かに大変そう。一週間しかないし。代役は難しいかなあ」
うんうん頷いていたぼくは誰かの声と、それにうなずくヒナギクちゃんの声ではっとした。
そうだ。サクくんは主役だから一番セリフが多くて、練習のたび覚えるのたいへんそうだな、って思っていたんだ。そんな役を交代したら、ぼくが舞台に立つの? 立って、しゃべるの? みんなが見てるところで、サクくんみたいに胸を張って立つってこと?
「……! ……!」
無理! 無理! そんなのぜったい無理!
座ったままぶんぶん首を振って念じるけれど、ヒナギクちゃんは次のひとを指名して気づいてくれない。
「はい。側転なしにしたら?」
「側転なし、と。不測の事態に台本を変更するのはアリだと思う。うん」
ヒナギクちゃんがぶつぶつ言いながら黒板に出た意見を書いているあいだに、教室がざわざわしはじめた。
「えー! だってあれが一番かっこいいとこだぞ。敵をやっつける見せ場なのに」
「できないものは仕方ないよ。今からセリフ覚えるのも練習するのも大変だしさ」
「たしかに。おれむり」
「あんたは側転もできないんだから、たのまれないでしょ」
「ていうか、ルイトくん主役やりたいの?」
さわがしい教室で、ミヒロちゃんの声はどうしてかはっきり聞き取れた。
たぶん、クラスのみんなにも聞こえんだと思う。好き勝手しゃべってた声がだんだん止んで、静かになった。
「そうだね、そこ聞いてなかった。役者の気持ちを確認するのは監督の仕事。ルイトくん、どうですか?」
『主役交代』『側転なし』と書かれた黒板の前に立ったヒナギクちゃんに聞かれて、ぼくはくちを開けた。
舞台に立つのはこわい。みんなに見られるのはすごく緊張するし、きっとうまくしゃべれない。
でも、サクくんに頼られてうれしかった。サクくんが困ってるなら側転くらいいくらだってしたい。でも、主役は……。
くちは開けたけど、声が出ない。
いいや、ことばが出ない。
こわい、緊張する、ぼくには無理、でも助けたい。でもどうしたら……。
くちをぱくぱく動かすけどやっぱり声は出て来なくて、ぼくはだんだんうつむいてしまった。
しんとした教室がこわい。しゃべらなきゃ。しゃべらなきゃと思うほどに、声が出なくなる。ことばが胸でつまる。
「んー、それじゃあ、サクくんはどうですか」
「おれ?」
考えすぎてまっしろになった頭に聞こえるのは、ヒナギクちゃんとサクくんの声だ。
「そう。怪我しちゃったのは置いといて、主役やりたい? それとも他のひとと代わってもらいたい? わたしが応援してる役者さんは、這ってでも出るって言っていたけれど」
「這ってまでは……でも」
でも、のあとになんて続くのか。
聞きたくて、じぶんの考えがまとまらないことなんて忘れて耳をすます。
「でも、ほんとは主役やりたい。せっかく練習してきたのに、出られないなんて……くやしい」
しぼり出すようなサクくんの声に、胸が苦しくなった。
だって、サクくん楽しみにしてたもん。サッカーの練習で忙しいのに劇の練習もがんばって。セリフが多くて覚えられない、って休みの日にぼくに台本を持たせて練習してた。
どうしたらいいんだろう。
サクくんは主役をやりたいんだ。でも怪我のせいで完ぺきにはできない。
どうしたらいいんだろう。どうしたら。
「そっ! 側転だけなら、やれます」
声がひっくり返った。恥ずかしい。けど、どうにか言えた。
どんどん声がちいさくなっていっておしまいのほうはほとんど音にならなかったけど、でも、ちゃんと聞こえたみたい。
「側転だけ? 側転だけ……それ、いいかも!」
うれしそうに笑うヒナギクちゃんに、ぼくとサクくんは顔を見合わせた。どういうこと?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「めでたし、めでたし」
ナレーション役の子が言うのを聞きながら、一度降りた幕がまた上がっていくのを見送る。
ぼくは松葉杖をついたサクくんといっしょに、一列に並んだみんなの真ん中に立った。
「怪獣役のミヒロさんです」
名前を呼ばれたひとから一歩前に出て、体育館のステージの下に座るほかの学年のひとたちに頭を下げる。
一週間前の話し合いのとき、ヒナギクちゃんが言い出したことだった。
順に役と名前を呼ばれていく。両端から交互にそれぞれあいさつをしていって、とうとう順番が回ってきた。
「主役のサクさんと、側転で怪獣を倒したルイトさんです!」
ひょこり、と杖をついて前に出るサクくんの足元を見ながら、ぼくもそろりと前に出た。
こわい。顔をあげたらたくさんの目がこっちを向いてるんだと思うと、こわくて足が震える。
劇の最中は出番を間違えないようにって緊張していたし、側転をするときも失敗しないことばかり気にしていたから、忘れてた。
今日の劇は、全校児童が見てるんだ。
はやく頭を下げてそのまま後ろに下がりたい。
「な、上見てみろよ」
どきどきし過ぎて苦しくなったぼくに、サクくんがささやいた。
うえ?
急なことばに言われるまま顔をあげかけて、たくさんのひとに見られてるのを思い出してあわててもっと上を向いた。
「あ……」
広い。側転をしたときはいっしょうけんめいで気づかなかったけど、ステージから見える景色は広かった。
視線とぶつかるのがこわくて体育館の壁にあるバスケのゴールを見つめていたけど、広い体育館を埋めるほどのひとがそろってこっちを向いてることに、体がぶるっと震えた。
つん、とサクくんにつつかれて慌てて一歩下がると、ナレーション役の子が「それでは、ありがとうございました!」と言ってもういちど幕が降りてくる。わっと広がる拍手の音にまた体が震えた。
すうっと暗くなるステージで動けずにいると、サクくんがとなりでにっと笑う。
「楽しかったな」
「う……うん。ドキドキするけど、でも……うん」
楽しかった。
ヒナギクちゃんの母御がヅカファンと決まってから何かが起きました。書き始めはこうじゃなかったはずなのに……。