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現実②-武器を手に取って

 「漫画か?」


 電車男の真実を全て説明したところで、耐え切れなくなって北田は尋ねてきた。もう富士そばは出て、近くの雰囲気がおしゃれなカフェに赴いていた。マスターの髭面がアキバというより原宿か渋谷って感じだった。こんなお店が出店しているのだから、アキバはもう昔のアキバではないのだ。まあ紅茶がおいしいから何でもいいが。


「残念ながら、現実だ」


「信じられない。本当に信じられない。何よりも信じられないのは、その時のお前がリア充の集いに顔を出していたことだ」


「失礼な。僕にもそんな時期があったんだぞ。ってかさっき、信じるって言っておいて全然信じている顔をしていないんだけど」


「そりゃ、マジだと思ってなかったからな」


 北田はコーヒーを啜っていた。今日は少し会って話すくらいで解散しようと思っていたのに、こんな風にブラックコーヒーを啜っていていいのだろうかと思ったが、北田の顔はそこまで困っていなかった。


「今でも全く信じていない」


「そうかい」


「でも、安藤が嘘をつくメリットもなければ、メリットのない嘘をつく人間だとも思っていない」


 北田は恥ずかしげもなくそう言った。僕はそんな言葉をかけられるとも思っていなかったので、目を丸くしてしまった。そんなにも評価されるほど、僕は彼を助けたことはあっただろうか。


「僕は北田をどこかで助けたのか?」


「人命救助ならされたことないな」


「前世で相棒となってチート能力で無双しまくったり」


「流行りのなろう系かな?ってか、そんな大げさなことがなくてもわかるだろ?俺に対して嘘をつく客観的メリットなんて一切ない。あるとしたら一時の名誉欲を充足だけど、そんなことをするなら一番電車男が流行っていた2005年に言い出しているはずだ。今言い出す必要なんてない。それに、そんな無駄なことをするのは安藤じゃない。もう十数年の付き合いだ。それくらいわかるさ」


「ずいぶんな買い被りだな」


「買い被りでもなんでもねえよ。人間に対する正当な性格判断能力があれば、それくらいわかる。目の前の人間よりもネットの海にあげればより承認欲求を満たせるんだからな」


 とここまで語って北田はすっとコーヒーを飲んだ。そしてカップを置いたら、少しため息をついていた。


「ただ、信じられないだけだ」


「だろうな」


 僕も紅茶を口にした。


「聞きたいことはたくさんあるけど、敢えて聞かないでおこうかな。どうしてこれまで名乗ってこなかったのかとか、これまで友人にすら公表してこなかったのかとか」


「先に言っておくが電車男のことを最初に話したのはお前だ。自ら話したのは、北田が最初だ」


「ほう、それはありがたい」


 そして深く腰掛けた北田は、スマホを弄り始めた。少しだけ薄くなった頭以外は、大学時代と変わらない雰囲気。昔から僕北田鈴木の中で一番リア充軍団とコミュニケーションが取れていた。そんなバランス感覚に秀でている彼があまりにも頼もしくて、不意に涙が出そうなくらいだった。


「ほーら、もうテレビに取り上げられるらしいぞ」


 北田はTwitterの画面を見せてきた。とある報道局が、彼のことを紹介したいとリプライを飛ばしていた。大手放送局の朝番組である。偽電車男はそれに対して、DMにてお話しますと答えていた。完全に自分が電車男であるかのように振舞っていた。


「放送局もフットワーク軽いな」


「それが利点だからな。もっとフットワークの軽いネット社会はこんなもんよ」


 そうして見せてくれたGoogleの検索結果は、YouTubeの投降者たちが議論をしていたり、まとめサイトでセンセーショナルな見出しがついていたり、ネットオンリーの記事が早速取り上げていたり……


「どうだ?宣言から半日と少しでこのありさまよ」


「ついてけねえよネット社会の速さには」


「ネット老人は言うことが違うねえ」


「言い返せねえから仕方ない」


 そう言って笑ってはみたが、気分の良いものではなかった。自分を騙っている人間が居るのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。僕だって別に、承認欲求を満たしたいわけではない。自分が電車男として、この世の人間から賞賛を受けたいわけではない。褒章なんていらないし、報道なんていらない。でも、それが他人にわたるのであれば、嫌がるのもわかるだろう。自分の手柄を取られたような、それでもって自分の暗部を暴露し続けるような、そんな汚い姿を綺麗にファンデーションすることへの嫌悪感。


「なあ、言い返そうぜ」


 ふと、北田はそう言った。僕はきょとんとして顔をしていた。


「おいおいおい、びっくりしてんじゃねえか」


「いやいきなり言われたらこんな顔にもなるだろ」


「なんで驚くんだよ。言ってやればいいじゃねえか。自分が本当の電車男ですって」


「そんなこと書いて誰が信用するんだよ。もう昔の話だぞ?んなこと言ったって……」


「御託じゃなくてさ、痛い目を見てほしいんだよ。完全に感情論の話。自分の手柄じゃないのに、他人から手柄を取る奴。まあ、自分みたいに営業職にいると、そんなことする馬鹿野郎なんていくらでもいるんだけどさ」


 北田は正直な思いを吐露した。


「間違っている奴には間違っていると指摘したい。あくどい奴にはあくどいと喧伝したい。人の道理に外れたものには、それに見合った罰が与えられてほしい。人類共通の願いだろ?間違いを間違いといえるのが現代社会の良いところなんだから」


「そっか……」


 正直な意見だ。多分目の前にいるのが僕でなくても、同じことを言ったいたのだろう。だからこそ嬉しい。


「だとしたら、どうしよう。テレビ局に電話とかしてみるか?僕が本当の電車男だって」


「お前は昭和の人間か?テレビ局に電話しても愉快犯って言われて終わるぞ」


「いやでも掲示板に書いたら余計そう言われるだろう?」


「そりゃあな、掲示板の住民なんて証拠うpしても信じてくれない奴らだからな」


 僕がネットに疎くなったのは、スマホが完全に普及したころからだっただろうか。それまでは掲示板とかVIPとかいろんなところに顔を出してきたが、SNSの時代になっても掲示板時代からずっと続けてきた世界にいて、抜け出そうとはしなかった。


「今時どこに書いたってそういわれる」


「悲しいなあ。まあ仕方ないけど」


 どたどたと階段を上る音が聞こえてきた。


「だから、Twitterで反論しようぜ。そこで本人に直接言ってやれよ。お前が電車男なんだって……」


「あー!!!安藤主任だあ!!!」


 背後から自分の名前を呼ばれたので、流石に自分関係ないだろと思ってスルーしようとしてしまった。しかしながら背後から肩を叩かれた瞬間に、自分のことなんだと絶望した。若い女の子の声だった。明瞭で聞き取りやすかった。自分や北田とは済んでいる世界の違う、そんな華やかさが振り向く前から感じられた。


 肩を出した赤色のワンピースに、絶妙なサイズ感のベージュ色手提げバック。いつも見ているナチュラルメイクよりもほんの少し濃くした目元に、ヒール無しでもすらっと伸びた体躯。泉真理愛とこんなところで出会った時点で、アキバがオタクの街から乖離した何よりもの証左だろう。


「安藤主任奇遇ですね!!」


「そ、そうだね泉君」


 泉は会社の後輩だ。ただの後輩だけでなく、新入社員配属からずっと自分の部署にきて仕事をしている、謂わば仕事仲間だ。そんなに関わりあっているわけじゃないけど。


「知り合いの方ですか?」


「会社の先輩!」


 後ろには友人だろうか。それにしては、少し肌の張りが陰っている気がした。まあ、年の離れた友人もいるか。2人はそのまま遠くで話し始めた。さすがに隣の開いている席に座るようなことはしなかったようだ。いくら爛漫な彼女でも、そこまで空気を読めないわけではないのだ。


「安藤って今の仕事何?」


「企画管理。最初は労務とか人事畑にいたけど、今は零細事業部の管理業務よ」


「へえ、そういうとこには女子っているのか」


「お前の所に女子がいないのは汗臭いメーカーだからだろ」


「うるせえ」


 そう冗談を言いつつも、僕はスマートフォンを取り出していた。北田の意見に全ノリしてしまおうと、そう思ったのだ。


「まあ、それなら叩かれにかかろうか」


「いいじゃねえか。俺は協力するぜ」


 にやりと二人で笑った。


「いや、俺も、だな。さっき鈴木にも送っといた。あいつ今日は聖地巡礼で江ノ電乗りまくっているけど、ぜひ協力したいってさ」


「さすがのフットワーク」


「もうネット老人とは言わせねえぞ」


 心強い仲間を得て、僕は本当に勇気が出た。思い切って話してよかったと、心の底から思ったのであった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「それじゃあ、俺はこの辺で」


「埼玉の嫁さんを迎えに行くのか」


「まあ、そんな感じ」


 そう言ってカフェの玄関で手を振っていた。時刻は既に夕刻で、夕焼けが街を照らしていた。近くに川があるからか、アキバには夕陽がよく似合う。いや多分、この東京の街自体が、流れていく水との親和性が高いのだ。


「また今度集まろうぜ」


「仕事が優先だぞ」


「もちろん。まあでも、今ならDiscordとかZoomとかいくらでも話す方法あんじゃん」


 僕は首を傾げてしまった。日本語を話してほしいと思った。たまに見るテレビで自分の知らない横文字が飛び交っているような、そんな感覚がした。本当に自分は老人なのかもしれない。


「まあ今度話すわ」


「うい」


 なおツイートはもうしていた。電車男を名乗る者に、直接リプライを送っていた。数分前だった。


『申し訳ございませんが、本当の電車男は私です。撤回をよろしくお願いいたします』


 これからはこれが僕の武器だ。頼りがいがなさすぎるが、それでもこれを用いていくしかないのだ。怖くていまだに通知画面を見れなかった。何言われんだろうな。ほんとに。


「それじゃあな」


 と言って先程までさんざん初めてのTwitter講座を開いてくれていた北田は、そのまま嫁さんのいる埼玉まで向かっていった。かいがいしいなあと感心したのもつかの間、僕は帰宅しようと歩き始めたその時だった。


「それじゃあ、宜しければまた今度」


「あー、あ!うん……また今度よろしくお願いいたします」


  と言いながら泉がカフェから出てきたのだ。そしてもちろん、突っ立っている僕の方を見た。まあ玄関にいたのなら見るだろう。


「安藤主任、またまた偶然ですねえ」


 これは本当に偶然なのか。僕は疑義を呈したくなったが、ぐっと飲み込んだ。


「そ、そうだね」


「どなたとお話しされてたんですか?」


「大学時代の同級生だよ」


「ふうん」


 泉はボブカットの茶髪をひらりと揺らしつつ、美人というより愛嬌あるタヌキ顔をこちらに向けてきた。そしてくしゃっと笑いつつ提案してきた。


「もう夕方ですけど、ちょっとデートしません?」


 突然だ。そんなことを突拍子もなく言う子ではあるものの、それにしたってあまりにも急だった。


「ほら、少し聞いてほしいことあるんですよ安藤主任に」


「……酒を飲まないんだったら、いい」


 明日に響くからな。


「全然大丈夫ですよ。私はそんなに飲まないですし」


 確かに忘年会とかで飲んでいるイメージないな。僕はそう思いつつも、


「どこ行きます??神田??歩いて上野とか行きます??」


 彼女の矢継ぎ早な言葉に押され歩き出してしまった。僕の日曜日はまだ終わりそうになかった。


 ポケットに入れていたスマホがブーっと鳴った。Twitterの通知が来ていた。リプがつけられたらしい。その主は、電車男を名乗っている者ではなかった。


 『たまご垢がイキんなクソボケ死ね!!』


 酷い書き込みだった。この書き込みを見たら、目の前で当てなく歩く泉も少しは許せる気がした。それにしても、たまご垢ってなんなんだろう。まあ北田か鈴木に聞いてみるか。


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