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回想その②~初カキコ~

「久保柳さんがこんなところにいるとは思わんかった」


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。僕はその日、なぜか関内の飲み屋にいた。僕みたいなモテない大学生が来るところではない。少なくとも、女性を含めた飲み会なんて来たことがない。殴られたその日に飲みに行った経験もない。しかし眉谷に引きずられるように、僕は大衆飲み屋の一席に座っていた。


「つうか眉谷デートじゃんけ」

 そしてそこに、眉谷の知り合いの男女が合流したらしく、僕はもう帰りたくなっていた。というか既に帰りたかった。ほら今もチャラ付いた茶髪耳ピアスが僕のことをカウントしなかったじゃないか。


「デートじゃないって。ほらここにいるだろ?」


 そう言って眉谷は絶妙な位置で視界から消えていた僕のことを指差した。やめてくれよ。僕はもうこのままトイレに立って消えようと思っていたのに。それにビールも、その頃はあまり好きじゃなかった。メイド喫茶で飲むドリンクの方がよっぽどおいしかった。


「誰こいつ」

「さっき知り合った。同じ学校だぞ」

「あ、安藤です」

「は?」


 聞き返されてしまった。ガラの悪さが際立っていて、僕は怖気づいてしまった。


「安藤だよ。耳悪いのか」

「こいつの声がちっちぇーんすよほんと。俺は柴沼」


 そしてよろしくも言わずに座った。礼儀もなっていないのか。晒してやろうかこの野郎と僕が思うのは、掲示板に染まり切っていたからだろう。まだTwitterの影も形もない2004年だ。言動の噂は口コミとテレビラジオでしか広まっていかない。つまるところ、人脈とコネがなければ誰にも気づかれずに終わるのだ。あれ?もしかして昔って、結構なディストピア?


「でー、いつもの眉ちゃん?また頭のいい話聞くの私やだあ」


 柴沼の後ろから季節はずれのベージュのノースリーブを着た女が顔を出して、久保柳さんの後ろに座った。


「その割に千恵ちゃんよく顔出すじゃん」


「仕方なくだよぉ。眉ちゃんイケメンだし。ってかやなちゃんじゃん!!こういう飲み会って全然出てこないから、すっごい新鮮」


 千恵ちゃんと呼ばれたその女は、ブラ紐をちらっと見せつつ久保柳さんと握手し始めた。


「ってかもう一人いるし、誰?」


「安藤君だって、知ってる?」


「しらね。ちんちんついてる?」


「ついてるのか、安藤」


 この質問を飛ばしてきたのは眉谷だった。僕は思わず眉谷の方をぎろっと見てしまった。いやいやいや、見たらわかるだろう。僕を見て女性だという人がいたら、幼児から人生をやり直すべきだろう。


「いやいやいや眉ちゃん冗談だって!!!」


「こいつが女性に見える奴とか胎児から人生やり直すべきだっての」


 幼児ではなく胎児と来たか。どうやら柴沼は僕より一次元上の悪口を並べるみたいだ。


「いやいや、でもこれからそういうのも気にする時代が来ると思うんだよ門上さん」


 どうやら門上千恵という名前みたいだ。彼女はとても嫌そうな顔をし始めていた。長い話が来るな、という顔だろうか。


「もしかしたら安藤の心の中は女の子かもしれない。もしかしたらどこかで手術をして男根をなくしているかもしれない。性別を聞くことすら、ハラスメントになる時代が来るかもしれない。この世の人間は徐々に清潔になってきているから、今度は肉体的な綺麗さから精神性すら汚れを気にし始めるんじゃないかと……」


「あーはいはい乾杯するよ眉ちゃん」


 そう邪険に扱いつつ、門上はビールをそれぞれの机に置いた。僕の前にも置いてくれた。乱雑にだけど。


「久保柳さん……お酒飲めるの?」


 僕はふと思ったことを、目の前に座っていた女性に尋ねてしまった。女性と話をするなんて、お母さん以来じゃないか。久保柳さんは目を逸らしつつ答えた。


「実は、あんまり好きじゃないです……」


「はーい、かんぱーい!!!」


 しかしその声は柴沼の音頭でか着せられてしまった。こうして僕にとっては初めてとなる飲み会が始まった。発起人はもちろん、眉谷だった。どうやらここに集まっている5人は全員同じ大学らしく、久保柳さんもその例外ではなかった。そして元々3人で飲む予定だったのを、久保柳さんが入ったのだ。僕が呼ばれたのは、本当によくわからない。たまたま近くにいたから、どうせなら一緒にってことなのだろう。僕は出会ったばかりだというのに眉谷を恨んでいた。まだノイタミナが放映されていた時期ではなかったものの、撮り溜めていたアニメも見たかったしさっき買ったラノベも読みたかった。しかし僕はその日、仕方なくまずいビールを飲んでいた。目の前であたふたする久保柳さんを見ると、少しだけ心が和んだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 この飲み会に参加して分かったことがある。


「つうかさ、これから新入生が入ってくるってのに大学側がいろいろうるさいじゃん。泥酔させるまで飲ますなとか、新入生に無理やり勧誘したのがばれたらサークル取り潰すとか」


 そう言いつつタバコをふかす柴沼は、典型的な大学生といった感じで、チャラくて口が汚い悪い陽キャのお手本みたいなやつだった。それでもって、今度は倫理感すら欠如したことを申していた。


「スーパーフリーのせいだろうな」


「まじそれ、あんな大掛かりにやんないっての。それに嫌がってる子がいたらやめるし」


「あの事件はこれまで何をしても比較的守られてきた大学生にも精神的清潔さを求めていく一例になりそうな気がするな。大学生っていうのは何をしても許された。昔は思想の違いから試験を受けさせなかった学生集団もいたし、革マル派が授業前に世界革命のビラを配っていたこともあった。オウムの頃からその潮目は変わって、真の自由はもう失われた。今後は重犯罪から軽犯罪まで、人間的にしっかりしていくことを求められていくだろう。犯罪行為とかもってのほかだ」


「例えば、どんなことですか?」


 久保柳はあまりこういった場に出てこないのだろう。とても丁寧な言葉遣いを繰り返していた。


「例えば、未成年喫煙。それに未成年飲酒」


「え?大学生だぞ?」


「でも未成年だろ。そう遠くない未来、大学生の未成年が酒を飲んでいただけで大問題になると思う。例えば10代アイドルがスキャンダルになったりして」


「それなら私もダメじゃん。私まだ19だし」


 門上はあっけんからんとそう言った。


「まだ1年生だし」


「でも大学生じゃん?別におかしくなくね?大学生とか酒飲んでタバコ吸ってやるだけじゃん」


「そうそう。んなことに世間なんてかまわないって。みんな興味ないでしょ?迷惑かけてるわけでもないし」


 そう言って門上は酒を飲みほして追加を注文していた。それに眉谷は首を傾げていた。なるほど、眉谷は見た目はとてもチャラ付いていて、それこそ柴沼や門上と同類に見えるが、実際は結構議論したがりで博識なようだ。そして今の僕から言わせてみたら、彼の予想図は正鵠を得ている。もし今の飲み屋が大学生であろうと年齢確認をしていると話せば、何を馬鹿なことを大笑いをするだろう。


「そんなことよりスーパーフリーよ。あれマジで迷惑じゃん。関わってたやつに逮捕者とか出たし」


 この時話題にあがっていたスーパーフリーとは、その前年に関東の大学生たちが起こした集団輪姦事件である。女性を連れてきては強力な薬を用いて記憶混濁を起こさせ、集団で輪姦するその手口の巧妙さと非人道さから、掲示板でも話題になっていた。ただそれが表沙汰になったのは、掲示板上での指摘から1年半後である。まだその頃は、事実を隠蔽できる時代だった証左だろう。多くの男女が関わったこの事件だが、逮捕者は10人と少し。


「てか関わってた人全員逮捕したら、収容所パンパンになるだろ」


「マジそれ」

 その理由は定かではないが、今眉谷が指摘したことはその一面を示しているだろう。なんせ関わった人間が多すぎる。


「それなら私も逮捕だし」


 と思っていたら目の前にもいた。僕は遠慮しがちに枝豆を食べつつ、つまらなさそうに耳を傾けていた。


「あれ女子たちの中にもカーストできててさ。どれだけ女の子連れてくるかで偉さ決まってたんだ。量質ともにね。私はその末端で女の子集めて同級生何人も献上してたから、私だって逮捕だよ逮捕。つうかあんなの、カースト下位の女がいらついて通報しただけだって。そいつが居なきゃ今でも輪姦まわされまくってたっての」


 門上はあっけんからんとそう言った。けらけらと笑っていた。確かに見た目からビッチ臭がすると思った。露出だって激しいし、鞄もどこかのブランドものっぽいし。英語でなんて書いてあるか読めなかったけど。化粧も濃いし、本当に遊んでいる女の子って感じだった。


 流石にこれには眉谷も柴沼もドン引きしたらしく、


「お、う……」

「そ、そうだな……」


 という反応にとどまってしまった。


「あの……門上さん?」

「どうしたの?」


 ここで久保柳さんが口を開いた。何を言うのだろう。僕は少しだけはらはらしながらいまだに残ったいっぱい目のビールを飲んでいた。


「まわすって、何をまわしてたの?こま回し?」


 ぶふぁ!!!!僕は吹き出してしまった。


「うっわお前きたねえ!!!!!」


 柴沼には罵倒されたが、門上は手を叩いて擁護していた。


「いやいやこんなの笑うでしょ!!!!いやそこの童貞陰キャ眼鏡デブのあれもよくわかる」


 いや全然擁護していなかった。ってか絶対名前を憶えていなかったからこういったでしょ。


「あ、すみませんすみません。私のせいで……」

 そう言って久保柳は僕にハンカチを差し出してくれた。淡い水色で皴一つない布だった。しかし隣の眉谷から口元を拭く用の紙を手渡してきた。僕は照れ臭くなって眉谷の方を手にした。


「ありがとう、2人とも」


 と感謝することも忘れなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 それから僕がどんなことを話していたのか、実はよく覚えていない。薬をいれられたわけでもないし、乱交パーティに御呼ばれしたわけではない。多分目の前に座っていた久保柳さんや、眉谷の話を聞きつつたまに話しつつ、楽しげに過ごしていたのだろう。久保柳さんは終始綺麗で、おしとやかで、まるでアニメの中の住人が出てきたかのようだった。それが嬉しくて、僕の酒も進んだのだろう。追記するならば、その頃僕はまだ酒に強くなくて、生中1杯でべろんべろんとまではいかないものの結構酔いが回る体質だった。量が飲めるようになったのは、社会人で無理に飲まされるようになってからだ。


 家に着いたのは夜の9時過ぎだった。飲みにしては早めに解放されたなと、今となっては思う。しかしその日は遅くまで外にいたと思い、そのままアイスを傍らに置いてパソコンを開いた。無論開くのは掲示板。特に好きなのは、独身男性版。このスレには色んなカップルの話が貼られてきて、それを眺めるのが楽しかった。ここにはたびたび見に来ていたが、一度も書き込んだことはなかった。昔ながらの言い方をするならばROM専というやつだ。


 それは魔が差したのだろう。ATと名乗るコテが夕方に書いてあるのを見て、少しだけ自分も書いてやろうと思ったのだ。


 酒のおかげ?酒のせい?いや違う。


 昔から僕は、怖気つかない人間になりたかった。幼いころから気弱で、いじめから逃げるように二次元にはまり、今でも間違ったことを間違ったと言えないでいる。



 今日もまた、僕は何もできなかった。僕の理想をなぞったのは、今日初めて出会った眉谷の方だ。


 そんな僕が、真っ向から間違っていると指摘する話だ。勇気を振り絞って一歩を踏み出す話だ。それは虚構だけど、まさしく虚構だけど。


 それは酔っ払いの妄言で


 聞く価値のない、のせる価値もない駄文で、


 でもその時の僕は、少しだけ調子に乗っていたんだろう。


 久しぶりに女性と話せた。清楚でおしとやかそうな女性と話すことができた。


 だからその幸せな感覚は、脳みそすらも幸せにしてしまったのだ。


 気づけば書き込んでいた。


  【すまん、俺も裏ぐった(注:うらぎった)

   文才がないから、過程はかけないけれども

   このスレまじで魔力ありすぎ…

   おまいらにも光あれ…】


 これが、電車男の最初の書き込みだ。そしてそれは、その後に待ち構えている、実勢で最も忘れ葬りたい2か月、そして今なお黒い影を落とす過去の始まりだったことなど、当時の酒に溺れた僕は知る由もなかったのである。


(注)のところは作者の注釈です

ご了承下さい

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