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現在⑤-敵はどこにいる!?

「なあ、鈴木。顔見えてる?」

「見えてないですねえ安藤氏。早くその我儘フェイスが見たい所存」

「ってか安藤主任音めっちゃ割れてますよ。ヘッドホンつけてます?」

「え?ヘッドホン?」


 その日僕は人生初めてZoomを使っていた。うちの会社は古臭いから未だに顔を合わせて会議ばかりしている。その結果こうした最新の会議システムに慣れていなかった。つまり会社が悪い。僕の機械音痴は悪くない。QEDだ。そんな言い訳は並べないで、僕はヘッドホンを探していた。買った記憶はなかったけれど。


「イヤホンでいい?」

「お願いします」

「後ろのテレビの音も拾っちゃってますから致し方ないかと。というか安藤氏、またアニメ見ているんですか」

「テレビで再放送していたからさ。つい流してた」

「アベマとかずっとアニメ放送してるからおすすめですぞー」

「ってか番組の再放送を録画してみるって金ローかスポーツくらいでしょ?そんな人今でもいるんですね」


 何故か泉から馬鹿にされてしまった。若者の生活様式がわからない。


「これでどうだ?」

「いい感じですよー安藤氏」

「にしてもお二方、背景がすごいですね……オタクっぽい」


 オタクっぽいだろうか。ハルヒのタペストリーとかKanonのひざ掛けとかひぐらしのうぐぅのフィギュアとか……いや確かにオタクだな、うん。鈴木に至っては抱き枕を堂々と置いているし。


 それに比べると泉の部屋はとても簡素だった。女性の部屋など人生で一度も行ったことがない僕からしたら、通常なのかそれとも彼女が特別なのかわからなかった。


「泉さん大したことないけど言っていい?」

「なんですかー?セクハラですかー?」

「部屋殺風景じゃない?」

「北田さん家みたいに2次元向け男の子フィギュアとか置いてないんですよ……ってか他の2人とテイスト違いません?」

「新婚だから怪しんでな、嫁が隣にいる」


 あーという声を上げる3人。北田の嫁さんは顔を隠して声を殺していたが、少しだけ手が見えていた。細い指だった。


「都内在住の若者はお金がないんですよ。金欠だから自然とミニマニストになっちゃったっていうか?全て総理大臣が悪い的な?」

「寮とかないの?」

「そんなのつけてくれないですよーうちの会社。ケチケチしてるんで」


 こういう時に頼りになるのは北田である。僕と鈴木はぼうっと見つめるだけだった。それが若干不満だったのか、泉は頬を膨らませた。


「安藤しゅにーん、そこは訂正してくださいよー」

「いや訂正できんし。福利厚生ゴミだし」

「びえん」


 わざとらしい泣き顔。こんな中年男性に見せても仕方ないというのに……いやこれが現代の若者なのかもしれない。


「ってことで、すぷりんさんがこの人です」

「おう、そうか」

「よろしくですすぷりん氏」


 そもそもが初対面ということもあってか、2人はすんなりと受け入れていた。僕は未だに慣れないというのに……


「で、俺が北田」

「鈴木でございます」

「安藤……」

「じゃなくて?」


 すぷりんこと泉はニヤリと笑った。もはやその顔は職場の泉とは別物だった。言うなれば、配信者の顔だった。目の奥がすっと澄んでいた。


「電車男、です」

「はいよくできました」


 泉はまるで赤子を癒すかのような口調だった。本当にひとまわり違うのだろうか。自分の大人としての経験値の低さに、些か呆れてしまいそうになった。


「今回集まってもらったのは、特に大きな理由があったからじゃないと言えば嘘になるけれども、大きな変革というにはあまりにも小さな事例だ。しかしながら今後のムーブメントにかかわるかもしれないので留意していただきたい」

「安藤氏それ小生の会社の同僚の真似で候」

「内輪ネタは置いといて本題どうぞ」


 首を傾げる泉。彼女には伝わらない物まねだ。


「まあ、さ。最終目標をさ、電車男本人として設定したくてさ」

「最終目標ですか」


 そうだ。別に僕は、この2人に後輩を紹介したかったからこの場を開いたのではない。この世でたった4人の、僕が電車男であると確信している人たちの前だからこそ、宣言したいことがあるのだ。


「別に、自分が電車男であることを証明する必要なんてないと思っている。というかむしろ、自分が電車男ではないと思われたいくらいだ」


 目が丸くなる3人。そりゃそうだろうなと僕は心の中で納得しつつも言葉をつづけた。


「どういうことだ?」


 北田が一番早く反応した。それに乗じて持論をぶつけた。


「最高の状態は、『電車男なんて誰が誰だかわからない』という状態にまでもっていくことだ。僕ではない。しかしながら貴方でもない。じゃあだれかっていうと、誰かはわからない」

「え?なんで??意味が少しわからない……」


 泉が反発する隣の画面で、鈴木は深く頷いていた。そうか。彼はこの思考について理解してくれているのだ。それがわかってよかった。何故ならこれは、昔のオタクじゃないと言えない結論だからだ。


「安藤さんは電車男なんですよね?」

「そうだよ」

「色んな書き込みがされていますけれども、全て安藤さんが書き込んだんですよね?」

「もちろん」

「じゃあなんで、自分の正当性を主張しないんですか?自分がやったことなのに……」

「そもそもね、あの本の出版についてはその是非が議論されていたんだ」


 そして安藤は、まるで当事者のように語り始めた。


「知っているかもしれないけれども、電車男の本は2chの掲示板でのやり取りを読みやすい様に本にしてまとめている。引用となっている書き込みはほぼ原文のままだ。そもそも掲示板に書き込まれた文章には著作権があるのか。書き込んだものに対して連絡をとる必要はあるのか。何よりスレ全員で完成させた一連の流れについて、書き込み主だけが利益を享受するのはどうなのか。そうしたことが全く議論されないまま出版されてしまった。一応最後の点は募金をしたことになっているが、その詳細は不明だ」


 そうだ。15年前に一大ムーブメントを起こしたこの作品の出版経緯はかなり黒いのだ。しかし当時も今も掲示板についての認識はさほど高くない。今となっては書き込み発祥の作品だと知らない人も大勢いる。


「え?電車男ってそんな経緯があったんですか?」


 現に一番若い泉は知らなかったようだ。


「ちなみに書き込んだお前の所にそうした話は来たのか?」


 僕は話をスムーズに進めるため首を縦に振った。それを見た北田はまた腕を組み始めた。


「本来あの本の出版はもっと慎重にやるべきだった。電車男は、隠された存在であるべきだった。あんな風に、大々的に取り上げられる存在じゃなかった」

「なら、そのままにしておこうってこと?」

「まあそういうことだ」

「まあ起源の主張ってものは愚行で愚考、ネット界の風上にも置けないクソみたいな行為だと思いましてよ」


 鈴木は謎の語尾を追加しつつ同意してくれた。


「うーん、別に自分がやったんなら、やりましたっていえばいいと思うんですけどね……」


 そして泉のこの考え方も理解できる。恐らく今のネット文化はそう言う風潮なのだろう。だからこそ嘘も塗れるし、承認欲求も増していくけれど、人物の隠れた偉業が正当に評価される時代でもある。


「まあ泉氏、言わんとせんことはよくわかります。しかし昔のネットとはかく者ばかりだったのです。ほら、誰かが起源を主張してしまうという行為は、著作物扱いされることに繋がりかねない事故、これまで気軽に使っていたそれに対し、何かしらの制限を加えることになるやもしれませぬ」

「というかそもそも匿名の書き込みにそんなもん要求する方がおかしいんだけどな。その辺があれよ。TwitterとかFacebookみたいにアカウント名が出るSNSとの大きな違いってこと」


 北田も大方理解してくれたようだ。これは恐らく、あの匿名で語り合っていた時代を知らない若者には辛いところがあるだろう。SNSの普及時に中高生だった人達は、仮でも名前を出してネット世界に居座るのが半ば普通だと思っているのだが、僕のような老人にはそれが異質に見えて仕方なかった。


「でも、相手は自分のこと電車男だって言ってますよね?」

「そうだな。だからそれは否定しなきゃいけない。つまり、相手の偽を暴き、誰が電車男なのかわからない状態にしてネットの海に返す。これを最終目標として動きたい。だからこの騒動が終わったら僕はTwitterのアカウントを削除する予定だ」

「せっかく登録したのにー」


 北田が煽るように語尾を伸ばした。


「今度はその辺にいるおっさんオタクとして呟くよ」

「流れとしては①相手が電車男であると名乗るのをやめさせる②釣り宣言③爆散!こんな感じでいいですかのー?」


 鈴木はテンポ良く掌を開いて爆発を表現した。


「まあそんなんでいいんじゃないか?だからもう証拠画像のアップロードはしない。あれは相手の信用を落とすために用いるけど、それ以上には使わない」


 そもそもあるかどうかも不明だけどな。僕はそう思って横目で部屋の中を見た。中々な荒れ具合だった。他の証拠が混じっていてもおかしくはないが、探すのはもうやめだ。


「んー、私は未だ納得してないですが……まあいいです。あくまでも私は協力者ですし、それに偽った奴が利益を享受するよりはよっぽどマシですしね」


 僕は少しだけ眉を動かした。


「にしても安藤氏、だとすると相手の信用を下げねばなりませんが……どうするご予定で?」


 どうやら気にされていないようで、僕は少しほっとしつつ言葉を紡いだ。


「うーんそうだなあ……もう証拠は出したから、後はみんなの反応を見たいんだけど……」

「実は既に結構意見が割れているみたいだぞ、少なくともネットでは」

「ネットっていうかTwitterのタイムラインですけどね」


 トレンドに敏感な泉と北田は、さっとスマホを持ってスクロールし始めた。


「エルネスのティーカップについて、もう壊して何処かに捨ててしまったって言っているのが怪しまれている形ですねえ。なら他の証拠はって聞かれても、これと断定できるものを出せていないような……」

「でもテレビには取り上げられてるんだよなあ」

「まあテレビ局なんて大々的に誤報うっても別番組とか番組の最初最後にちろっとテロップ出したらなんとかなるって思ってるフェイクニュース生成工場ですから、話題になっている真偽不明のニュースに飛びつくのはむしろあの人らのジョブですよジョブ」

「ちょwwwwwwwすぷりん氏wwwwwwwww皮肉が過ぎますぞwwwwwwwwww」


 鈴木が草を生やしたこれは昔から2ちゃんにある返しなのだが、泉には当然伝わらなかった。


「テレビは厄介だなあ」

「影響力あるからなあ」

「これぞ権力側って感じの……」


 おっさん3人組は、テレビの力を強く見込んでいた。仕方ない。つい10年前までテレビの報道がこの日本を動かしてきたのだから。だからこそ、ここで1人、ひとまわり歳の離れたインフルエンサーがいたことが、大きく事態を動かしていく。


「んじゃ、私のチャンネルにこの人呼ぼうかなあ」


 全員が目を見開いた。しかし彼女は、どこかあっけんからんとしていた。


「ってかむしろ公式にオファー出すわ。動画内で雑談枠取って、そこで話したいなぁって旨をほのめかしてからTwitterで直リプしてみる」

「お、おう……」

「みんなが聞きたがっているであろう質問をぶつけてみることにするよ。貴方は本当に電車男さんなんですかって」

「そ、そうか……」

「その返答次第で、後は見ている人たちに決めてもらいましょうよ!!」


 っとここで、3人が思考停止しているのに気づいた泉は、小悪魔のような顔をしてこう言った。


「フェイクニュースが跋扈するなら、ファクトニュースを発信するだけですよ。大丈夫ですって。誤報が支配する時代はもう終わりました。真実は虚報を凌駕するんですよってとこ、若者代表として見せてやります!」

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