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回想⑤~お誘いにのって~

 この世界には恋の話をしていい人と、してはいけない人がいる。それを判別しているのは法律ではなく、空気である。久保柳さんに返信をしてバイトに行き、バイトの休憩時間中に受信したメールに反応し、バイトが終わって久保柳さんに返信をした僕は、誰にもこのことを話せず家に帰っていった。


 誰にも言えない秘密のお話なんてタイトルならば、上々なラブコメディであろう。しかしこれはそんな夢物語ではないし、事がそんなにうまく進むとは思っていない。彼女は今のところただの大学生。飲み会でたまたま知り合っただけの一般女性だ。


 夜7時のメールに返信をして、ご飯を食べに行くことまではこぎつけた。生粋のねらーである僕も、久保柳さんとのやり取りでは漏れとかぽまいらとか使わないように気を配っていた。鈴木なんかはその辺を分け隔てないが、どうしても女子の前だと自分をよく見せてしまうのだ。


 さて今日は土曜日、明日のバイトは昼でおわるから、それから服を買いに行くイメージだろうか。うん……どんな服買えばいいのだろうか。そもそもご飯を食べる場所も碌に決まっていない。日時だってまだだ。とりあえず今週は久保柳さんが忙しいみたいだからなくなったけれど、普通に考えて来週のどこかだろう。でも……大学の近くはあんまりだし、アキバなんてもってのほかだろう。でも、どこにすればいいのか……?


 ここで友人に聞くという選択肢を取っていたならば、おそらくここからの悲劇は生まれなかった。でも、北田も鈴木もまだそこまで仲良しではなかった。北田とはアキバでたまたま顔を合わしたレベルだし、鈴木も理系学部のなんか変なやつって印象だった。彼らと仲良くなったのは、この騒動の後だ。かといってほかに、信用できる友人なんていなかった。


 そんな自分が、ネットに助けを求めるのは自明だろう。いや自明ではダメなんだけれども。遠くの顔の見えないネット民に、僕は力を貸してほしいと懇願していた。書き込めば書き込むほど、彼らは色んな反応をしてくれた。どんなお店がいいとか、どんな服装がいいとか。このころになると僕もようやく感覚が麻痺し始めていた。まだSNSが発達する前の日本だ。ネット文化ってこんなものなのかと納得しつつあった。


 それに、今話している内容はそのほとんどが事実だ。現に一緒に食事をしようという話になっているのだから、その内容を書きこんだって悪いことはない。当時は身バレなんて言葉もなかった時代だ。そう錯覚するのも仕方ない。


 こうしてこの日も夜までネットに入り浸ってしまった。久しぶりにゲーム機を触らず、パソコンで反応を見ていたのであった。


 次の日、仕事を終えて勤務先から帰宅しようとした僕を引き留めた男がいた。


「あーやっぱりここで働いているんだね」


 勝手口からすぐのところで、眉谷が声をかけてきた。相変らず似合っているのか似合っていないのかわからない謎ベストを着て立っていた。そんなにまだ暑くないと思うが半そでだった。


「まあ、そうだけど?」

「家、この辺なの?」

「そうだな」

「ちょっとお茶していかないか?この辺に美味しい紅茶のお店があるんだ」


 そうして誘われるがままに2人喫茶店に入った。そう言えば眉谷はカフェで働いていると言っていたな。結構詳しいのだろうか?


「眉谷はどうしてたんだ?」

「ん?この辺で用事があってさ。用事っていうか飲み会だけど」

「楽しそうだな」

「楽しいというか、あれは意見交換みたいなものだからな。どんなことを考えているのか、どんなバックグラウンドがあるのか、そうしたことをシェアしてもらえるのはいい機会だよ。これから機械化と人間関係の希薄化が進む中で、飲み会すら珍しくなってくるんじゃないかな」


 眉谷はよく話すやつだ。見た目は普通の何も考えていなさそうな今どき大学生って雰囲気なのに、現代の言葉で言うと意識高い学生という雰囲気を醸していた。


「飲み会が減るのは……ちょっと嬉しいかな?」

「苦手な人は飲まない時代は絶対来る。そもそも飲み会って、結構割高なものなんだよ。ただ酒を飲みたいだけならスーパーで買ってきたらいいし、喫茶店みたいにゆっくり話すための空間があるわけでもない。これから付加価値の付けられない飲み屋は潰れていく一方だと思うぞ?」

「確かにガヤガヤしててはいりにくい……僕が気弱だからかな?」

「いやいやこれからは気弱で繊細な人間の意見を聞く社会になると思うね。既にクレーマーなんて人らがいるように、これからネット社会が広まっていったら悪評が瞬く間に広がるようになる。不特定多数の耳に届くようになれば、これまで泡沫の意見として見られていたものも市民権を得ていくんじゃないかな?あっ、レモンティーお願いします」

「アップルティーで」


 眉谷は舌をペラペラと回しつつ注文をしていた。確かに話は長いけれど、普通の大学生なら切って捨てられそうな僕の意見にもしっかり乗って意見を述べる姿は、少し心地良かった。


「前の飲み会ではあまり話せなかったんだけどさ」

「うん」

「オタクの人ってさ、どんな休日過ごしてんの?」


 いきなりの質問だった。でもそろそろ、彼は人を論うような人間ではないと理解していたから、僕は正直に答えた。


「バイトがあるときはバイトに行ってるけど、それ以外だとほとんど外出しないな」

「引き籠もっているのか!!」

「まあそんな感じ、そんな大声を出すようなことか?」

「引き篭もれるってのも立派な才能だと思うぞ?殆どの人間は家に居続けるのは苦痛だ。それが出来るのは才能だよ。これから感染症が流行ったり、災害で家にいろって言われた時力を発揮するんじゃないかな?でもそれだと、お金は貯まる一方じゃないか?」


 紅茶が席に届いて、2人して飲み始める。その後も自分のことについて色々聞かれたが、眉谷の方がよく話していたような気がした。




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 デートの日付は3月27日に決定した。勇気を出してやり取りをしてよかった。久保柳さんは昨今の大学生とは違うとても清楚な女性だ。人の悪口も言わないし、馬鹿笑いもしない。いつもふふふと笑う彼女の顔を思い出して、本当なら億劫なはずの大学すら楽しみになってしまう。これが、恋というやつか。


 ネットのみんなは、こんな自分に対して色々と相談に乗ってくれた。おすすめのお店の位置をマップで教えてくれた人もいた。和食がいいぞとか、コンタクトにしろとか、服を買ってきてくれとか……応援してくれる人がいっぱいいた。嬉しかった。本当に嬉しかった。


 リアル世界で自分の恋愛について相談できる人はいないだろう。そんなの興味がない人たちばっかりだ。でもその気持ちはわかる。僕だって相談されて、積極的に聞きたいとは思わない。でもネットには、そんな話を聞いてくれる人がいる。それだけで僕は嬉しかった。例えそのバックボーンが、嘘と虚構で塗れていたとしても、だ。


 あれから書き込みはどんどんと嘘の内容が増えていった。整合性を取るために自分はどんどんとそのパーソナリティから離れていった。何度も中野と話をして、やめたほうがいいんじゃないかと訴えていたのだが、それでも退けられてきた。今から考えると、続ける義理なんて無かったのだ。続けた理由はただ1つ、あそこが唯一自分の恋話を聞いてくれる場所だったからだ。


 僕は大学の履修登録をすべく、デート前日ながら大学に来ていた。もしかしたら憧れのあの人に会えるかも知らないなんて言う幻想は、まあ特になかった。そこまで僕は夢追い人ではない。デイドリーマーからかけ離れた生活をしていたのだから当然だ。


 そこで意外な人物に会った。チャラチャラとした銀色のアクセサリーをつけて、肌を黒くした男。


「あ、あの時のオタクキモ男」


 初手から侮辱してくるスタイル。これもまた今時の大学生なのだろうか。そんな僕の嘆きなどほっとかれて、柴沼は履修登録完了直後のこちらに近づいてきた。一体何のようだというのだ。僕は子供の頃当然のように受けていた陽キャからの弄りを思い出して、今すぐこの場から逃げ出したくなった。しかしここは教務厚生棟。騒ぎを起こしたら即座に大学のお偉いさんが飛んでくる。


 エントランスで声をかけてきた柴沼は、どうやら僕に言いたいことがあるようだった。何だろう。因みに僕は彼に言いたいことなど何もない。強いて言うならその金髪全然似合ってないぞとしか。


「何しにきた?」

「えっ、あっ、履修登録……」

「だよなー」


 だよなって答えるならその質問要らなかっただろ!全く……


「俺はさ、眉谷探しにきてんの。見てない?」


 なるほど、この話に繋げるためのフリだったのか。


「あいつさ、最近変なんだよね。いや昔から変な奴ではあったんだけど、ここのところはまとめサイト?とかいうネットのニュース記事的なサイト立ち上げたってさ。お前オタクだろ」


 いやまあそうですけど。


「オタクってパソコン詳しいだろ」


 偏見だが目の前のお前よりは得意だよ。


「すげえの、これ?」


「知らない」


 僕は首を振った。正直その手のまとめサイトは見ない主義なのだ。掲示板原理主義者とでも言って欲しい。すると柴沼は、急に僕の腕を掴んだ。そしてエントランスから外へ出ていく。


 慌てる僕に言い聞かせるように、柴沼は呟いた。


「ここじゃあれだから、裏手にいこうぜ」


 そして併設している食堂の裏手まで連れてかれた。何だろう。カツアゲでもされるのだろうか??だとしたら全力で逃げなきゃいけない。そんな怯える僕を見透かしたかのように、柴沼は首筋を掻いた。


「ここだけの話だけどよ、あいつ、俺に借金してんのよ」

「え?」

「数十万円貸してくれって、先週いきなり頼まれてさ。何言ってんだって思ったんだけどやたらとしつこく頼んできて。仕方ないからって貸したんよ。そしたらあいつ、他の奴にもせがんでるみたいで……なんか話聞いてたりするかなって」


 僕の印象に、彼がそんなことをしているイメージはなかった。この前話した時も……


「お前はなんか、金貸したりした?」


 柴沼の言葉に、僕はあることを思い出した。


「貸してないけど、先週会った時にやたらのお金周りのことを聞かれた……バイトのこととか……出費のこととか」

「金は貸さなかったのか」

「その時給料日前で2千円くらいしかなかったから」

「……何にそんなお金使ってんの?オタクなのに」

「え?……グッズとか……」

「あー」


 柴沼はこれ以上突っ込みたくないという顔をしていた。多分彼は、僕のことそりの合わない男だと認識しているだろう。嫌っている雰囲気は、その態度から丸わかりだった。それでもこの話をしてきたのは、それほど切迫しているということだろう。


「もしかしたら、お前がもう少しお金を持っていたら借りてたかもな」


 柴沼の言葉に僕も同意した。


「因みにその……なんだ?まとめサイトって奴はお金がめっちゃかかったりするのか?」

「いや……しないと思う」


 広告費を注ぎ込むならまだ分からなくもないが、ただまとめサイトを作るだけにそんなお金は必要ない。


「だよなー。大丈夫かなあいつ。何しようとしてんだろうな」

「総額……どれくらい?」

「分かっている範囲で500万くらい」


 ごひゃ……大層な額だ。消費者金融でもそこまで貸すのは大変だろう。


「まあうちの大学はぼんぼんが多いから気にしないのかもしれないけど、だとしてもやべえだろ?」


 また僕は同意の頷きを行った。


「まあいいや、なんかあったら電話してくれ。メールに電話番号書いて送るから」


 そういって柴沼は去って行った。


「時間とらせて悪かったな」


 突然吹いた春の嵐が身体を襲った。まるで札が舞うかのように、葉っぱがひらりと浮き上がっていた。

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