第91話 「ボロボロだけど、何とかね」と先輩は気丈に振舞った
~前回までのあらすじ~
強い妖魔、大量発生
魔討隊、混乱
元勇者、何やら……
「はあ、はあ、はあ……これだけやっても、まだ六体……」
琴音は身体中に傷を負い、何とか立っているような状態だ。彼女の呼吸は荒い。しかし、それでも、目の前の敵を睨み付け、決して視線は外さない。
(何とか霊力錬成で瞬間な攻撃と防御に力を注いだけど、それももう限界)
突如として現れた妖魔たち。その全てが上位体。そんな妖魔らとの戦いを強いられた琴音は、自分に出来ることを堅実にこなした。習得して間もない霊力錬成を駆使し、壮弦の攻撃をアシスト。敵からの攻撃も、最低限の霊力消費でギリギリ防いで見せた。
祓うことができた妖魔の数は六体。それは、全体の三割程度に過ぎない。格上相手の戦闘で続く緊張感の中、琴音の精神は大きく消耗している。
(流石にこの数は、反則でしょう……!!)
魔討隊隊長と比肩する実力の壮弦と連携を図り、全力を尽くしても、二十体を超える妖魔を同時に相手取ることは現実的ではなく、寧ろ、無謀であった。全方位から無秩序に繰り出される妖魔の攻撃。琴音がいかに霊力を効率よく扱うことができ、戦闘技術が向上していても、それを効果的に活かすことなど、簡単にさせてはもらえなかった。
「っ!!」
琴音が戦力差に辟易して気を抜いたその一瞬を狙い、一体の妖魔が彼女に襲い掛かった。しかし、妖魔の攻撃は通らない。琴音を覆うようにして生まれた、薄緑色の膜が凶悪な攻撃を防いだのだ。
(油断した! 貴重なバリアも、もうこれでお終い……!!)
劣勢の中、琴音がここまで耐えることができたのは、やはり、怜士のおかげだった。彼から託されていた異世界アイテムであるプロテクトリング。このリングは、溜めた魔力や霊力を消費することで高レベルのバリアを張ることができる。訪れたピンチも、咄嗟に発動させたリングのバリアで防ぎ、事なきを得ていた。
(やっぱり凄いわね、異世界の道具は。ここまでやれたのは、これのおかげだもの)
一級の妖魔の攻撃を容易く防いでしまう防御効果に深く感心、感謝しながら、琴音はリングを見た。
(でも、これには頼れなくなった)
多数の強力な敵に囲まれての戦闘では、プロテクトリングに溜め込んでいた霊力など、すぐに底をつく。怜士から受け取った異世界アイテムも、今ではただの装飾品に過ぎない。
(お父様は私よりは余力があるくらいか。劣勢に変わりはない)
琴音は横目に父親の姿を見た。壮弦も、この状況で消耗しないはずがなく、感じられる霊力は小さくなっている。そんな彼の様子を見ることで琴音は益々、この状況に兢々としている。
(そこかしこで妖力を感じる。魔討隊の援軍を期待することは無駄でしょうね)
気が付けば、広範囲に渡って強大な妖力を感じ取れる。市内に散らばる魔討隊の人間も、各々の敵の相手で精一杯。助けなど、期待するだけ無駄だと、琴音は悟った。
「……どうしたものかしら?」
「口を動かす暇があれば、霊術を放て。次が来る」
本人としては小さく呟いたつもりだったが、琴音の言葉は壮弦の耳に届いていたらしい。変わらず高圧的な彼の物言いだが、先程までと比べると、やや大人しいだろうか。
「最後の一滴まで霊力を絞り出せ」
「言われなくても!!」
半ばムキになって霊力を錬り出した琴音は、迫り来る妖魔に攻撃を仕掛けた。あと何回、霊術を放って攻撃できるのか。あと何回、敵からの攻撃を防げるのか。そんな疑問を抱く暇すら与えられないほど、妖魔は襲い来る。
「ぬぐうっ!?」
「うっ!!」
妖魔の激しい攻撃を受け止め切れず、壮弦は吹き飛ばされる。それに気を取られたことで、琴音も背後から攻撃を受け、地面に叩きつけられた。
長く地に伏す余裕など無く、すぐにでも立ち上がらなければならない。琴音は身体に鞭を打って起き上がる。
「……は?」
何とか起き上がった琴音は愕然とした。
「どうして、増えているの?」
数十分前に顕現した妖魔は丁度、二十体だった。琴音は壮弦と連携し、死力を尽くして戦い、その数を十四までに減らしたはずだった。ところが、今、琴音の目の前にいる妖魔のはずは三十を超えている。攻撃を受けて倒れた間に、その数が倍以上にまで増えたのだ。
「あ、有り得ない」
体勢を立て直していた壮弦も、当主としての威厳の欠片も失われた間抜けな声を漏らした。
もとより絶望的な状況だった。何とか善戦していたが、それがさらに過酷なものへと変貌してしまった。奮い立たせていた小さな勇気も、ここに来て消え失せる。琴音の錬成していた霊力も霧散する。
「ブオオオオオ!!」
目にも留まらぬ速さで襲い掛かる妖魔。そのためか、琴音も壮弦も、何の思考も許されなかった。己の不運を嘆くことも、己の力の無さを呪うことも。
「――何とか間に合った」
死が迫る二人の耳に、何者かの声が届いた。壮弦にとっては得体の知れない男の声に過ぎないが、琴音からすれば、聞き慣れた人物の声だ。
「消えろ」
青年が静かに言葉を紡ぐと、周囲一帯に途轍もなく巨大で濃密な力が溢れ出た。大洪水に一瞬で呑まれたようで、あまりの圧力に琴音も壮弦も、妖魔ですら身動きが取れない。
(うっ!!)
琴音は、感じたことが無いほどに膨大な力の奔流に耐えることが精一杯で、目を開けていることすらままならなかった。辺りを支配していた力が収まり始めたことで、琴音に漸く余裕が生まれた。恐る恐る目を開けると、そこにいたはずの、三十体もいた妖魔すべての影も形も無くなっていた。
「志藤、君……?」
壮弦が近くにいるというのに、志藤怜士の正体や彼との繋がりを隠そうとしていたのにも関わらず、不用意にも琴音は彼の名を口にしてしまった。消えた妖魔の代わりにそこに立っていた人物は、いつもの仮面を着けており、それは紛れもなく、琴音が知る志藤怜士その人だ。しかし、小さな違和感が彼女の中にあった。
(感じる力は志藤君のものだし、あの仮面は間違いなく彼の特徴なのだけど、何か引っかかる)
琴音は、目の前で立ち尽くしている怜士の姿をまじまじと観察する。怜士が正体を隠すために着けている仮面はフルフェイス型だが、完全に首から上を覆い隠しておらず、襟足付近や後頭部の一部は露出している。
(え? 志藤君、髪が赤く……?)
仮面の隙間から僅かにのぞく怜士の髪。彼は染色などしていないので、黒髪であるはずだが、琴音の目には確かに赤く映っている。
「怪我は大丈夫ですか?」
「え、ええ。ボロボロだけど、何とかね」
「良かった。他の場所の妖魔もみんな、倒して来ました。これで多分大丈夫です。安心して下さい」
「みんな!?」
琴音は声を張り上げた。数十体の妖魔の大群を祓っただけでも驚愕を通り越しているのに、怜士は他の場所に現れていた妖魔も祓ったというのだ。流石にこれは琴音にとって信じ難いようで、訝しんでいる。
(流石に、これは!!)
琴音は精神を研ぎ澄ませ、妖力を探った。崎城市全域の索敵とまではいかずとも、彼女の実力なら、それなりに広い範囲を探れる。
「確かに、感じられた妖力が全て消えている」
目を皿のように大きくして、琴音は怜士を見つめた。
「貴方が嘘を言うはずもない。でも、一体どうやって? 一級妖魔の大行進に魔討隊の隊長たちもいたのでしょう? 有り得ないわ! いくら貴方が無茶苦茶でも、これは――」
「一旦、ストップです。誰か来ました」
「え?」
怜士は矢継ぎ早に話す琴音を制止した。一歩ずつ近付いて来る、人の気配。崩壊し、ひび割れている道路を悠々と闊歩する男性の影に、二人は視線を移した。
「ほう、貴様がそうか」
老齢の男性の声。この男性の声の正体が分かった琴音は、身体を小さく震わせた。
「阿形殿がここに?」
「あ、阿形千州隊長……。魔討隊のトップが今になってどうしてこんなところに?」
妖魔が祓われ、静寂を取り戻しつつあった戦場に現れたのは、魔討隊“聖天”の隊長であり、八つある部隊の総てを取り仕切る、魔討隊最強の男にして退魔師の頂点、阿形千州その人であった。
遅くなりました。楽しみに待っていてくださった方々、申し訳ありません。
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